昨年初夏に刊行された『黙示のエチュード――歴史的想像力の再生のために』(新評論)は、2011年3月の東日本大震災と福島原発の過酷事故以降に、「謎のアメリカ人」マニュエル・ヤンが日本語で発表した諸論稿を集成したものです。
ルネサンス研究所2月定例研究会は、この本の合評会として開催します。
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本書の帯の跋文には次のようにあります。
「まさに『ヨハネ黙示録』が預言する世界の終末のような「黙示的」破壊をもたらした2011年東日本大震災は、資本主義経済の最先端を行く国家と社会がいとも簡単に崩壊してしまう可能性をわたしたちに見せつけた。隠されたものを顕在化した意味でも、それは「黙示的」出来事だったと言えよう。反原発運動がわき起こり、放射能について考えたことのない人たちが身の回りの環境の放射線量を測定し、身体と物質の関係を政治的に考え始め、今まで互いの存在すら気づかなかった人たちが交わり合い、現実を変革することを真剣に語り始めた。震災時アメリカ中西部でモグラのような生活をしていたわたしは、2011年6月から9月まで東京、大阪、沖縄、ソウルを旅した。そのなかでわたしもまた黙示的災害直後に生じた「不穏で無謀なるものたち」(李珍景)の交わり、言葉、行動を見つけた。本書はそのような時期に請われて書いたものの集成である」。
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本書は、これまで日本語でほとんど紹介・分析・翻訳されたことのなかったアメリカのラディカリズムについて、しっかりとした展望を与えてくれます。
アメリカの自律マルクス主義集団「ミッドナイト・ノーツ・コレクティヴ」の理論誌の歴史を紹介した第1章「ミッドナイト・ノーツへの悲歌?」は、ジョージ・カフェンティス、シルヴィア・フェデリーチ、ハリー・クリーヴァー、ピーター・ラインボウといった日本ではほとんど知られていないアメリカの新左翼系マルクス主義者たちの理論活動について紹介しています。
第5章「プロメテウスの末裔」も「ミッドナイト・ノーツ」の先行者の理論・活動家集団「ジョンソン・フォレスト・テンデンシー」(C.L.R.ジェームズ、ラーヤ・ドゥナエフスカヤたち)の仕事を紹介しています。
こうしたアメリカの反資本主義理論潮流によるマルクスの読み直し作業を通じて到達した地点から現代の日本社会を振り返るとどんなことが見えてくるのか。
提題者は気鋭の若手政治学者と3・11以降の首都圏の青年・学生運動にコミットしてきた若者にお願いしました。
著者のリプライもあります。大いに議論をしましょう。
テーマ : マニュエル・ヤン『黙示のエチュード――歴史的想像力の再生のために』(新評論)を読む
日 時 : 2020年2月11日(火)18:00開場、18:30開始
会 場 : 専修大学神田校舎7号館7階774教室
資料代: 500円
提題者: 仲田教人(政治学者)
木本将太郎(直接行動)
リプライ: マニュエル・ヤン(日本女子大学人間社会学部教員)
学生たちに交じって、マニュエル・ヤンの講義に出ていたことがある。「カウンターカルチャー」の歴史を論じる講義で、滅法おもしろかった。話が次から次へと飛んでいく。当時のノートを見返すと、たとえばこう書かれている。『ダブリナーズ』:シュルレアリスム、1970年代アメリカ東部のオートノミストたち、ビートニク、ボブ・ディラン、「詩とは革命を思考する中心にあるもの」、ヘンリー・ミラー、鯨、父の牧会の記憶、そしてアイルランド全土に(生けるものと死せるものの上にあまねく)舞い降りる雪。固有名詞と出来事が洪水のように溢れ、渦を巻き、聞くものたちを飲みこんでいく。それはわたし(と学生たち)を混乱に陥れ、ときに途方に暮れさせながらも、深く魅了した。語られていたのは、マニュエルによって生きられた、切実な「カウンターカルチャー史」であり、さりとて個人史では決してなく、アメリカ史でもなく、革命の「世界史」だったからだ。 さて、本書もまた、マニュエルによって生きられた「3・11」の表現であり、その経験を革命の「世界史」に開こうとする試みに他ならない。当日は、本書における「コモンズ」と歴史的想像力の革命性について問題提起をおこない、全体の議論につなげたい(仲田教人)。 マニュエル・ヤン『黙示のエチュード』は、自律マルクス主義の厳密な理論と3.11以降の群衆の闘いとが、著者の語りと文体において出会っている舞台です。わたし自身、3.11以降の熱気と不安にあおられて何も分からないまま行為へと駆り立てられた者の一人だと思っていますが、自分の経験に立ち返りながら著者の問題提起に応答したいと考えています(木本将太郎)。 |