前回の小論で紹介したアレクサンドル・カザコフ著『北狐』のプーチン論にとりわけ着目すべき個所がある。引用する。
――例えば、アメリカの大戦略は目に見えている。この点で、何故プーチンは自分の大戦略を秘密にするのか、と問うことが出来る、答えは、別に特異ではなく、単純だ。仮にプーチンが大戦略の一端でも見せれば、あるいは、戦略の近遠目標でも明かせば、彼は……負けるだろう。……この事情をより分かり易くする為に、具体的例を示すことが出来る。ウクライナとドンバスの件だ。これらに関するプーチンの計画と戦略を知っていると誰が語れるだろうか。誰も知らない。もしも、プーチが近い将来ドンバスをロシアに併合すると、それからその分離の後に、ウクライナ全体を段階的に併合するつもりである、と声明したならば、これらの戦略的目的の達成がより簡単になるだろうか?。勿論、否だ。プーチンの「大戦略」を打ち崩す為にどんな反撃をどんな方向に向ければよいのかを、すべての敵方に、反対者達に、そして極度に慎重な友人達に分からせてしまうからである。――(pp.29-30)
『北狐』は2019年以前に書かれている。すなわち、上記引用文にも露の対烏戦争=露の対烏侵略以前の文章だ。著者カザコフは、上記引用文の表に出していない全ウクライナ併合論を暴露したいのか、著者自身が希望しているウクライナ併合論をそう考えていないプーチンに持ってもらいたいのか、読む方としてはすっきりしない。そして、この一文は、プーチンが2002年「ネットワーク原理に従って組織される新型帝国の建設に着手した」(p.14、強調は岩田)と言う主張=仮説の延長に登場する。著者によれば、ロシアも国家論は、必ず帝国論になる。私=岩田には、著者の言う「ネットワーク帝国主義」(p.91)の規定が分かりにくい。それに関してはここで私の理解を記す。
大弱国ロシアが周辺の弱国家のリーダーとなって、東西では西より、南北では北よりの地位を活用し、世界的に活動する。例えば、対テロリズム問題世界ネットワーク等の諸ネットワークに参加し、他の参加中小諸国の主権的・自立的発言権をサポートし、ロシアの存在感を印象付ける。その間、国内的に経済的・軍事的実力を蓄積する。真に帝国と言われ得る実在をめざす。勿論、USA、NATO、EU、中国、印度とは張り合わずに、交際する。すなわち弱者の帝国論である。
丁度同じ頃に登場した西欧政界の新帝国主義論、すなわち強者の帝国論に触れておこう。
ロバート・クーパー著『国家の崩壊 新リベラル帝国主義と世界秩序』(北沢格訳、日本経済新聞出版社、2008年、The Breaking of Nations Order and Chaos in the Twenty-First Century、2003)は、2026年現在の露烏戦争における英国の関わり方を理解する上で必読であろう。
著者ロバート・クーパーは、英国の上級外交官、EU理事会の対外・政治軍事問題担当事務局長、ブレア政権の外交戦略の主柱。2002年に新リベラル帝国主義論を打ち出した。
ロバート・クーパーによれば、21世紀の世界は、プレ近代国家(近代国家成立以前の諸社会)、近代国家、そしてポスト近代国家(近代国家以降の政治経済連合体系)から成っている。ポスト近代国家の実例は、EUである。そして、ポスト近代国家は、その外部の諸難問に関して、ポスト近代的介入を実行すると主張する。
――したがって、ポスト近代国家は、ある困難を抱えている。二重基準という考え方に慣れる必要がある。ポスト近代国家は、ポスト近代国家どうしの間では、法と、オープンで共同的な安全保障に基づいて行動する。しかし、ポスト近代の境界線の外にいる、もっと旧式の国家に対処するときは、ヨーロッパ諸国は古い時代のもっと乱暴な手法に訴えるだろう。武力、先制攻撃、欺瞞など、自ら望んで一九世紀的世界に生きているすべての国家にとって必要であるなら、手段を選ぶことはない。
このジャングルでは、ジャングル法に従う以外に手立てはない。――(p.99、強調は岩田)
私=岩田が旧ユーゴスラヴィア多民族戦争期と新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロから成る)へのNATO侵略期にひんぱんに目撃したダブルスタンダードは、意識的かつ意図的であった事が上記引用文によって初めて知らされた。西欧市民社会知識人の多くが自分達のダブルスタンダードへの批判に対して無反応であった理由が今になって分かった。
露人カザコフがプーチンに見る「ネットワーク帝国主義」であれ、EUの政治問題担当事務局長クーパー(勿論、英国のEU離脱以前)の「新リベラル帝国主義」であれ、そこに表出される「帝国主義」にマイナスの含意はない。我が祖国日本は「帝国主義」のマイナスの含意を決して忘れてはなるまい。
上記二帝国の言語作法について私=岩田の印象論を記す。ネットワーク帝国においては、寡黙(秘密保持)である。新リベラル帝国においては、雄弁(二枚舌)である。ただし、前者は、定期的に多弁。後者は、肝心な時に無言。
2026年・令和8年1月30日(金) 岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net
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