パッションで断絶を乗り越えようとするロマン主義についてシェリング哲学との関連で講義で説明しているだが、理解しがたいというコメントがあった。
シェリングは、スピノザ的汎神論に共鳴しており、木の中にも絶対者を直観しようとする、コメントによるとそれは不自然で納得できないという。またパッションは命がけになるほど盛り上がるので、恋愛に関しては貴婦人との不倫がドイツロマン主義文学の題材になったという話しをしたが、これに対しては、ロマン主義で不倫が横行するようになったら困るではないかという反応である。
絶対者と相対者、神と人、人と事物、物と物との区別をきっちりし、人間関係の秩序をはっきりさせるということは、それが知ということで、哲学の根本であるから、このコメントの反応は或る意味まともなのである。
しかしそうした区別に囚われ、その間にひびが入り、断絶に陥ってしまうと、心が通わなくなり、みんなバラバラになってしまって、孤独地獄に喘がなければならない。神と人、天と地、人と宇宙、人と人、人と自然、人と事物はみんな一つのものの現れであることを覚ろうとするのも哲学の根本なのである。
物ごとの区別や社会の決まり、法道徳なども大切なのだが、それを学ぶだけで、断絶に喘ぎ、心を通わせようとする魂の飢えや、情熱で断絶を乗り越えようとする胸の痛みが感じられないようでは人生は干からびてしまうのである。
もちろん犯罪や不倫を奨励するわけではないが、たった一度の人生であり、青春である。思い切り己の命を燃焼し、情熱的に生きなければ生まれてきた甲斐がないではないか。その意味で命がけで犯罪や不倫に身を焦がす人にも、その真情から学ぶところがあるということで、『源氏物語』『水滸伝』『金瓶梅』なども名作とされてきたのである。
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〔opinion0803 :120315〕