”扇“はカウンターだけの細長い狭いバーで、ピアノを置くスペースはなかった。置く気になればカラオケくらい置けただろうが、マスターの拘りがあった。歌いたいのならピアノバーに行けばいい。そこは気の置けない男仲間が一杯やりながら、客同士がなんとなく知り合いになって男同士の付き合いの場だった。
それでも多少の商売っ気はあったのか、カウンターの向こうに一見二十歳かそこらにしか見えない若い女の子を入れた。日本人の女性はあえてもってこなかった。アメリカ人なら男同士の日本語の話には入ってこれない。話しかけても長続きしないアメリカ人が“扇“には合っていた。
アメリカ人としてはちょっと痩せすぎ、170cm弱で小柄だったが、『Playboy』のピンナップガールと見間違えるほど綺麗だった。いるだけでいい。ローラがカウンターの向こうにいるだけで店が華やいだ。ただ天然ボケというのか常識の類の知識が足りないのか、話をするとどこかでズレる。話す度に、「天は二物を与えず」の見本のような気がした。ズレにも傾向というのかズレ易い分野があって、それが分かってしまえば、どこでどこまでズレるかを予想しながらという楽しみもある。
義務教育もきちんと受けてないから勘定も間違える。そこは日本のバー、アメリカのバーのように注文する度に払わずに、帰るときにいくらという払い方。多少勘定が違っても、客は大雑把で今日はちょっと安かったとか高かったくらいにしか思わない。店の方はそうは行かない。マスターがたまに勘定ができないローラを叱っていた。
日本のバーで働く娘が心配だったのだろう、店が閉まる二時ちょっと前に父親が迎えに来ていた。客でもないという気持ちもあったのだろう、カウンターの奥に座って時間になるのを待っていた。ローラを気にしていたのでちょうど良かった。見るからに人のよさそうなオヤジさん。十分十五分という短い時間だったが世間話に交えながらローラのことを聞こうとしたが教えてくれなかった。こんなバーに入り浸っている日本人と思われていたのだと思う。
ジョニーがいつものようにひょっこり顔を出すのは変わらなかったが、話し相手が男連中からローラに代わった。陽気なイタリア系、ローラともすぐに打ち解けた話をしているように見えた。ジョニーの軽さが羨ましかった。野暮天には真似ようとしてもできない。
ところが、何ヶ月も経たないうちにジョニーとローラの口の利き方がおかしくなった。何を言っているのか聞き取れないのだが、口ぶりにどこか棘がある。二人から相手の悪口ともつかない話を聞かされた。聞いたことを話せるわけでもなし、気が付いたときには間に挟まれて悪口の聞き役になっていた。
ジョニーの部屋の遊びに行ったときに何を喧嘩してるんだと言ったら、「分かれた。写真もいらないから欲しければ。。。」見慣れたワンピース着て、アイリッシュバーのカウンターに座って足を組んで微笑んでいる写真を一枚もらった。財布に入れられる大きさに切って宝物のように持ち歩いた。分かれたと言われても、いつできたのかもしらなかった。「気にしてるんだったら、お前が引き継げ、その方がいい。」女にゃ困ったことがないジョニーがローラとのことでは落ち込んでいた。
ジョニーに引き継げと言われたところで、何をどうできる訳でもない。その辺の感情の機微には疎い。男女関係には縁のない野暮天。それでも二人がああだのこうだの言ってきていたからローラと話をする機会が増えた。不自由な英語でも、気持ちだけはなんとか伝えられる。ただ機微にまでは行かない。伝えたかった気持ち、親切ないいヤツとしか受け取られなかったのだろう。父親までが安全な男と信用してくれた。嬉しいやら情けないやら、父親の都合がつかないときには家まで送り届ける羽目になった。
送り届けると言っても、まずローラの実家に立ち寄って、一歳半くらい娘のレオナを拾って、それからローラのアパートに。映画の世界でなくても、そこで何かあってもおかしくなかっただろう。なんにしても不器用、手も握ることもなく、そのまま下宿に帰るか、“扇”に戻ってマスターとマンハッタン番外編に出かけた。何をするにも自信がなかった。
そんなことをしていれば、ローラの両親や弟とも知り合いになってしまう。父親から入って来いと言われて上がりこんで、父親はビール、こっちはソーダを飲みながら、日本のことや仕事のことを聞かれるままに話した。こんなはずじゃなかったのにと思ったときには遅かった。家族の知り合いになってしまった。バツ一、こぶつきでもかまやしない。結婚を前提にした彼氏になりたかったのに。。。
亭主とは別居状態と聞いていた。後で分かったことだが、Domino Sugarで夜勤をしていたから、夜というのか朝方行っても留守なだけだった。実家からアパートに帰っても、レオナが興奮していてなかなか寝ない。よくベッドで添い寝して寝かしつけた。居間で遊ぶ時間も多かったからだろう、ある日レオナにダディー(日本で言えばパパあたりか?)と呼ばれたときは、ローラも驚いて見詰め合った。二人して真面目な顔して見詰め合ったのが、なんとなく恥ずかしくて、どちらからともなく軽い笑いでつくろった。面食らったが嬉しかった。でもそれから先は何も起きない。起こす術を知らなかった。
何度もローラのアパートでレオナ相手に遊んでいたし、夫婦のベッドにも添い寝で横にもなっていた。フツーの人なら亭主がいるかいないかくらい分かるだろう。何にしても鈍感でただのいい人だった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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