ローラを探しに「銀嶺」に行って見つけたまではいいのだが、邦子に引っかかって、次にローラに会ったのは数ヶ月経ってからだった。「銀嶺」からアパートに帰る足は、また父親に頼んでいるのだろう、と想像していた。足を頼むとは言ってこなかった。
後になってみれば、大した目的もなく、あっちこっちに引っかかっている時間がよくあったと不思議でならない。若いというのは目的のあるなしにかかわらず、使える時間があるということかと思うことがある。歳をとると公私ともに拘束される時間が増えて、自由になる時間を見つけにくくなるということかもしれない。
ローラに電話して、何があるわけでもないのに、また週末アパートに遊びに行くようになった。行くのが途切れる前とまた行きだしてからは、状況というのか時間のつぶし方というのか、ローラとのありようが大きく変わった。もっとも変わったのは、こっちの気持ちの整理に関係することで、状況は何も変わらなかったといった方があっていた。
前行ってたときにはいなかった旦那のルイがいた。ローラからは別居していると聞いていたから、まさかルイがいるとは思わなかった。初めて会って、事情はともかくというのも変だが、問答無用、オレの女房にで。。。ぶん殴られてもおかしくない立場だった。手も握ったこともないし、三人の将来ということでは何を話した訳でもないが、レオナを引き取ってでも結婚したいと思っているのは事実だったから。
ローラがルイにどう説明したのか分からない。多分、ただの知り合いで、ただのいい人だからとでも言ったのだろう。初対面で緊張しているのはこっちだけで、ルイには旧友のように歓迎された。ローラは夕食の支度をしたり、レオナをかまっている。こっちは男二人して何を手伝うわけでもなく、世間話をしながら、マリワナやりながらくつろいでいた。
ルイのたしなみ方は効率がよかった。ジョイントを直接吸うのではなく、バズーカというビンを使っていた。バズーカは1.5リットルくらいの大きさのプラスチックのビンで、まずジョイントの煙をバズーカに溜め込む。十分溜まったところでビンの口をくわて、ビンを両手で持って押しつぶす。押しつぶせば、吸わなくても煙が口から肺に入ってくる。ジョイントは細いから、ちょっと気を入れて吸わなければならない。人間とはここまで横着かと自分でも思うのだが、吸っていると吸うのが面倒になる。バズーカはその面倒を解決してくれる。
アメリカでも身内を卑下して言うのが礼儀なのかどうかしらないが、ローラはルイを卑下しないまでも、持ち上げるような話はしなかった。ルイは見るからにプエルトリカンで、ローラがたまに半分冗談のような馬鹿にするような口ぶりで、リトルセニュールだからという言い方をしていた。ある晩、夫婦喧嘩の後だったのだろう、ルイには前科があるから。。。とも言っていた。聞いている話から想像する限りだが、二人とも高校をまともに卒業していない。どっちもどっちの夫婦だった。
ルイとたわいのない話をしていたら、思い出したようにDomino Sugarの組合役員名簿を引っ張り出してきた。名簿を渡されても、何なのか、何を言いたいのか見当がつかなかった。これが日本語なら一目で分かるのだが、英語だと人名リストを読む作業とそれに続けて理解するプロセスが必要になる。ルイに「役員の苗字を見てみろ、なんか変だろう。」と言われた。何のことかと思って改めて見たら、数十人はいる役員全員がイタリア系の苗字だった。気がついたのが分かったのだろう、「そういうことだ、オレも働いてみるまでは知らなかった」
アメリカで砂糖といえば、Domino Sugarしか見たことがなかった。スーパーマーケットの家庭用サイズのパッケージでもコーヒーショップのスティックパッケージでもDomino Sugar以外のブランドを見たことがない。独占禁止法がしっかり機能しているはずだから、独占はないのだろうが、ニューヨークとその周辺でうろちょろした経験からでは独占にしか見えなかった。その企業の労働組合の役員がイタリア系の人たちで占められている。それも五人十人ではない。数十人全てがイタリア系、ただの偶然とは思えないし、お互い知りもしない間柄でもないだろう。まさかイタリア人は砂糖が好きだからなどという漫才のような話でもないだろう。名簿を見ただけで何を調べたわけでもない。想像でしかないが合法化したマフィアだと思うなという方が難しい。
ルイは話してみれば、ジョニーと同じで気のいいヤツだった。ただいいヤツまでで、ちょっとしたお遊びの仲間にはいいが、一緒に仕事をできるとは思わなかった。ニューヨークで生まれて育ったアメリカ人だが職業上の専門がない。できることは単純労働しかなかったろう。
変な話なのだが、ルイと友だちになってしまって、ローラそっちのけでルイの実家に遊びに行ったり、ルイの仲間の家に二人で飲みに行っていた。収入がないから遊ぶ金もない。もともと貧しいから遊ぶといってもしれている。仲間で集まって食って飲んで、マリワナやるだけだった。
ルイと遊んでいて、おかしなことが見えてきた。ローラとレオナが日常生活にも切羽詰っているのに、ルイにはその実感がない。(見えなかっただけで、ルイはルイで職探しに疲れ果てていたのかもしれない) ルイは、父親を呼ぶにも、まるで友だちに対してのようにニックネームで呼んでいた。ニックネームで呼べと父親に言われて育ったと言っていた。偏見だとしかられそうだが、プエルトリコ人社会にはルイのような所帯の実感のない人たちが多いのかもしれない。所帯の実感というのか責任が希薄だと、今風の言葉でいえば自由恋愛のような雰囲気が醸成される。野暮天で理解する能力は限られていたが、それでも、どうみても行くところまで行ってしまっているガールフレンドいる。こっちはルイの女房が気になる。ルイは女房をほったらかしてガーフレンドと遊んでいる。
ある晩、ルイが留守で、ローラの新しいボーイフレンドがアパートにいた。驚いたしがっかりしたが、つとめてフツーを装った。名前も何もしらないが、何度か会っているうちに、なんとなく知り合いになって、一緒にマリワナやって世間話していた。ジョニーに似たイタリア系の面立ちで三十半ばにみえたが、老けて見えるだけかもしれない。ガキのころからドラッグやってたせいで、この歳で総入れ歯だと言って、外して見せられた。外した物も外した顔も、もうグロに近い。
選りによって、なんでこんなんのと思っても、選ぶのはローラで、こっちはただのいい人でしかない。それはそれでいいじゃないかというより、しょうがない。何をするにも相手次第で、できることは限られている。ジョニーのときと同じように、そのうち熱も冷めるかもしれないと期待して待っているしかない。
一年以上経ってだが、ルイとローラが離婚話で大喧嘩になったときに、ルイからはローラのボーイフレンドのことを、ローラからはルイのガーフレンドのことを聞かれてというより職務尋問のような質問攻めにあって往生した。どっちも、何度か会ったことがあるだけで名前も知らない、ただの知り合いだった。ただならぬ関係ではあるのは間違いないと思うが、現場に出くわした訳でもなし、細かなことは知らない。二人には何も言わずに通した。
ルイがどのような仕事をしてきたのか、しているのか聞けなかった。状況からの想像でしかないが、Domino Sugarの工場で夜勤の雑用係だったのが、何かのことで首になったのだと思う。夜勤だったから、早朝アパートに行ってもルイはいなかった。それをローラは別居中だと言っていた。
ルイが職を失ってからローラのホステスの収入だけで一家三人が食べてゆかなければならなかったのだろう。
以前から生活には厳しいものが見え隠していたが、見えることが加速的に多くなっていった。
何ヶ月かして、ローラから金を貸してくれと電話が入った。なんのことかと思ってアパートに行って話を聞いたら、家賃を二ヶ月以上払えないで、階下の大家から立ち退きを要求されていた。言葉は貸してくれだが、帰ってくる見込みなどあるわけがない。翌週、銀行で小切手を現金に換えてローラに手渡した。貸すのではなく、あげると言ってローラに渡した。ローラの嬉しそうな、すまなそうな、困ったような顔が嬉しそうなだけになって、「けちな大家に払ってくる」と言って、階下に下りていった。上がってきたローラの顔は、催促されることがなくなってほっとしたという顔になっていた。
翌週遊びに行ったら、レオナが新しいおもちゃで遊んでいた。いくらかをレオナのおもちゃに回したのだろう。それまで気がつかなかったが、アパートではおもちゃなどほとんど見たことなかった。
それから数週間後、アパートに入ると、レオナが走ってきて「Moving out, you know, we are moving.」といって興奮していた。アパートは古い木造で、ケネディ空港の近くのアケダクト競馬場の近くにあった。決して住みたいと思うようなところではなかったが、それでもクイーンズの住宅街だった。引越し先はブルックリンでイーストリバーからさほど遠くないスラムの一角だった。テレビや映画で出てくる、かつては商店だった一階が焼けてしまって、一見廃墟にしか見えないビルの二階から四階がまだアパートとして使われていた。フツーのアメリカ人は足を踏み入れない、ましてや日本企業の駐在員がうろちょろできるようなところではない。
スラム街に引っ越されたおかげで、後日まさかこんなことまでという経験をさせてもらうことになるとは想像できなかった。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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