ポーランド最有力日刊紙『選挙新聞』(Gazeta Wyborcza、2019年5月13日)に
まことに意味深の署名記事が出た。「ワレサの聴罪司祭ツィブラはSB(公安)の協力者だ」がそれである。
日本でもそれなりに報道されているように、結婚が禁制の神父達による性的虐待や稚児性愛(pedophilia)なる醜聞が今日全世界のカトリック教会を揺るがしている。ポーランドのようなカトリック教国では社会を動揺させる大政治問題である。「自分は神父の子供であった。DNA鑑定で証明された。」と名乗り出る人物もいる。
そんな時に、神父達のかくされた性愛と稚児愛の実態を暴露したセキュルスキ兄弟のよるドキュメンタリー映像作品がYou Tubeで流された。あっという間に800万人が観て、社会に衝撃を与えた。但し、私は未見である(その後観たが、2000万人を超えていた)。上記の記事はその波紋の一つである。
以下に要約紹介する。
ツィブラ神父はセキュルスキ兄弟のフィルムに登場する聖職者達の一人である。そして、レフ・ワレサが大統領だった時代、1990年代前半に最も影響力のあった神父。ツィブラ神父の性的要求の犠牲者達の一人、現在は成人男性は、1990年代中半、神父がヴェルヴェデル(ワレサ大統領府宮殿:岩田)の黒幕であった時代の末期に12-13歳の頃に被害に会っていた。
――ツィブラ神父は1940年グダンスク生まれ。1960年代末に労働者ワレサが彼のミサに出席。ワレサは自分の結婚式で同じ世代のツィブラ神父を婚前告解司祭とした。その後、グダンスク造船所の大ストライキ以来レフ・ワレサの聴罪司祭である。
――1991年、ワレサが大統領になるや、ツィブラ神父を大統領付き司祭に任命する文書に署名。大統領としての最初の署名である。1995年にワレサがアレクサンデル・クワシニェフスキ(共産党時代のスポーツ大臣:岩田)に敗れるまで、ツィブラ神父は毎朝7時30分に宮殿のチャペルでミサを執り行う。それ以来、ワレサ最側近三人の一人。
――ツィブラ神父の名前がSB(公安)協力者リストにある事が判明する。彼に関するファイルは抹消されてしまったが、諸証拠文書によれば、1969年から1990年まで“Franek”というコードネームの公安協力者であった。すなわち、レフとダヌータが結婚式をあげた年にツィブラ神父は協力を引き受けた。神父は回想記に「署名したからと言って、協力者の活動をしたことにならない。」と言っているが。
周知のように、「ワレサ=SB」スパイなる説は、ポーランドの国論を二分している。その上に、ワレサ最側近のツィブラ神父も亦そうであったとなると、ワレサの嫌疑は深まる。彼等は体制協力者であり、かつ体制転覆者でもあった。かかる概念上の矛盾を真実と見て、1989-91年の体制転換を説明するには、知識人市民に耳ざわりのよい「市民革命」論は無力であり、私=岩田の持論である「大政奉還論」が生きて来よう。
令和元年・2019年6月2日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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