三人に卵一個-はみ出し駐在記(64)

土曜日の夕方、ローラから電話がかかってきた。こっちから電話することはあっても、かかってくることはなかった。間違い電話だろうと思ってとって、ローラからの電話だと分かったときは、それだけでうれしかった。

直裁な言いかたしか出来なのに、何かごちゃごちゃ言っていた。いくら聞いても何を言っているのか分からない。聞いたことを自分の言葉に言い直して、何を言いたいのか確かめようとした。

妙に言葉数が多いのだが、要は「夕食まだだったら、夕食に来ないか?」だった(と思った)。ローラのアパートで何度かとても食事とはいえないものを食べたことはあったが、時間も時間だし、なりゆきでそうなっただけで、食事に招かれたわけではなかった。変な話し方だったので半信半疑だったが、初めて夕食に招かれたという嬉しさが半信を前に押し出して半疑を見えなくした。

夕飯をどうしようか、また「さっぽろ」に行ってすき焼きでも食べるかと思っていたところへの電話だった。さっさと支度してローラの新居、ブルックリンのスラム街にあるアパートに出かけた。ローラとルイとレオナと四人で夕食をと思うだけでうきうきしていた。道すがらガススタンドによってソーダを買って、うれしいときを長引かせるようにゆっくり走って行った。ローラが料理らしい料理を作ったのを見たことがなかった。わざわざ食べに来いというくらいだから、特別なものではなくても、何か気のきいたものでも作っているのだろうと期待していた。

アパートが建っている道に入って走って行ったが、絵に描いたようなスラム街で道に人影がない。ローラのアパートがあるから走ることになったが、フツーだったら日中でもそんな道を走ることはない。かつては商店だった一階の多くが火事で焼けて、その跡をあり合わせの板で封鎖した建物が並んでいる。たまになんだか分からない荒んだ感じの店もあるが、客がいるようにはみえない。

それでも道のあちこちにポンコツ車が止めてある。出来るだけアパートの近くの空いているスペースを見つけて駐車して、ローラの部屋のベルを鳴らした。もう、そろそろ着くころだと分かっているから、誰と確認することもなく、一階のドアを開けてくれた。薄くらい階段を登って行ったら、ローラとレオナがドアを開けて待ってくれていた。

部屋に入って、あれ、なに?、テーブルの上には何もない。夕食に招かれてきたんだけど、夕食らしきものもなければ、準備をしていた様子もない。メシはどこだと思ったが、口にはだせなかった。事実として何もない。買ってきたソーダを二缶とって、一つをルイに渡して、一口飲んだ。残りの四本を冷蔵庫に入れておこうと思って冷蔵庫を開けたら、家電屋に展示してある冷蔵庫のように、きれいさっぱり空っぽだった。ドアの内側を見ても牛乳もなければジュースもない。卵入れに卵が一個あった。親子三人で週末に卵一個しかない。

ローラがぐちゃぐちゃ言っていた理由(わけ)が分かった。遠まわしにしか言えなかったのだろう。まさか、卵一個しかなくて食べるに食べられないから、夕食を食べに連れて行ってくれは言えない。回りくどい言い方をされて、言われていることが分からなかったから、夕食を食べに来いって言うことだよねって、何度も確認してしまった。それをローラはイエスでもノーでもなく、曖昧に答えていた。

勝手に冷蔵を開けてしまって悪いことをしたと思った。ドアを閉めて、おそらく必要以上にだったと思うが、明るい声で、みんなでイタリアンでもいいし、チャイニーズでもいいから食べに行こうって、レオナを抱いて言った。ルイの方を見て、時間も時間だし急ごうぜって言ってから、つくり笑いだったろう、ローラに目で、そうしようって。。。

どこに行くかと話していたら気まずくなる。まず、アパートを出ちゃえと思って、レオナの手を引いてドアを開けた。ローラにどこにするって聞きながら、階段を降りていった。車のエンジンをかけても、まだ行き先が決まらない。ルイとローラに遠慮というのか恥ずかしいという気持ちがあったのだろう。決まらない。どこでもいいが、地の利がないから、自分では決められない。

ローラに、お前が決めちゃえって急がして、前に行ったことのある近間のイタリアンに行った。チャイニーズだと何にしようかと迷ったあげくに変なものを注文しかねない。イタリアンならピザでもパスタでもなんでも、アメリカ人にとっての定番で決まりだから、大当たりもないが外れもない。

美味くも不味くもないイタリアンをたらふく食べて、ローラに言った。「このあたりに二十四時間開いてるFinastかなにかスーパーマーケットはないか?」「ソーダ六本しか持って来なかったから、ビールか何か買って帰ろう。」今晩はいいが、明日から困るのは分かっている。ちょっと遅い時間になってしまったが、レオナも連れて四人でスーパーマーケットに行った。

ちょうどそのころグラムシの獄中ノートに関する本を読んでいた。『経済学批判』も『資本論』もその延長線にある本も赴任する前に読んでいた。社会に直面して生きてゆこうと心に決めていたが、いくら考えたところで二歳半になったレオナ一人救えない。いったいオレは何なんだって、何ができるんだ、何もできないじゃないかって、下宿に帰る途中でそう思いだしたら涙が出てきて止まらなかった。目がかすんで前がよく見えない。涙を拭こうとすれば眼鏡を外さなければならない。眼鏡を外せばますます前が見えない。ぼやけた目で高速をのろのろ走って下宿に帰った。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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