シンポジウムのご案内をさせていただきます。
今年は三池炭じん爆発から50年の節目の年に当たります。この節目の年にあたってシンポジウム「原田正純追悼 三池、水俣…そして福島 ~ 専門家の責任とは何か」を福岡市内で開催いたします。 主催の三池CO研究会は設立当時から故・原田正純も一員として資料収集などに当たってきました。最後は副会長として史料集刊行の任に当たりました。水俣とともに「車の両輪」(本人談)だった三池での原田の業績をたたえ、その死を悼むため、ご遺族の了解を受けた上で、本シンポでは原田の追悼を掲げることに致しました。
●企画趣旨
三池の炭じん爆発は死者458人のほか、労災認定されただけで一酸化炭素(CO)中毒患者839人を出す戦後最悪の炭鉱事故となりました。
この事故で問われた最も重要な論点が「専門家の責任」でした。
「風化砂岩説」を持ち出して会社側の過失を放免しようとしたのは九州鉱山学の権威とそれに付き従う工学の専門家でした。また「組合原性疾患」という非科学的な見方を医学の診断に持ち込み、患者の切り捨てに手を貸したのは九州大学医学部を中心とする医学者たちでした。行政は「専門家の意見に従った」と言い、専門家は「決めたのは行政だ」と言いました。当事者たちはこうした専門家の「お墨付き」をひっくり返すのに膨大な時間と費用を強いられました。こうした専門家が当事者と対立する構図は時期を重ねるように水俣でも起こりました。
三池や水俣で起こった歪な専門家の立ち位置はただされたのでしょうか。
主催者の三池CO研究会で副会長を務めていた原田正純は三池や水俣での体験に根ざして、亡くなる直前まで福島原発事故を招いた「専門家の責任」を問うてきました。
事故から2年半が経ちましたが、いっこうに収束の道筋さえも見えず、いまも15万人以上もの人たちが避難生活を強いられています。「安全神話」を振りまいていた専門家は沈黙を守るばかりです。また、福島県は県民健康調査を実施して県民の「被曝と健康」の関連を探っています。多くの子どもたちに小児性甲状腺ガンの疑いが指摘されていますが、「被曝との関係はない」と片付けていいものでしょうか。三池や水俣にかかわり、いま福島でも発信を続ける講師の方々をお招きして、三池や水俣を通じて光を当てられた「専門家の責任」を明確にしながら、その教訓はどのように福島などで生かされるべきか、当事者と専門家はどのような関係にあるべきか、それらを考えていきたいと思います。
●問い合わせ
福岡城南法律事務所(美奈川弁護士):092・771・3228
●主な式次第
■演題
原田正純追悼 炭じん爆発50年
三池、水俣…そして福島 ~ 専門家の責任とは何か
■主催
三池CO研究会(会長・美奈川成章、副会長・大原俊秀)
■日時
2013年11月9日12時~(終了予定:16時30分)
■場所
九州大学医学部百年講堂会議室(福岡市東区馬出3−1−1、電話:092-643-8867)
■入場料
700円(資料代として)
■主な内容
《基調報告》
美奈川成章(三池CO研究会会長)
「炭じん爆発50年 ~ その教訓と課題を探る」(仮題)
《報告》
鎌田慧氏(ルポライター)「三池と福島」(仮題)
津田敏秀氏(岡山大学教授)「水俣と福島」(仮題)
《現地からのメッセージ(ビデオ)》
松尾蕙虹(三池CO研究会、元三池CO家族訴訟原告)
《パネルディスカッション》
テーマ「専門家の責任とは何か」
司会 木村英昭(三池CO研究会、朝日新聞記者)
パネラー 鎌田慧氏、津田敏秀氏、美奈川成章
《総括報告》
黒田光太郎氏(名城大学教授)
【講師・パネリスト略歴】
■鎌田慧(かまた・さとし)/1938年青森県生まれ。ルポライター。早稲田大学卒業後、新聞・雑誌記者を経てフリーに。『自動車絶望工場 ある季節工の日記』『去るも地獄残るも地獄 三池炭鉱労働者の二十年』『国鉄処分 JRの内幕』など労働問題に関する著作は多数。原発に関する著作も多く、中でも『六ケ所村の記録 核燃料サイクル基地の素顔』は毎日出版文化賞を受賞した。福島原発事故を巡っては、作家の大江健三郎さんらと「さようなら原発一千万人署名市民の会」の共同代表を務めている。
■黒田光太郎(くろだ・こうたろう)/1949年福岡県生まれ。名城大学教授。工学博士(材料科学工学)。九州大学大学院博士課程後期課程単位取得退学。名古屋大学教授、高等教育研究センター長、教養教育院副院長などを歴任。柏崎刈羽原発の耐震性などを審議する新潟県設備小委員会の委員を務めている。共編に『福島原発で何が起きたか 安全神話の崩壊』(2012年、岩波書店)がある。科学技術と人間のあり方を論じた発信も多く、技術者として責任ある仕事をするための指針を提示した編著として『誇り高い技術者になろう 工学倫理ノススメ』(第2版、2012年、名古屋大学出版会)がある。
■津田敏秀(つだ・としひで)/1958年兵庫県生まれ。岡山大学大学院環境生命科学研究科教授。専門は疫学、環境医学。岡山大学医学部卒業。昨年、水俣病と疑われる人を鹿児島や熊本県の保健所に届けることで、実態調査を怠る両県の姿勢を批判した。〈3・11〉後は、福島県双葉町のアドバイザーも務め、疫学の立場から福島県民の「被曝と健康」の問題について発信を続けている。11月には『医学的根拠とは何か』を岩波新書で出版予定。著書に『医学と仮説 ― 原因と結果の科学を考える 』(2011年、岩波科学ライブラリー)、 『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(2004年、岩波書店)、『市民のための疫学入門 ― 医学ニュースから環境裁判まで』(2003年、緑風出版)。
【「三池CO研究会」とは】
1971年、三井鉱山を相手取った裁判の可能性を検討する会として発足した(1次)。その後、提訴に向けた原告支援の活動を本格化させるため、1972年12月1日に再発足した(2次)。美奈川成章、増子義久、原田正純(故人)ら、法律家や医師、ジャーナリストらが参加した。1993年3月にあった福岡地裁判決後に自然解散したが、史料集を刊行する目的で、1999年10月25日、新たに立ち上げ、現在に至る(3次)。史料集は2期にわたって『三井三池炭じん爆発事件史料集成』として柏書房から刊行された。1次から3次まで、会長は技術論が専門の星野芳郎(故人)が務めた。3次では原田と美奈川が副会長を務めた。星野、原田の死去を受けて、2013年8月7日、会長には美奈川、副会長には大原が就く。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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