下部構造を変える技術革新

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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二十歳で工作機械メーカに就職して、小さいながらも社会を構成する基礎単位の一員になった。七十二年、まだ官公労には力が残っていて、さかんに国民春闘がいわれていた。そんな掛け声とは裏腹な会社と社会党右派の労組の茶番のおかげで、社会がぼんやりと見えてきたような気がした。社会的な基礎知識がないから、みえたものまでがみえたまでだったが、全体像を理解するには経済学や哲学の知識が不可欠だろうと思いだすところまではきた。
この年になるまでそれなりに読んではきたが、所詮技術屋崩れの素人、いつまで経っても分かったような気がしない。入門書や解説書に大学の専門課程で教科書として使われている本も手にしてきたが、未だに目の前で起きている社会の変化を説明できるツールがみつからない。ツールなんていったら叱られそうだが、経済学を専門としているわけでもなし、ほしいのは学術的に精緻な理論より実社会を理解するための手段でしかない。

どの学説も経済現象をモデル化して、そのモデルのうちなら有効に現象を説明できるというまでのようにみえる。実社会の動きとなると関係する要素があまりに多すぎて、体系立てた理論や学説にし得ないのだろうと想像している。それでもどこかにもっと実用に即した説明の一つや二つあってもいいじゃないかと、この一年間だけでも数冊は読んでみた。これはと感じたのは経理や財務の実用書だけだった。ただそれは企業の収支決算の延長線までで、切れ味はいいが小刀程度の威力しかない。
日本とアメリカで公認会計士のお世話になった経験からだが、会計学の延長線では定型化した上っ面までしかわからない。計量経済抜きの概論では入門書の延長線で終わってしまいかねない。社会全体をスパッと見わたす基礎はマクロから国際経済学、そして視線はマルクス経済学でなければならないと、素人が勝手に思っている。

出版された書物である必要もなし、もしかしたら研究会とかセミナーでなんらかのきっかけが得られるかもしれない。そこで、グローバリゼーションだとか、経済格差や新自由主義やコミュニティがどうのというものから生産力や生産性などという言葉が並んでいるセミナーに出かけている。
出かけるたびにがっかりして、もういい加減にと思いながら懲りもせずに、どこかにいいセミナーはと探し続けている。
がっかりもし続けて、なんとはなしにがっかりの要因にもいくつかの類似性があることに気がついた。なかにはとんでもない外れもある。データとしては扱えない例を一つ挙げてから、類似性について一言二言言わせていただく。
新型コロナウイルス禍が騒ぎになる前だから、もう三年か四年前になるが、某有名私立大学からセミナーの案内が届いた。そこのセミナーには何度かお伺いして、その都度のがっかりにもういいやと思っていた。ところがアフリカの経済発展の現状と将来と銘打たれると、スルーするのももったいない。歩いても二十分かそこら、こんどはと期待していってみた。参加者が百人近くいて盛況だったが、南アフリカのいくつかの開発プロジェクトの成功事例というのか機関投資家向けのプレゼンテーションだった。

さすがに、ここまで極端なものは少ないが、講師が出版した本のご紹介というのか即売会を公開セミナーの形にしたものもある。受付に積み上げられた本を目にして、今回も外したなと早々に見切りがついてしまう。

よくあるというのか、学問とはそういうものなのかも知れないが、マルクスの文献学(素人の造語)のかじりのようなセミナーもある。最初から最後までマルクスの著作、多くは資本論だが、そこに描かれていることではなく、書かれていることの解釈論のような話しを聞かされる。聞いていて、だからどうしたと聞き返したくなる。マルクス経済学の視点から現在にいたった経緯も含めて目の前の社会がどのように動いているのか、そして近い将来どのような方向にすすんでいく可能性が高いかまではいいが、その社会の変化を推し進めている科学技術の進歩についての話はでてこない。

その類のセミナーには特徴的なことが一つある。学会でもかもしれないが、多くは巷のマスコミが伝えている言葉を口にはしても、それがどのようにして成り立っているのか、どこからその状態に至ったのか、そこから経済的社会的になにがどう変わって、どう変わろうとしているのかという視点がはっきりしない。最近よく耳にするのはAIと地球温暖化だが、ちょっと前まではグローバリゼーションや新自由主義や経済格差だった。話を聞くかぎりでは、技術革新を生み出している科学技術そのものに関心があるようにはみえない。生産性の向上を生み出している科学技術の理解なしに、マスコミと同じように社会の上部構造への影響を語っているだけに聞こえる。

法律家として社会活動を始めたマルクスが、実体経済、それも社会を便宜的にせよ上部構造と下部構造にわけて下部構造の基礎である生産力の変化、その変化をもたらす生産工程における技術革新に焦点をあてて社会を経済活動の変化からという姿勢が稀薄すぎるような気がする。
素人でしかないが、マルクス思想の根幹には、社会を変えていく最大の推進力は生産性の変化、多くの場合は向上にある。生産性が向上して生産体制が変わる。そして富の分配構造がかわる。下部構造の変化が上部構造の変化を促すという定理のようなものがあるはずじゃないのか。生産性の向上も生産力の変かもなにもかも、資本主義の産物で、それが労働者の生活向上を目的としていないことが問題で、全ては資本主義だからという視点では、今目の前で起きていること、これから起きようとしていることを理解し得るとは思わない。

生産性の向上をもたらす科学技術を用語までしか知ろうとしないで、下部構造の変化をどこまで理解できるのだろう。理工系に興味のない人文系や人文系の知識もない理工系では、おのずと視野もみえる景色も限られたものになってしまうと思うのだが、どうなんだろう。
マルクスが残したのは文献学の素材だけじゃないだろう。社会の下部構造を分析しなければ社会を理解しえないという方法論もあるんじゃないか、と素人が勝手に思っている。
2021/12/17
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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