春洵 藤田泉 作
今年1月、中国武漢から発したと云われる「新型コロナウイルス」が三か月余りを過ぎ、全世界にその猛威を振るい感染拡大を続けている。専門家でも、ましてや医療関係者でもない自分にとっては、この今までに経験したことのない事態を目の当たりにして、刻々と変化する状況を伝えるTVやラジオ、新聞やネットニュース等の切実な情報に、只々不安と戸惑いに苛まされるばかりの毎日が続いている…。
☆丁度50年前の1970年(昭和45年)アジア初、日本で最初の国際博覧会「日本万国博覧会(EXPO’70)」が、大阪府吹田市で開催された。1964年に開かれた「東京オリンピック」以来の国家プロジェクトで、博覧会のメインテーマは「進歩と調和」。コンセプトは「規格大量生産型の近代社会」。参加国77か国、最終入場者数6421万人と、2010年の中国・上海万国博覧会の入場者数7308万人に抜かれるまでは、万博史上最大規模を誇っていた。当時二十歳になったばかりの僕は、おじさんに誘われ初めて万博会場へ。晴天の下とんでもなく広い会場と、見たこともない熱気を帯びた嵐のような人混みの中、一枚のパンフレットを頼りに歩き回った。あまりの混雑に人気のパビリオンは全て諦め、巨大な太陽の塔を真下で眺め、お祭り広場のイベントを観ると、やがて疲れ果て唯一混んでいない小さなアフリカのパビリオンに入った。自分に取って初めてのドキドキ国際体験(?)だった…。そんな社会人2年目となっていた僕は、オリンピックよりも圧倒的に華やかで、「世界の日本と未来への進歩」を直接肌に感じる瞬間だった。
・・・以来、半世紀が経ち21世紀となって20年、「科学技術」の飛躍的な「進歩」はコンピュータ技術を中心に莫大なデータの集積と処理能力の高まり等で「AI(人工知能)」となって「人」の叡智や能力は元より、生命(科学)そのものに迄迫っている。その劇的な発展は移動手段や利便性・多機能化や医療の高度化による長寿命等数多くの恩恵を与えてくれた。その結果、間違いなく急激な地球のグローバル化を生み、「規格大量生産型近代社会」を実現させた。ところが、今年2020年、人類にとって信じ難い「未知のウイルスによる感染」の脅威が新たに出現。一瞬にして被害者が加害者になり「目に見えない無意識な媒体」と「急変する病状」「いつまで続くかわからない不安」、「生活基盤・社会的基盤の崩壊」へと、かつてない恐怖と混乱、未体験で想像のつかない事態が起こっている…。
…振り返れば、ここ30年の間に起きた記憶に残る事故・事件・災害を辿ると、1991年の6月3日雲仙普賢岳の噴火による大火砕流、1995年1月17日の阪神淡路大震災、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ、2005年4月25日JR福知山線脱線事故、そして2011年3月11日東日本大震災が起き、以後2014年から昨年2019年までに御嶽山噴火、熊本・大分中部地震、九州北部・西日本豪雨、大阪北部・北海道胆振東部地震、再び九州豪雨・台風15号・19号…と、枚挙に暇がない。しかもこれらの発生現場の多くの衝撃的な映像や音声がライブで伝えられ、その凄まじい惨状は即座に全世界が目撃。そこには、急速なグローバル化による地球の多様な資源・自然環境への深刻な影響が危惧されている現状が…。
あの華々しく未来に夢を掲げたEXPO’70のテーマ「進歩と調和」から50年、我々はこの「現在(いま)」をどう受け止めれば良いのだろう…? 私達が、人に役立つための『科学技術の進歩』に心血を注ぐあまり「自然を利用する」事にのみ酔いしれ「人類はあくまでも自然の一部であり『自然との調和』の中で生きる事」を疎かに、置き去りにして来なかっただろうか…? 自然への畏敬の念を忘れかけた人間の傲りに、「まだまだ未知な自然」からの「深い憂いの警鐘」を鳴らされている気がしてならない…。
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〔culture0912:200523〕