7月七日七夕の日私は原発集会がちきゅう座であると間違えておばあたちに出合った。
それは、「辺野古と共に国会に座り込む会」だった。猛暑だった。
おばあたちは「普天間基地撤去」「名護市辺野古への新しい代替基地中止」を求めて座りこみをしていた。
彼女たちは私に言った。「基地は戦争を防がない、むしろ住民を危険に巻き込む」
「これ以上沖縄に犠牲を払わせないでほしい」と。
第二次大戦で沖縄は本土の防波堤として子供を含め島の人の四分の一が犠牲になった。一九七二年の「本土復帰」のあともレイプ、交通事故、誤爆騒音と米軍基地は沖縄を苦しめ続けた。
日本の六%の沖縄に日本中の米軍基地の七五%が、ひしめいている。
米軍が一番早くに作った日本軍のつくりかけの飛行場は拡張され住民の住まいもお墓も呑み込み現宜野湾市のまんなかの危険な普天間飛行場として占領。授業中の校舎に米軍機が墜落した小森事件も起こっている。世界一危険な空港である。
ウルトラ愚かな日本政府は、辺野古の美しい海をうみたてろという。
そんなことすれば私の大好きなジュゴンやウミガメは生息できない。
名護市民は住民投票でこの基地を拒否しているし市長も市議会もきちっと反対している。辺野古の海辺ではおじい、おばあが二〇〇四年四月から「基地はいらん」と座り込みを続けている。
朝鮮戦争、ベトナム戦争の基地として沖縄が不当なアジア介入に利用された。
みんな、「辺野古とともに国会前に座り込む会」を支援しようや。