世界のノンフィクション秀作を読む(73) 木原武一(著述家)の『ぼくたちのマルクス』(筑摩書房)――「マルクス症候群」が止んだ今こそ彼の思想に注目を、と提言(上)

 「共産主義の父」とされるカール・マルクス(1820~1895)。その著作を「現代に生きる古典」として読んでほしい、と著者は言う。私とほぼ同世代の筆者は多年にわたるマルクス読み込みの蓄積を平易な論述に生かし、かの一代の論客の真価を生き生きと伝える。なお、本書が刊行されたのは今から三十年ほど前。月日が経つのは本当に早い。

◇今なぜマルクスなのか
 マルクスほど、世界を攪乱した思想家はいない。ロシアをはじめ幾つかの国で革命を巻き起こし、その名は世界中の革命運動と労働運動の総元締めとして世の穏健な人々から怖れられた。が、そうした現象が収まるや、途端に人々は愛想尽かしを始めようとしている。
 マルクスは物事を根底から考えることを奨めた。その根底は「人間にある」と彼は言っている。彼は人間の自由について考えた哲学者であり、資本主義の分析を行った経済学者、歴史の発展法則を探索した歴史学者、新しい社会の建設を目指した革命家並びにユートピア思想家であり、これほど大風呂敷を広げた思想家も珍しい。マルクスは自己検証のためのテキストとしてはまだまだ健在なのだ。

◇マルクスへの疑問と共感
 一九六〇年の「安保」闘争や「三井三池」労働争議の最中に東大に入学した私は、若者特有の正義感に駆られ、マルクスの著作を読み始める。『共産党宣言』『経済学・哲学草稿』『資本論』・・・。が、心酔するところまではいかなかった。私が一番引っ掛かったのは、彼の主張する唯物論の考え方だ。青臭い文学青年だった私は、唯物論がピンと来なかったが、一方では、彼の資本主義社会の分析と未来への展望には大いに共鳴するところがあった。
 マルクスは資本主義社会から共産主義社会への移行は歴史の必然であって、自分はそれを科学的に証明した、と言う。このマルクスの独断は、万人の心の中にある正義の感覚、道徳的な感覚に訴えかけた。「正義の味方」として受け入れられ、人々の心をつかんだ。
 彼は生涯の親友で協力者だったエンゲルスと共に1848年、『共産党宣言』を発表する。当時、彼は祖国のドイツを追われ、欧州諸国をさまよう無名の亡命者に過ぎなかった。マルクスが革命家として影響力を発揮するようになるのは、1864年、国際労働者協会(いわゆる「第一インターナショナル」)が設立される頃からだ。彼はその創立宣言と規約を起草し、盟友エンゲルスと共にそのリーダーとして活躍した。

 1917年のロシア革命はマルクスの革命理論を信奉する人々によって遂行され、モンゴルや中国、北朝鮮、キューバ、そして、アフリカでも同様なことが起こった。革命のリーダーたちは革命の正当性をマルクスの理論を通して主張した。先ず誰よりもマルクスに敬意を表するというのが、二十世紀の革命家にとって欠かせぬ儀礼のようなものになっていた。
 マルクスが睨みを利かせるのは政治の世界だけではなく、経済学や歴史学の領域で、この百年間、世界の多くの国の多くの学者にとって重要な研究課題だった。マルクスの『資本論』は後世の学者に様々な難題や謎を提起し、マルクス経済学という新しい学問分野を生んだ。とりわけ熱心に研究が行われたのが日本で、つい最近まで「マルクス王国」とも呼ばれ、世界の最高レベルのマルクス経済学者を何人か生んでいる。

◇現代に生きる「共産党宣言」
 保守派の人々が目の敵にするマルクスの思想は、現代では少なからず実現している。現代の日本では、プロレタリアート(労働者階級)が支配階級に君臨しているとは言えない。が、「民主主義を闘い取る」という点は、日本に限らず欧米の多くの国々で既に実現済みだ。つまり、マルクスの言う労働者革命は半歩ほど実現されている、ということになる。
 「共産党宣言」が起草されていた当時の西欧では、議会と名の付くものはあったが、議員の選挙権を持つのは一部の富裕層だけ。議会制度が最も進んでいたイギリスでも、都市の労働者に選挙権が与えられたのは1867年のことで、成人男子全てとなると1918年であり、女性に選挙権が認められたのは二十世紀の中頃になってからだった。
 だが、マルクス主義を標榜して革命が遂行された旧ソ連や中国では、闘い取られる筈の民主主義が逆に奪い取られてしまい、資本主義の国の方で民主主義が生きているというのは、何とも皮肉なことである。但し国有化の弊害は国家の行政能力と経営能力の欠如から生まれるものであって、国有化に固有のものではない。約百五十年前のマルクスの時代には革命的と目された政策も、現代ではむしろ穏当な主張と受け取ることができる。

◇マルクスの描いた現代日本の姿
 かつては支配層を恐れさせた『共産党宣言』は今では「毒」を抜かれ、無害なものになっているが、鋭さを失っていないこんな新鮮な指摘も見られる。「自分の生産物の販路を絶えず拡張していく必要に促され、ブルジョアジーは全地球上を駆け回る。彼らは、どこにでも腰を下ろし、どこにでも住み着き、どこにでも結びつきを作らなければならない」。
 すぐ浮かぶイメージは、世界を駆け巡る日本の商社マンの姿だ。マルクスは続けて言う。
 ――(世界市場が作られると)古来の民族的な産業は滅ぼされてしまう。新しい産業の導入が文明国の死活の問題となり、もはや国内産の原料ではなく遥か遠い地域で産する原料を加工する産業であり、その製品はあらゆる大陸で消費される。新しい欲望が現れ、昔の自給自足や閉鎖に代り、諸国民の全面的な交通、その依存関係が現れてくる。
 これはまるで現代の日本のことを言っているようだ。石炭に代わって石油をエネルギー源とした日本は、産油国への「全面的依存関係」無しには成り立たなくなった。更にマルクスは、農村の都市への従属、都市への人口集中、生産手段の集中、そして政治の中央集権などを資本主義体制の特徴として挙げている。マルクスの洞察力の確かさを示す。

◇「東欧革命」とマルクスの責任
 マルクスの威力の衰えを世界中に印象づけたのは、1989年に起きた「東欧革命」である。東欧では、1956年のポーランドとハンガリーでの暴動、1968年のチェコスロバキアでの「プラハの春」など民主化運動が起きているが、その度に旧ソ連の介入により鎮圧されてきた。
 「民主化運動」の新しい局面を切り開いたのが1980年、ポーランドに登場した、社会主義圏では前例のない独立労組「連帯」である。弾圧を受けながらも、粘り強い活動によって支持を獲得。1989年の国会選挙で圧勝を収め、旧ソ連は介入を控える姿勢を示す。こうして同年11月以降、一挙に「東欧革命」は進行することとなった。
 ベルリンの壁の取り壊しと東ドイツの消滅。そして東欧諸国が崩壊~リーダーだったソ連邦そのものが崩壊~共産党は権力を失墜する。1917年のロシア革命~ソ連の強権による東欧諸国の社会主義化の淵源を辿れば、マルクスに行き着く。だが、そこに実現された素晴らしい筈の新世界は、彼が考えていたものとは凡そかけ離れた世界だった。マルクスが革命の最大の目標として掲げたのは「人間の自由の拡大」だったからである。

 マルクスが革命の最大の目標として掲げたのは、人間の自由が拡大されること。『共産党宣言』には、こう記されている。「階級と階級対立の上に立つ旧ブルジョワ社会に代わって、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件である様な一つの結合結社が現れる」。
 旧ソ連でこのような配慮が為された形跡は殆どない。思想表現の自由や移動の自由が制限されているような社会では、「各人の自由な発展」など期待できない。ソ連や社会主義東欧諸国では、「各人の自由な発展」を許しておけば、「ブルジョワ社会」に逆戻りする危険があったため自由の制限を重要な政策の一つとした。その自由をもはや制限し切れなくなった時、社会主義体制は滅びることになったのである。

 これら全てをマルクスの思想と結び付け、結局はマルクスが間違っていたのだ、と言う人もいる。だが、東欧やソ連邦ではマルクスの思想の最も肝心な処が実現されていなかった事を考えれば、その思想を全面的に否定するような「重罰」を与えるのは妥当ではない。
 マルクスは自分の思想が様々に誤解されるのを見聞し、「私はマルクス主義ではない」と言ったこともあった。彼は思想が本人の意図に反して解釈され、実践に移されることを十分に知っていた筈だ。マルクスは共産主義社会へ移行する前段階として、プロレタリアによる独裁を想定した。そこには嘗ての時代の専制君主による独裁と殆ど変わらない圧制に退行する危険も秘められていたのだ。

 マルクスにとっては不本意なことではあるが、なにがしかの「罪」を認めない訳にはいかない。とはいえ、この様に歴史の中に現れた「未必の故意」によって、思想の中の明るい部分と暗い部分とが明らかにされるのは良いことだ。なぜなら誤解であれ、曲解であれ、その可能性の全体を含めて一つの思想を見ることができるからだ。東欧革命とソ連邦の崩壊によって訪れた新しい世界は、実は、マルクスについて考える良い機会を提供している。
初出:「リベラル21」2024.6.11より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-category-14.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion13751:240611〕