10月7日
アメリカではウォール街に対する若者たちの行動が全米に拡大している様相が伝えられる。アメリカ経済は脱出路なき袋小路に追い詰められている。この根本にあるのは第二次産業経済後への産業経済構造の転換の失敗であり、これは現在の日本経済を映す鏡でもある。第二次産業経済後の産業経済の創出は世界経済、とりわけ先進地域《先端地域》の共通課題でありかつ現在的課題である。アメリカは1960年後半からこの課題を負っていたが、軍事の経済化と金融経済の肥大化がそれを疎外してきた。その背後にあったのはドルの基軸通貨であった。アメリカ経済はその実体的力を失っているのに、世界経済を牽引する役割を背負わされる矛盾の中にあったといえる。ドルが基軸通貨という力を失いながら、基軸通貨であり続けている矛盾はその象徴といえる。軍事の経済化と金融経済は実体経済から剥離しながら肥大化してきたが、これは国家の財政悪化《双子の赤字》を拡大させた。これは公共投資による財政悪化を招いてきた日本と似ていなくはない。ただ、日本経済は実体経済の領域でアメリカ経済ほど衰退していないだけである。
金融経済による経済過熱(投機経済)の結果がリーマン・ショックであった。アメリカ政府は財政出動で金融機関を救済したが、これは金融経済の再生に寄与したにしても、アメリカ経済の再生には結び付かずその経済危機は深まるばかりである。失業者や雇用の問題は悪化するばかりであり、金融経済周辺の富裕層と実体経済にある人々の格差も拡大する一方である。現在の世界の経済的危機は欧州の金融危機に端がある。三年前のリーマン・ショックの延長にあるといえるが金融危機は実体経済の危機に波及する点で多くの懸念を生んでいる。恐慌状態の将来である。だが、僕らは実体経済の領域での問題を同時に見なければならない。これは産業経済の領域であるが、そこでの経済構造の構造転換が促されていることであり、アメリカが失敗してきたと指摘したものである。
軍事と金融による経済危機の脱出は国家財政を悪化させるが、経済危機の脱出には有効には機能しない。新興国の経済成長が続く間に、尖端地域は第二次産業経済後の産業経済を生み出さなければならない。日本は大震災の復興でそれを課せられているのであり、復興の成否もそこにある。もう経済の成長と言う言葉は使わない方がいいのかもしれない。それは第二次産業経済のイメージがまつわり過ぎているからである。生産よりも消費の優位が語られた時代はこれを超えることが意識されたが生産―消費を貫く産業経済の構造転換が鍵である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0639 :111008〕