10月4日
ギリシャの財政破綻によるユーロの危機は依然として続いており、これはユーロに対する円高として現象している。アメリカの経済的な危機も去ったわけではなく、その現象はいろいろ現れている。ウォール街占拠に繰り出した人々の行動は全米各地に広がっていると伝えられる。これは世界経済の危機が日常的場面に出てきたことであり、世界各地に広がる可能性もある。日本の新聞では円高(対ドル、対ユーロ)が取り上げられ、政府の無策が批判されている。歴史的な円高が輸出産業を苦境に追い込み、苦境に立つ産業界が海外移転に脱出路を求めている報道がなされている。そしてこれが日本の産業の空洞化をもたらすという危機感が喧伝されているのである。逆に言えば、円高の経済効果もあるはずだがこれはあまり報道されない。
円高に対してその進行の度に円売り=ドル買いという対症法的な処置が行われてきた。これは有効ではない。1972年のドルと金の交換停止と通貨の変動相場制移行以来のドル安=円高は基本的事態でありこれは今後も解消されない。日米の経済的な力関係の現れだからである。問題はドル基軸通貨制にある。例えばドルも円も金本位制下にあれば、この通貨変動はドル安=円高として現れても。貿易などの影響は少ないはずだ。対アメリカ輸出は影響されるとしてもドルが基軸通貨(決済通貨)であるような影響はないはずである。過渡的にはドルが依然として基軸通貨であり、他方で無基軸通貨時代であるという矛盾的状況の中での通貨対策を考えるほかない。中国との通貨問題での協調を含めたドル基軸通貨矛盾に対応するしかないのだ。日米同盟という名の下でドル基軸通貨の補完役を担いその矛盾に直撃され続ける事態を回避すべきである。ドル通貨基軸体制に組み込まれていることから離反するには戦後の日米経済関係のみならず、政治的関係も含めた見直しが要求される。この日米関係の見直しには強い政治力というよりは今後の世界経済と日本経済のビジョンが必要である。日本の政府や官僚には日米の経済関係を見直して行くビジョンが欠如している。日本が戦後にアメリカ経済をモデルにして高度成長経済を達成してきたことは確かであるが、それは重化学工業(第二次産業経済)の発展であった。そのアメリカは1960年代から重化学工業の生産力による経済発展の限界に逢着しそれ以降の産業経済の創出を課題としてきた。これは世界経済の先端的課題でもあったがそれに失敗してきた。産軍複合体制と呼ばれる軍事経済と金融経済の肥大化が基因であった。ドル基軸通貨はその基盤をもなしていたのである。
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〔opinion0634 :111004〕