世界戦略と自業自得

オランダの本社の経営陣は長きに渡ってヨーロッパ版大企業病という不治の病にかかっていた。この病、周囲の人達には甚だ迷惑な発作を起こす。病にかかっていることが露呈したり、外部からたとえやんわりとでも指摘されるようなことがあると発作が起きる。権力の乱用をもってして病の痕跡、痕跡に気がついた人たちを社会的に葬り去らなければ発作がおさまらない。

 

シンガポールにアジア本社(以下シンガポール)を置いて数カ国にある支社を管理していた。シンガポールには客と呼べる客はほとんどいない。そのため、営業拠点としてではなく、オランダ本社の上意下達の仲介を任務とした出先機関としての存在になる。実ビジネス上の貢献は皆無に近いからコストダウンの矛先が一番先に落ちてきて消滅する可能性も高い。

 

シンガポールの従業員構成は特徴的だった。華僑が圧倒的な力を持ったシンガポールで印僑が牛耳っていた。上層マネージメントは全てインド人かインド系、実務レベルに中華系。日本から見えるのはインド人で、中華系の影は薄い。変わった印中関係が見え隠れして、経営層と実務層がはっきり分かれているヨーロッパ社会特有の職階制の軛の亡霊が印中関係にかたちを変えているような気がした。

 

なにをするでもない、ただ配下のアジア各国へのお目付け役というか、オランダ人に代わって配下のシリを叩く、オランダ本社の意向をオランダ本社が思った以上にしっかりと糊付けして各国の支社に下達する。シリの叩き方、下達の厳しさ、上位へのへつらいがアジア本社のありよう、その存在自体までをも決めた。シンガポールのインド人からオランダの一握りの経営陣への気の配りようは遠目から見てもそこまでやるのかと呆れるものがあった。数百年にも渡る侵略王朝の下級官吏として培ったインド人の能力の発揮しどころを遺憾なく見せていた。

 

シンガポールから世界戦略として“セメント業界”と“鉱山”に注力しろと言ってきた。多くの発展途上国でセメント産業は堅調な成長を続けているし、中国の急激な工業化のおかげで世界的な鉄、非鉄金属などの鉱山開発も進んでいた。X線を使った成分分析から世界の市場を見れば、業界知識のない二十歳かそこらの駆け出しでも同じことを言うだろう。世界市場全体をおしなべて見ればその通り。世界市場を見なければならないオランダ本社の立場、視点ではそれでいい。

 

ところが日本市場に目をやると、その通りがその通りでないことは誰の目にも明らかで、いまさら日本でセメント産業や鉱山に注力した営業活動は自殺行為以外のなにものでもない。いくら厳しい上意下達の文化の下でも、受け入れきれないことがある。もし、その世界戦略に合意すれば、日常の営業活動や市場開拓作業がまるで遠の昔に干上がった湖だったところに魚でも取りに行くようなことになる。

 

これといった目に見える貢献もなく、ただ支配の手先として重宝がられることで生き延びてきた優秀なインド人の下、下手なことを言えば、何も得ることなく切られる。切られるのを覚悟で、かつての市場、現在の市場。。。歴史的な推移からTraditional marketとEmerging market市場と小学生でも分かる図に示して、資源を持たない先進工業国としての日本市場の特殊性を事実としてまとめた。その事実認識から、日本支社は自動車産業と先進の電子産業の市場開拓に注力せざるを得ない。日本の市場開拓の経験は将来的にみて、今は中進国に留まっている国々でも有効活用できる企業の知的資産の形成になる。。。マーケティングとして日本支社の将来のためにも論陣を張らなければならない立場にいた。

 

オランダ本社の指示以外には一切耳をかさない。四百年以上に渡る異民族支配の手先として上意下達を旨として生きてきたインド人の逆鱗に触れた。そこには市場をどうの、どのような視点でどのように見てなどというまっとうな経営姿勢は微塵もない。あるのは権力とその権力を振り回せる立場にいるのか、振り回される権力に蹂躙される側にいるのかという至極簡単な社会感だけだった。

 

日本支社の、そこで働く人達の将来を思えばこそ切られるのを分かっていて張った論陣だったが、議論自体のない社会ではなんの役にも立たない。仕事仲間と思っていた日本支社の人達からの支援もなかった。残ったのは“Global and near”というなんかズレた感じのあるキャッチコピーとともに沈んでゆく老朽船。夢のないところなのだろう、櫛の歯が欠けるように一人、また一人とキーマンが辞めてゆく。いい経験をさせて頂いた。遠の昔に戦場放棄させて頂いた傭兵の目には自業自得としか思えない。好きにすればいい。老朽船、いつまで持つのだろう。遠からず沈む。沈んだとして誰のせいでもない。自業自得。

 

ただ、自業自得でおさまりつかないところにちょっとした引っかかりがある。自業自得のはずの経営陣、当然沈みゆく船の状況を一番良く知っている。船と一身を共にする船長の気概などあろうはずがない。沈んでゆく船からさっさと金目の部品を外して、それを握りしめて自分はちゃっかり救命ボートに。。。

自業自得、それはそれで無能の証明で恥さらしだが、この手のちゃっかりは醜悪、卑劣、卑陋。。。どの言葉をもってしても言葉が役不足で物足りない。

おまけになるが、そのどうしようもない連中の上っ面に羨望の念をもって、真似る痴れ者がいる。只々、呆れる。

 

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