中村哲(ペシャワール会)医師の訃報に接して

昨夜、中村哲さんがアフガニスタンで車ごと銃撃され死亡したとの訃報が入ってきた。
なんとも残念無念なことである。
一瞬、彼のあの穏やかな顔と、気負いも気取りもいささかも感じられない腰の低い、優しい人物像が頭をよぎった。
もう10数年前になるのだろうか、私が主宰する現代史研究会に講師で来て頂いたことがあった。明治大学の生方卓先生が仲介して下さったものだ。
彼は、毎年日本に里帰りしては、全国を回り、アフガニスタンの現状を訴え、貧困が生む殺伐な戦乱の状況を伝え、医療や河川の整備、井戸掘りなど農業用水路の開拓に資するためのカンパ活動などを行っていた。
この日も、会場の明治大学リバティホールには400人を超える人たちが集まっていた。
司会は、当時のちきゅう座編集長(現代史研究会顧問)・塩川喜信さんにやって頂き、私は専ら受付などの雑用係を務めていた。
しかし、会場の準備などをやっている時に、早々と中村さんが来られたため、生方先生に紹介されて、名刺交換をすることになった。その時の印象が先に書いたものだ。
「この方は本物だ」と直感した。以来、今までその印象が忘れられない。
会場は盛況だった(実は、私は入りきれないほどの参加者を期待していたのだが期待以下)、その上、レジュメなども作って配布していたため、私自身はついに彼の報告をほとんど聞けないままになった。
しかし、とぎれとぎれに聞こえた報告の中で、日本政府が経済進出をもくろんで、数千億円だったかの資金をつぎ込み、しかも憲法に違反する自衛隊まで派遣して、やっている現地開拓事業は一向に効果をあげえず、逆に中村さんたちがカンパを元手に細々とやっているボランティア活動での水路開拓(周囲には日本の伝統にならって、柳の木を植えているとか)はすごい成果をあげているということ。
このアフガニスタン内部の紛争の原因は、国内に蔓延する貧困にあるという考えからこういう活動をやっているということ、それ故、タリバンだろうと政府軍兵士だろうと、誰でも負傷者は受け入れて治療しているし、そのままそこにいついて共同で働くことも承認しているとのこと、等々。
こういう報告をスライドで映写しながら淡々と報告されていた。
ささやかだが、当日の参加費、カンパなどは全て中村さん経由でペシャワール会に差し上げた。確か、50万円は超えていたように記憶している。その後、生方先生から中村さんが大変喜んでいたという報告を受けた。
中村さんは、アフガニスタンでこういうこと(ご自分が死傷する)が起きうるということを最初から覚悟しておられたようだった。たとえ、自分が襲われても、決してこちらから反撃はしないと言われていたようだ。
彼の叔父さんが、小説家の火野葦平だったこと、火野が書いて映画化された小説『花と竜』の主人公で、玄界灘(若松)の荷役業人夫をまとめて労働条件改善などをやった、侠客玉井金五郎は中村さんの祖父か伯父(?)に当たると聞いている。
中村さんもその血を濃く受け継いでいたようだが、実に見事な生きざまだったように思う。
心からご冥福をお祈りしたい。
2019.12.5 記

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

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