紙幣といえば聖徳太子という時代を過ごした人には、その後の紙幣と額面金額は曖昧になっている。韓国に評判の悪かった伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造が消えたと思ったら、やれやれ、今度は渋沢栄一の登場である。実は渋沢は日韓併合前1902年に韓国で発行された紙幣に続き、二度目の登場である。初回は韓国紙幣として、今回は日本の紙幣という異例ぶりである。<下写真/当時の第一銀行券>。
日本の資本主義の父といわれる渋沢栄一は、2021年のNHKの大河ドラマ『青天を衝(つ)け』で取り上げられ、今月、新1万円札紙幣の顔となった。私には資本主義の父という表現に違和感がある。渋沢個人と資本主義に対する無邪気な評価が感じられるからだ。
未曽有の利益をあげる大企業、株と不動産で笑いが止まらない人がいる一方では失業、低賃金、物価高に苦しむ庶民。広がるばかりの貧富の差、弱肉強食の社会にはびこる不公正な社会システムは「わが世の春」を謳歌する人たちには父であっても、庶民には無縁な資本主義の父といってよい。
<資本主義発達史講座>という日本の近代化をめぐる有名な歴史研究があった。紙幣をめぐる日本の近代化の歴史を振り返り、新紙幣の渋沢について考えた。
「韓国通信」で渋沢栄一を取り上げるのはこれで三回目である。さらに紙幣の話題を加えると四回目となる。紙幣に何故韓国併合にかかわる人物がたびたび登場するのかという疑問。渋沢栄一と朝鮮との関係に触れる前に、改めて2019年の通信NO621の一部を抜粋して紹介する。
<略>…それが突如、侵略の対象となったのは明治政府の「富国強兵策」によるものだった。欧米の植民地獲得競争を見習い、大陸侵略の足掛かりとして1910年の日韓併合、満州国の建国、中国侵略へと突き進んだ。侵略を正当化する教育によって朝鮮半島に向ける日本人の「眼差し」が作られた。福沢諭吉の「脱亜入欧」、新渡戸稲造の「枯死国朝鮮」、日本の近代を代表する彼ら知識人たちの朝鮮に対する軽視と侮蔑は明らかだった。
「保護条約」などいう、たいそうな名前の条約を押し付け、初代統監におさまった伊藤博文。彼らがそろって日本の紙幣を飾ったのは朝鮮侵略の動かぬ証拠写真のようなものではないか。
侵略主義に貢献した人物が日本の近代史と無縁でないことに日本の悲劇がある。その事実が無視された紙幣の歴史がある。紙幣から見えてくる歴史観は史実を改ざんした歴史教科書と変わらない。
侵略に手を染めた「紳士たち」の代わりに、侵略主義に抗し、民主主義の発展に苦闘した人たち、例えば、田中正造、幸徳秋水、大杉栄、内村鑑三、伊藤野枝、吉野作造、河上肇たちを紙幣に登場させることとは無縁の世界だ。紙幣の人物選びに私たちはもっと敏感であっていい。
本題の渋沢栄一に話を戻そう。
渋沢がわが国の資本主義の発達に貢献したことはまぎれもない事実だ。多くの企業を起こし、教育事業家としての活躍も知られている。だが明治政府のスローガン、「殖産興業」で活躍した人物であり、純粋な民間人としてではなく、「富国強兵」、つまり海外侵略と一体となって活躍したのも事実である。日韓併合では福沢諭吉の『脱亜論』に共鳴し、盟友伊藤博文とともに朝鮮侵略を先導した人物として知られる。
彼が設立に尽力した「朝鮮銀行」は、大陸侵攻の橋頭保として経済面で支えた朝鮮総督府直轄の植民地銀行だった。日本軍が朝鮮銀行券をリュックに背負い、支配地域の通貨圏確立を目指したことからわるように、軍事と通貨は不可分のものだった。渋沢と朝鮮銀行の深いかかわりは先に紹介した第一銀行の紙幣の肖像からも明らかだろう。
私のノートには次のように記されている。
「1876年の日朝修好条規は朝鮮の関税自主権を否定し、日本の治外法権を認める不平等条約だったが、条約にもとづき早くも1878年には渋沢栄一の第一国立銀行は釜山に支店を開設すると、次々に15支店を開設した。銀行は貨幣の流通権を獲得し、朝鮮の貿易は日本商人が獲得していった。1902年に第一銀行が朝鮮で銀行券を発行。日清・日露戦争を経て日韓併合にいたる経済進出を更に進めた。併合後、植民地の発券銀行として朝鮮銀行が設立されるが、第一銀行の支店をすべて引き継いだ。渋沢は伊藤博文と二人三脚で朝鮮併合を支えた功労者だった」。
20年ぶりの紙幣デザインの変更で新札を求めて銀行に列を作る人、渋沢栄一ゆかりの地で行われたイベントなど他愛のない話題で賑わったが、「朝鮮の併合で日本は悪いことはしていない」「通貨制度を作り、学校を作り、鉄道を作って近代化に貢献した」「喜んで日本名に変えた人も多い」。謝罪どころか感謝されていいくらいと嘯(うそぶ)く人が後を断たない。無邪気にテレビも新聞も新1万円札を歓迎した。
<白鳥物語>
手賀沼の白鳥が外国人に食べられたという「噂」の続報。
市役所から「事実関係が確認できない」という連絡があった。噂にこだわるのは世界的に広がる外国人排斥の動きとの関連だ。生活の不満と不安から生まれる国粋的な気分は100年前の関東大震災時に起きた朝鮮人・中国人虐殺を思い出させる。我孫子駅前にある八坂神社の夏まつりは例年にない人出で賑わうことだろう。何故あの神社で3人の無垢の朝鮮人が撲殺されたのか。恐怖と悪は普通の人を鬼に変えてしまうのか。神社の前を通るたびに1923年9月3日の惨事を思い出す。
初出:「リベラル21」2024.07.11より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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