“扇”で飲んでいるとジョニーがちょくちょく顔をだす。コック?の制服を着たまま厨房から抜け出て一休みなのだろう。タバコを吸わないのに入ってくるなり決まって「誰かタバコ(cigarette)はないか」、ジョニーの口癖というより挨拶になってしまった感じだった。何を言っているのは分かっていて、タバコならあるぞってタバコを差し出す。それじゃない、タバコは健康によくないからやめた方がいいって前から言ってるだろうと減らず口をたたく。お前に健康がどうのと言われたくないと、二言三言交わせば、気晴らしになったのだろう、さっさと仕事に戻って行く。あまり長い時間あけておけなかったのだろう。
下戸でフツーの早さで飲んだら水割り三四杯がいいところ。時間をかけずにそれ以上飲むと危ない。一端の格好をつけてカウンターに座って時間をかけて飲んだところで潰せる時間はしれている。三時を回ったあたりで朝食かアフターアワーのディスコに行くから時間がありすぎる。飲むペースをちょっと落としたぐらいで調整できる時間ではない。
ちょっと行ってくると言い残して、二軒隣のアイリッシュバーに行く。最初ジョニーに連れられて来て依頼、“扇”に来ればこっちにも顔を出すようになっていた。ドアを開けたとたん、オーナーにまたジャパニーズマフィアが来たと暖かく冷やかされる。気さくなウェイターのオヤジ連中からも仲間内のような感じで迎えられる。客の邪魔にならないよう細長い店の端を真っ直ぐ進んで奥の厨房に入る。ジョニーとちょっと世間話してから入り口の方に戻ってカウンターに勝手に座る。ディナーショーがメインの店でステージの裏側になるカウンターには客はいない。
バーテンダーのオヤジに好きなものを飲んでくれ、俺には7upかオレンジジュースを、で酔いを醒ます。オヤジとちょっとした世間話をするが、世間話、何を話したか一つ二つ以外は何も覚えていない。雛壇のように並んでいる酒を指して、「全部違うのか?」、「一番下の段はカウンターのあっちとこっちで酒を作らなければならないから、あっちとこっちに同じものが一セットずつ置いてある。二段目から上は全部違う。」「Do you have something special?」、何か特別な酒はあるのか?「Something special」と返ってきた。分かってねぇーな、このオヤジ、「No, I want to know whether you have anything special.」と言い返したら、分かってねぇーな、お若いのって感じで、「Something special」といいながら、“Something Special”というラベルが貼ってあるウィスキーのビンをボンと目の前に置かれた。おお、そういうことかということで一杯。何もSpecialじゃなかった。下戸の評価だから当てにはならないが、何の癖もない軽いウィスキーだった。
オヤジと世間話をして、ちょっと醒めたら、また“扇”へ。そしてまたアイリッシュバーに。。。二三度繰り返しているうちに朝の三時か四時になる。
ニューヨークの観光ガイドブックにも載ってたくらいだから、そこそこの店だったのだろう。エンターテイナーが三組いた。ピアノの弾き語りにピアノ伴奏と男性歌手。古い写真のスライドを入れ替えながら無声映画時代の活動弁士のように話を語るオヤジ。名前も何も知らないがみんな顔なじみ。入ったときにピアノ弾き語りがステージにいれば、次の曲は『さくらさくら』だったし、男性歌手は『New York, New York』だった。活動弁士には、決まってお前の写真をもってこいと言われた。三船敏郎や昔の日本の映画スターのスライドも使った話をすることがあった。オヤジいわく、お前の写真を使って、日本の映画スターだって言ったって、誰も分かりゃしない。そうは言われても、信じるヤツもいないだろう。どの道オヤジの作り話じゃないかって。
ウェイターのオヤジから聞いた話では、ジョニーは孤児だったのをオーナーが引き取って、二人で店の四階のあっちとこっちの部屋に住んでいる。住み込みで週給百五十ドル、まかないメシ付きで悪くない。その話を聞く前に既にジョニーの部屋には遊びに行っていた。何もない部屋。目に付いたのは三つだけ。ベッド、なぜか不釣合いに大きなトーテムポールが二本、ベッドの脇に三脚に乗ったニコンF。なんでお前がニコンFなんだと言いかけてやめた。
行くたびにジョニーに自慢のアルバムを見せられた。何冊あったか数えもしなかったがかなりの量だった。アルバムの中の写真は全て連れ込んだ女の(裸の)写真。よくもまあ飽きもせずとしか言いようがない。ただただ呆れた。連れ込んだ女の自慢話の一つくらいあってもよさそうなものなのだが何もなかった。まるでヌード写真のコレクターのようだった。日本人の彼女を紹介してくれたら、アメリカ人の彼女を五人紹介してやる。いい話だろうって何度も言われたが紹介する一人たりともいなかった。
ジョニーの生活は至って単純。名刺にはアシスタントマネージャとなっているが、皿荒いに雑用がメインで、たまに肉を焼くこともある。ある日、ジョニーが肉を焼いているのを見て驚いた。こいつでも肉は焼ける。肉くらい誰でも焼けるがジョニーが焼いていた。偉そうに、火からの距離を変えるために斜めに置いた焼き網の解説までしだした。そんなもの、見れば誰でも分かる。ちょっとした遊び友達としては気のいい絵に描いたようなイタリア系、いつも陽気だった。でも仕事で一緒は遠慮したい。給料のほとんどはヘロインとマリワナに消える。タバコないかと言ってきたのは、ジョイントないかという意味。
ついでにジョイントとマリワナについて書いておく。ジョイントとはマリワナをバンブーという商品名の紙(他の紙もあるかもしれない)で巻いた長さ五センチ、中央部の太さ三から四ミリ程度の細い手巻きの紙巻タバコ状のもの。当時コロンビアゴールドという高級品種のマリワナ、日本人の手の一握りで大体五十ドル。巻き方の稚拙にもよるが、そこからジョイント七十本くらいとれる。元手五十ドルちょっとを巻いて売れば二十ドル近くの儲け。マンハッタンのどこに行ってもジョイントを見つけるというより、向こうから売りに来た。ちゃちな紙袋に五本入ったのをニッケル(五セント硬貨)バッグと呼んでいた。
ジョイント一本一ドル。三分の一もいらない、ちょっと吸えばハイになる。バーで飲めば一杯二ドル五十セント。マリワナなら三十セントかそこらでハイに、酒なら二ドル五十セントではストーン(酔う)にもなれない。金のない人たちにとって、どっちがいいか?聞くまでもないだろう。
乾燥して刻みタバコのように細かくなったマリワナを吸うには二通りの方法がある。紙で巻いたジョイントかパイプを使う。バンブーをぴっと一枚取り出してマリワナをくるくると巻いて、バンブーの端をペロッと舐めてジョイントに。端をプチッと切って最初の一吸い。いかにも通?という感じで格好いい。これがしたくて何度も練習したが、紙をペロッと舐めてが上手くできなかった。いつもべろべろになってしまった。格好は悪いがしょうがない。35mmの写真フィルムを入れる半透明のプラスチック容器にマリワナ入れてパイプを持ち歩いていた。
ワシントンスクエアに行けば朝の二時や三時でもいろんな人がいる。数人のバンドでジャンルの分からないのを演奏しているのもいれば、大きなラジカセを、重いだろうに、肩に乗せてディスコの音楽かけて踊っているのもいる。手作りの変な打楽器を演奏しているかと思えば、一人で悦に入ってサックス吹いているのもいる。なんでもありのところで、マリワナで憩いのひと時は多かったが酔っ払いは見なかった。そこにジョイント何十本かコップに入れて、人から人へ、「ヘイ、ガイ、スモーク」と声をかけて商いに精を出しているのもいる。公園中マリワナの煙でもこもこしている。それを遠巻き-四方の道に騎馬警官がいる。何をするわけでもないが、もし、何かあったらということなのだろう。銀行強盗が特別なものではなかった物騒なニューヨーク。そんなところで朝の二時三時に十代後半の女の子までが思い思いに時を過ごしていた。ニューヨーク、慣れてしまえばなんてことない。歌舞伎町の方が余程神経を使う。
当時、マリワナなんてのは中学か高校に行けばあると言われていた。時代だったのだろう。マリワナごときでビビッてちゃマンハッタンは歩けない。パイプ咥えて北のアフターアワーに南のチャイナタウンに走りたいように走っていた。
大麻で大騒ぎのニュースを聞く度にいったい何なんだろうって気がする。確かカーター大統領だったと思うが、ドラッグで得る害より法的社会的制裁によって受ける害の方が大きいのは間違っていると言っていた。ジョニーが言っていたようにマリワナよりタバコの害の方が大きいのではないかと思う。個人の実感でしかないがマリワナ、タバコのように毎日、四六時中吸うものでもなし、大したもんじゃない。実に軽い覚せい剤系の吸い物。覚せい剤系だから多少元気な感じになって、腹が減って喉が渇く。高音に敏感になってディスコの音楽のバックにある高音のストリングが良く聞こえる。当然あっちの方にもいい。横になれば海に浮かんだゴムボートに乗って波に揺られてなんて感じられることもある。でも、それ以上でも以下でもない。たかがマリワナだ。
もう三十五年以上前の話、時効だろう。民主的な国では今や同性婚と一緒に合法化も進んでいる。合法化がその国がどれほど先進的で民主的かを示す指標の感すらある。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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