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これまで第2回から第5回まで、人間の自然との交渉のあり方とその問題性を賢治とともに考えてきました。賢治は自然科学を学ぶことで故郷の自然災害を克服しようとしたのですが、その科学は人間が何億年かの地球史のほんの突端にいるに過ぎない生物であることを意識させるとともに、科学による自然へのまったき従属が農業の基本であると教えたのです。でも同時にそれは人間が自然と離れ、自然を傷めてきた点で人類史の原罪となったと反省していました。賢治は近代科学の光と影の矛盾的な性格をつかんでいたと言えます。
それでは最後に、彼の自伝を含んだとも言える童話『グスコーブドリの伝記』に入ります注。
注 文学に自然科学が入るのですが、この無関係に見える両者の関連について考えることはあるのですが、まだ熟していないので、省きます。
Ⅱ 『グスコーブドリの伝記』
3つの伝記の違いと発展
この伝記には2つの前期稿があり、最初は『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』(――子供の喜びそうな繰り返しだが、ややこしくて舌が絡んでしまう)、次が『グスコンブドリの伝記』とあって、それが『グスコ-ブドリの伝記』に進みます。以下、『グスコー伝』の特徴を知るために3つの伝記を比べますが、厳密な比較分析は専門の研究者にまかせ、ここでは一般の読者らしくしておきます。
最初の『ネネム伝』は残っている原稿では途中で始まって途中で終っています。そこでは次期稿と比べて、主人公の名前が違い、舞台は人間世界でなく化け物世界となっています。主人公のネネムは冷害で家族を失ってから大人の世界で働くのですが、それは昆布取りの仕事となっています。その後で主人公はフウフヰウボー博士(これも奇妙な名前!)のところで勉強して卒業試験をうけますが、その様子は次期稿以降と同じです。一番の違いはネネムが裁判所に職を得て裁判長となることです。その仕事ぶりをみていくと、私の職業柄というか、つい経済学史の眼で整理したくなってしまいます。もちろん賢治はそんな社会科学的な見方を意識して書いてはいませんが。ネネムが社会の不正義を裁くところがあります。ある集団があって、その内部では33人もの化け物が100年以上も前から債権・債務の鎖でつながりあい、化け物同士が順々に利息を取って生活している。そこではある額のお金G(ドイツ語Geld「貨幣」の頭文字)がより多くのお金G’となる。その関係を表現する言葉と文句が何十回も繰り返され、ふざけ過ぎているくらいです。さてその集団は全体としては消費者に対して商品を法外な値で売りつけている。ある額のお金Gをもって品物W(ドイツ語Ware「商品」の頭文字)を買い、それを消費者に転売して最初に使った額のお金より多くのお金G’を得る。ネネム裁判官はそんなお金儲けの仕方に怒って金貸しと中間商人を批判し、全員が働いて(…P…、ドイツ語Produkutionsprozess「生産過程」の頭文字)妥当な報酬を得るように社会の仕組を変えてしまう。これは賢治の家を自己批判するものでもあるのは見やすいことです。それは経済学の歴史からみると、イギリスとフランスの古典経済学がとらえた自由な競争の生産社会と言えます。最後にネネムはサンムトリ火山の噴火を予測してそれを止めるのだが――自然の支配――、その得意の絶頂で思わず人間世界との境を越えてしまう。これは化け物世界の掟を破ることであった。彼は裁判官であるから自分で自分を罰せねばならない。……物語はそこで終っています。
次の『グスコン伝』では『ネネム伝』とすっかり変わり、舞台はネネムが変えた生産社会となります。主人公はブドリとなって、全体の幸福なくして私の幸福なしのテーマが展開されます。そこでは全員が働きますが、でも社会は私有財産の階級社会となっており(古い共同体的なものも一部残るが)、ブドリが働く場所も昆布取りの海でなく、テグス飼い(養蚕)と生糸生産の工場、田んぼの農場になります。全体の視角が分配の社会正義を要求することから労働過程と生産力改善へと移るのです。こう言うと、なんだか戦中・戦後の「市民社会青年派」の活動場面を暗示させますが、こんなことは知らなくてもいっこうにかまいません。さて、それらの生産が火山噴火といもち病の被害を受けてだめになり、ブドリは今度はフフィーボー大博士のもとで地学を学び、卒業後は火山局に就職して干害と冷害の克服に向かうことになります。人間はどのようにして自然に働きかければ生産力を上げて豊かになるか、特に農業で土地の自然法則を知ってどんな技術を獲得すればよいか。
ここまでは次に書かれた『グスコー伝』と同じですが、人の名や話の筋が少し違っています。また『グスコー伝』より詳しいところがあり、それがグスコー伝の理解に役立ちます。全体として『グスコー伝』はかなりすっきりしています。
それでは以下、『グスコーブドリの伝記』を取りあげます。それが雑誌に発表された時には版画家・棟方志功の挿絵が入っていて印象的でした。特にクーボ―大博士の相貌はモデルと言われている関豊太郎先生のそれに近くて傑作です。
伝記は主人公ブドリの家族の幸福な生活が冷害で壊されることで始まり、その後ブドリが亡くなった父と母に代って科学技術をもって沢山の米を作ることを学び、その結果、災害前にあったブドリの家族の幸福が皆のものになることで終ります。ただブドリが自分の命を犠牲にすることによって。
1 森と家族に抱かれた幸福な生活が冷害で崩壊する
ブドリは森と家族に包まれてすくすくと成長していました。彼は父親がどんな巨木でも「赤ん坊をねかしつける」ように伐ってしまう(――まるで映画のスローモーションを見ているかのよう)ノコギリの音「ごしっごしっ」を遠くで聞きながら遊び、母親が家の前で麦を育てているところで妹と一緒にままごとをしていました。時には白樺の樹に「カツコウドリ、トホルベカラズ」なんて書いたりして。平和で幸福だったのです。その生活は自給的でしたが、森から得た薪や材木を野原や町に持って行って穀物と交換していました(ある商品W1をもって他の商品W2を得る)。1番大切なのは「オリザ」(ラテン語のoryza。いい名前です)というお米でした。
でもその幸福な生活も終ります。ある年の春先の陽が弱い、こぶしが咲かない、5月でもみぞれが降る、夏になっても暑さが戻らない。里ではオリザは一粒もできない。これが2年も続く。オリザに頼るブドリの家族は食べることができなくなる。父親がいくら樵名人で、母親が日ごろ賢く蓄えを欠かさないでいても、冷害には勝てない。怖しいことになります。父親はある日「森へ行って遊んでくる」といって家を出るが、帰ってこない。こんな時に遊んでくるという表現は変であり、『ネネム伝』でも『グスコン伝』でも「何かさがして来る」となっています。父親は家族に心配をかけたくなかったのか、それとも不安とストレスで精神が不調になったのでしょうか。母親も父親を探しに出ていくが、帰ってこない。2人とも死ぬのです。その後、「籠をしよつた目の鋭い男」が現れ「おゝほいほい」と怒鳴りながら妹をさらって行ってしまう。ブドリは「どろぼう」と泣き叫んで追いかけるが、無駄。彼は1人になる。家族の崩壊です。
この怖しい冷害をどうやったら克服できるか。山の暮しに安住できていた父も母も冷害による里の凶作はなぜ起きるのか、その原因を知って対処することはできなかった。それをブドリが代ってせねばならない。自然災害を宿命と諦めることはできないのです。
2 私有と賃労働の成立、そこでの生産力の改善
A 製糸工場 火山灰による閉鎖
ブドリは家も土地も家族も失い、いわば生産手段と生活手段から自由な賃労働者となります。ついこんな社会科学の眼で見てしまいますが、それは童話自体が語りだしていることなのです。森は地主兼てぐす工場主である「茶いろなきのこしやつぽをかぶつて外套にすぐシャツを着た男」の私有財産になっていたのです。『ネネム伝』で出ていたことですが、ブドリは以前のようにこの男の許しなどなくても森に入ってワラビを採ること(入会的なもの、総有)はできなくなり、『グスコン伝』ではそのことに「大変いやな気」がしたと書かれています。大げさに言えば、世の中は大転換するのです。もちろん賢治自身はそんな社会科学的な整理をしていませんが、そう見るほかないのです。ブドリは生きるために仕方なく生糸工場で働くことになります。
工場では数人の労働者が楓さんの飼育・繭づくり・薪づくりと製糸の工程をこなしていました。生糸のマニュファクチャです。賢治はその工程を実に丁寧に説明しています。栗の木に網をかけたり、そこに「粟のやうなものをいつぱいついた板きれ」(種紙のこと)をつるして卵を孵し、繭を湯だった鍋に入れて煮たり、柔らかくなったその表面から糸を手で糸車に掛けたりと。(戦後しばらくまでそのマニュファクチャはわれわれの身近に見られたものです。)それらの労働はかなり激しくて搾取的でもあり、食欲の旺盛な蚕に桑の葉を与える時の忙しいことと言ったらそれはないのでした。でもブドリはその労働に没頭し、一生懸命に自分のものにしていきます。それだけでなく、糸が町に売りに出されて仕事が一段落すると、彼は自分で本を読み、風さんの生態や糸づくりの機械の技術、植物の知識を得るのです。こうして余暇は文化的に生産的に有効に使われるのです。
しかし、そこに第2の自然災害が発生しました。火山が噴火して降ってきた灰のために楓さんが全滅してしまう。工場は閉鎖されてブドリは失業し、彼は別の仕事を求めて野原に向かうことになります。
B 稲作農場 賭けの失敗
野原に出ると景色が一変します。灰で全面白かった森から「美しい桃いろと緑と灰いろのカード」の田んぼの地帯となる。色の場面転換が見事に描かれています。それらは畔で区切られた田んぼに花が咲いた蓮華草と穂のついた草、そして代かき中の泥の色でした。
ブドリはこの地方で「指折り数へられる大百姓」(富農だが、近代的かは?)」の「鬚の赤い人」と農作業用の「白い笠をかぶつたせいの高いおじいさん」が議論しているところに出会います。赤ひげは根拠のない賭けをし、緑肥の他に金肥の大豆かすと鶏糞を大量に田に施そうとしました。それに対して経験豊かな老農はそんな(窒素主体の)肥料を大量に入れても葉や茎は茂るかもしれないが実は取れないぞと諌めます。でも赤ひげは言うことを聞かない。ブドリは赤ひげが「ささげの蔓でもいゝから手伝ひに頼みたいもんだ」(――賢治の故郷ではこういう言い方をしていたのだろうか)というのを聞いて自分を使ってくれと申し出る。こうして彼はそこで6年間働くことになるのです。馬の指竿とりをして代かきをする。馬や牛を使った代かきは1960年前後まではどこでも見られる風景でしたが、今はもうありません。その様子は『グスコン伝』の方が苗とりや苗運びの仕事も加えてずっと詳しいが、少々くどい感じがします。ブドリは10日以上かけて田植えをし、7日以上かけて除草作業をします。ここでもブドリはその苦しい労働に没頭します。そのさいにちょっと注意すべきことは、田植えは近所で共同でなされ、お互いに助け合っていることです。結のことです。
さて老農の忠言が当たる時が来る。赤ひげの田の苗は「おおきくなつてまるで黒い」のに隣の田の苗は「ぼんやりした緑いろ」なのです。それは窒素肥料が利きすぎてしまい、土性や成育過程に沿った肥培管理をしなかった結果なのです。イネは軟弱になり、その葉に赤い点が入っていもち病になってしまう。賢治は羅須地人協会での講義で窒素肥料のやりすぎはいもち病菌の胞子の発芽を促して病気に対する抵抗力を弱めることを伝えていました(参照、絵図44)。赤ひげはこれでどうだとやった工夫が失敗したのですから、大の男でも寝込んでしまいます。これは今でも経験する光景です。赤ひげは石油をかけて病気を退治しようとするが、田はつながっていて共同の水管理になっているから、下隣りの田にも石油が流れ、そこの持主と争いになってしまう。隣人がなぜそんなことをするのかと文句を言いますが、赤ひげはその非難の言葉を3度もおうむ返しにしたうえで理由を答えるところなど漫才のやりとりのようで、笑ってしまいます。結局、自然法則を無視した石油治療の賭けなどは利かず、田は青刈りとなってしまう。
翌年になると、赤ひげはブドリに「死んだ息子の読んだ本」を与えて自分の代りにいもち病対策の勉強をさせます。ここでも科学の本が助けとなるのです。ブドリは「木の灰と食塩」だけを使って窒素は切り、それで、成功する。その本のなかにブドリがやがて町に出て勉強することになるクーボー大博士の「物の考へ方を教へた」「親切な本」がありました。どんな物の考え方なのか。ブドリはイネの生理や栽培管理等の外に地学を含むもっと一般的な自然科学の方法や知識を知ったに違いありません。賢治が学んだことです。こうしていもち病は克服したが、赤ひげの経営は度々の寒さと干ばつのために金肥を買うお金も無くなってしまう。ブドリは解雇される。でも彼はそれまでのつらい仕事(搾取を含む)も忘れて雇用の継続を願うのだが、赤ひげにその余裕はない。ブドリは赤ひげからいくらかのお金と「新らしい紺で染めた麻の服と赤革の靴」をもらってイーハトーヴの町に出ていく。ブドリは18歳の青年になっていました。
3 大規模な科学研究による大自然改造
ブドリは働きながら勉強してもっと楽に田んぼ仕事ができる方法を得たいと思いました。彼はグスコン伝ではイーハトーヴ行きの汽車のなかである紳士から博士の学校は働く者の成人学校であることを知って喜んでいます。賢治は詩「稲作挿話」のなかで本当の勉強は学校制度や施設のなかで義理でやるのでなく、また1時期に限ってやるのでもなく、ずっと生涯にわたる実地の生活と働きのなかから得られるものだと語っていました。これは立身出世のための階級教育とは異なるものです。ブドリはクーボー大博士の学校で本格的な自然科学の勉強をすることになります。
A クーボー大博士の社会人学校に入学する
ブドリは博士の学校に入学する前にすでに工場と農場での実際に携わり、本で自習もしていましたから、自分の経験を整理し方向づける科学的精神が身についていました。だから、学校で何年もだらだらと過ごしていた他の生徒と違って、専門知識がピシッ、ピシッと頭に入るのです。ところでこの博士の風貌や行動が変っています。背は高く「ぎらりと」光る眼鏡をかけており、その様子は棟方の挿絵によく出ています。これは賢治の先生であった関の狷介な風貌に近いようです。この博士の行動も変っていますが、これはまた後で。
ブドリはここで大長期にわたる「歴史の歴史」という地学を学びました。博士は講義をする時に「大きな櫓の形の模型」を使うのですが、それは井上克弘の丁寧な調査によると、どうも箱根火山と阿蘇火山の立体模型らしい。賢治はそれを文学的に説明しますが、それが科学の方法を示していて面白い。模型の取手をまわすと船の形となり、また廻すとムカデの形になる。火山をある角度から見るとああ見え、他の角度から見るとこう見える。これは幾つかのチェックポイントを設けてある物を分析することでしょう。ブドリは博士に教わる前に自分で科学の本を読み、そこで得た知識を畑仕事で泥のついた「汚ない手帳」に書いていましたから、博士が火山の断面の「込み入った図」を黒版に書いてもすぐに理解できたのです。
参考のために『グスコン伝』の方の説明を引いてみます。「こゝのところから昔の方を見ると昔といふものがいかにもかういふ風のものであると見える。決してもうこの外でないと見える。ところがこゝのところから見れば昔といふものがかういふ風のものでもあると大ぶ変って見える。そしてもうその外のものでないと見えるから、前のこの見方はうそだと云ふ。ところがもつとこの辺に来て見るとこういふ風に見えてくる。そしてどれがほんたうであると何人も云ふことができぬ。」たしか『銀河鉄道の夜』にもこんな4次元宇宙の科学観を語る人物がいたと思います。鉄道のある大人のお客がジョバンニに話していることです。信仰でも経験科学でも何が本当かを見分ける実験の方法が決まらない限り、絶対的で永遠のものはなく、あるのはその時間のなかでのその考えである、と。賢治の当時、梯明秀もこう言っていました。近代自然科学はその知性の能力に限定されて、無限の物質世界をただ近似的に模写するだけである、自然の絶対的真理は近代科学の部分的で相対的な認識の無限進行のうちにやがて明らかにされていく。と。ブドリはこの方法を身につけていたから、次のような卒業試験に一発で合格できたと言えます。
博士は工場の煙突から出る煙にはどんな種類の色があるかと問題を出しました。普通の生徒であれば、われわれであっても、黒とか灰色と答えるだけでしょうが、ブドリは違っていたのです。黒、褐、黄、灰、白、そして無色(!)、さらにそれらの混合、と。これだけでも彼はゆきとどいた観察眼の持主であることが分かりますが、煙の形を聞かれた時の答がふるっています。彼は風の有無や煙の成分や量、煙突の様子、雲の高さ等の条件によって形はさまざまになると答えるのです。これを聞いた博士が喜んだことは言うまでもありません。賢治も同じで、草野心平によると、その詩のなかで描かれた雲は何ひとつ同じものはなかったということです。
ブドリは卒業試験に合格し、博士の紹介で火山局に就職することになりますが、ブドリが学校を出る時に博士が取った行動が奇妙でした。博士は「ごみを焼いているのかな」とつぶやいて窓からぷいっと飛び出し、小さな飛行船に乗って町の上を飛んでいくのです。
B 火山局で火山の観測に携わり、災害の克服に取りかかる
さて、ブドリは火山局でペンネンナームという名の技師と会い、彼から仕事をする時の心得を聞かされます。そこは沢山の器械が並んでいてイーハトーヴすべての火山の現在の様子が一目で分かるように数字化され図示されている。それは賢治が夢に描いていた――今日でも同じ――理想的な観測体制でした。火山の噴火が予報できれば、ブドリたちがテグス工場で経験したような損害をなくすか少なくすることができるのです。でもそんなに整備された体制でも技師はこう言います。自分は長いこと研究してきたが、一つひとつの「火山の癖といふものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしつかりやらなければならんのです。」これは今日でも同じであり、学者はどの火山がいつどの方向に爆発するかをはきはきと言えないでいます。それに予測を誤まれば大変な被害をもたらしてしまいます。ところでこの『グスコー伝』では『グスコン伝』にあった技師のあの印象深い言葉は消えるのですが、それをもう1度出しておきます。火山の癖は「鋭いそして濁らない感覚をもった人こそわかる」のであり、「これからの仕事は私は学問と経験で、あなたは命をかけて、わたくしは命を大事にして共にこのイーハトーヴのためにはたらくものなのです。」これはやがて分かりますが、『グスコー伝』の終りの場面を予告するものでした。
こうして2人の活動は始まり、技師は科学的観測に基づいてサンムトリ火山の爆発が近いことを予測し、その爆発の前に火山の中腹にボーリングをして地下にたまった圧力を抜くことにする。人工的に火山を爆発させるのです。これは自然の言うことに聞いて自然をコントロールする大自然改造です。ここでは自然法則を知って改造することの問題性は出ていませんが、彼は他の所では知っていました。この火山の爆発は亀井茂のこれまた周到な調査によれば、当時の阿蘇火山の爆発を創作の材料にしていたようです。
さて物につく科学研究は人をしてずいぶん落ち着かせるものだと思います。観測は火山性地震でぎしぎしいう小屋でなされるのですが、技師は今後の見通しをつけると、「一つ茶をわかして呑もうではないか。あんまりいゝ景色だから」と実に悠長なのです。また博士が例の飛行船に乗って様子を見に来るのですが、「お茶を呼ばれに来たよ。ゆれるかい」と、いかにものんきなのです。それだけでなく、地震で激しく揺れて床へ投げ出された時でも博士は「やるぞ。やるぞ」と嬉しそうであり、『グスコン伝』ではブドリも技師に向かって「先生、かう来なくつちや駄目ですな」と調子を合わせていました。怯農や堕農と違って、いちいちあわてないのです。
こうして火山爆発の降灰問題は解決しました。次の問題はブドリたちが経験した旱魃と肥料の問題ですが、潮汐発電所を海岸に張りめぐらせて電力を確保したうえで硝酸アンモニアの化学肥料を生産します。その粉が飛行船によって雲の上からまかれ、同時に放電で雷を引き起こして雨を人工的に降らせます。この辺、絵にしたくなります。私どもの少年時代にはこの種の実験がなされることがありました。これで干ばつと肥料の問題は解決します。ブドリは地上で皆が「オリザの株を手で撫でたりするだろう」とうれしくなるのです。今でも農家は豊作の時にそういう仕草をします。こうして皆の幸福がブドリの幸福になるのです。
ここで一つのエピソードが入ります。ある時ブドリは「髪を角刈りにしたせいの高い男」(ちょっと怖い風貌)を始めとする18人の百姓たちに殴られて気を失ってしまいます。ブドリは硝酸アンモニアを空から降らせる時に、農家に対してその分を勘定にいれて肥料をやり過ぎないように注意を出していたのですが、ある技師がそれを間違えて指示したために窒素肥料の入れ過ぎとなり、稲は実のなる前に倒伏してしまったのです。技師はそのことで責められるのを恐れてブドリのせいにしたのでした。この事件に似たことは賢治自身が肥料設計をした時に経験したことでした。
終曲 自然の支配は犠牲を求める
こうしてブドリは自分が経験した災害を科学技術によって克服してきましたが、最後に残ったのが冷害でした。彼が27歳の時です。測候所が太陽の黒点の出方や春前の2月にベーリング海の氷が融けない様子を見て冷害を予測します。本当にその通りになります。その冷害はブドリの家族が壊れた原因でしたから、彼はその克服のために何ができるかを考えました。それがカルボナード島の火山を人間の手で爆発させ、そこから出る炭酸ガスを地球の「大循環の上層の風」に乗せることでした。それで地球全体を包み、下層の大気や地表から熱が放散するのを防ぐのです。温室効果です。でも今日の科学の常識では、火山の爆発は炭酸ガスだけでなくチリをも大気中に拡散させ、それが太陽の光と熱を遮りますから、地球は逆に冷えてしまいます。まあこれは文学ですから、そのことは置いておくとして、問題は誰がその爆発の装置にスイッチを入れるかでした。その任にあたった者はなぜか逃げられず、死なねばならなかったのです。この時のブドリは異常なまでに勢いこみ、他の者でなく自分にやらせてほしいと志願しました。ここで『グスコン伝』でペンネンナーム技師が言っていたこと、命をかける者と残って命を大事にする者との違いが実現するのです。また同じ『グスコン伝』でブドリに相談された博士は「どうしてもどうしてももうできないときは落ちついて笑つてゐなければならん」と説得するのですが、ブドリはあきらめませんでした。「私にそれをやらせてください。…(中略)…私はその大循環の風になるのです。あの青空のごみになるのです。」伝記のクライマックスです。
火山の噴火で自分を一瞬にして粉みじんにし、地球の一要素にしてしまうのは凄い想像力です。ブドリはそんな自己犠牲に飛躍せず、生きてもっとすることがなかったかと思うのですが、人間がそんな大それた自然改造をするのであれば、それと引き換えに差し出す何もないなんてことも考えにくいです。ここで物語は物語としての結末を迎えねばなりません。天空の風になるとかごみになるとか、激しくも昇華された美しい表現です。大循環の風になり、チリになって、人間は自然の成素に還っていくのです。こうしてブドリが1人火山島に残った後の次の日、人々は「青空が緑色に濁り、日や月が銅色になった」のを見ます。それから気候はぐんぐん暖かくなり、その年は豊作となった。『グスコー伝』の始まりのあの森のなかのブドリ家族の幸福は皆の幸福となって戻ってきたのです。
伝記はここで終りますが、私はこんなことを思ってしまいます。ブドリはクーボー大博士が出した煙の問題にくりくりした眼で答えていました。そんな眼をもってわれわれも周りの現実を見ることができたらいいのだが、と。彼は赤ひげの田んぼで代かきの仕事をした時に馬が脚で跳ね上げる泥をかぶったことでしょう。そして汗と泥にぬれた身体を畔に腰かけて休める時、彼方の雲が空を流れながら刻々に変化していく様に見入っていたのでないか、そんな風に想像してしまいます。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study964:180424〕