今年もまた、国会前で樺さんを偲ぶ集まりを

そういえばこの6月10日に追悼の催しを予定していた蔵田計成さんも毎年顔を出していたのが樺美智子さんを偲ぶ会だった。蔵田さんを追悼する会はコロナ禍の収まらない現状の中で中止になったが、彼の元気だったころの話が自然と思い浮かぶ。彼とは樺さんを偲ぶ催しで会い、彼の晩年にはそこがあう機会だった。蔵田さんは、昨年はもういなかったのだけれど、僕らは樺さんを偲ぶ会でであった多くの人の野辺送りをしてきた。顧みれば、かつて樺さんと闘いの隊列にあった人の多くは鬼籍に入っている。そう言わなくとも高齢者になっているのだ。そんな中で樺さんを偲ぶ会を続けるのは、どうかという内心の声もあるのだけれど、さりとてここで中断する気にもなれない。今年も、6月15日に国会南門前でこの会をやることにする。いつまで続けられるのか分からないが、僕は今年もやりたいと思う。

この季節は紫陽花の季節だ。僕が紫陽花を好きになったのは1960年安保闘争のころではなかった。あの時も紫陽花は咲いていたのだし、目にはしていたのだろうが、格別に意識には上らなかった。紫陽花を好きになったのは後年であり、1970年前後かもしれない。でも不思議なことは自分のなかでは紫陽花は60年安保と結びついている。6月という季節感が結びつけてきたのであろうか。この安保闘争だが、それは昨年、60年を迎えていた。人でいえば還暦になったということだろう。一般には1960年安保なんて忘れられたものとは言わないにしても、歴史の一齣にすぎないだろう、と思う。記号のようなものとして記憶されているに過ぎない。無理もないことだ。時間の流れが速くなる中で人は過去の事件にこだわり、それを記憶して置くことなんかできにくい時世である。だから、これが歴史の彼方に忘れ去られて行くのはいたしかたがない。だが、それに抗いたいというか、想起したいという思いが僕にはある。

樺さんの写真を目にするとき、僕は僕の中で忘れられている時間を、60年という時間を想起する。回想すると言ってもいいのかもしれない。想起や回想は、過去が過去としてあるのではなく、現在としてあることを暗示している。過去は想起され、回想されることで現在としてあるだけではなく、現在とは過去によって構成されている。回想とはそういう事であり、後ろ向きながら未来に向かって生きることである。歴史とはそのように現在としてあるのだと思う。樺さんの写真の前で、僕は変ってきた自分を思い、切ない思いになることもある。誰かの歌ではないが、あなたは時々でてきた、変っていく自分を叱ってほしいというのがあるが、無言のうちに樺さんに叱られたいと思ってぃたのかもしれない。樺さんの写真をまえにして思うことはひとさまざまだろう。ただ、僕にはそんな思いもある。今年もまた6月15日に樺さを偲ぶ会をやりたい。(文責・三上治)

時 6月15日(木)13時
場所 国会南門前(旧南通用門)
主催 9条改憲阻止の会

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