観終わった直後最初に出た言葉が、「嘘っぽ過ぎるな~」でした。
観ていて途中ダレました。
「な~んてね」という主人公森口先生の最後の科白は、ただの復讐劇を更正してやっているように言いたかったのでしょうが、その薄ら寒さも見えて。
観客に対して、「凡て虚構だよ」といっている感じがしました。
リアルであるようでリアリティーを感じない、「だから映画なんだよ!」ということでしょうか。
森口先生の「母親」であり「教師」である人間の「告白」にしては薄っぺらくて一枚岩だと思もわざるを得ませんでしたし、そして、それぞれの登場人物の告白が、嘘っぽく聞こえて心には響いてきませんでした。
二人の少年達も共にマザコン過ぎて「13歳はもう充分に大人だよ、甘ったれるんじゃないよ!」と言いたかったですね。
映像も音楽も無闇に意味深にしたいようで、雲の流れの映像とスローモーションを 『悲劇の連鎖』 毎に差込み精神の時空を諮り、Radioheadの「Last Flowers」のお経のような呟きのバックグラウンドミュージックもそれなりに功を奏して、内容の一枚岩を救っているかのように見えますが、私なんぞは、かえってそれが気になり、この映画の内容にそぐわず邪魔になり、白けて入り込めませんでした。特に唐突にはいる美しくもない雲の動きの有り体の映像なんぞは、内容との乖離が甚だしく、また過激な場面のスローモーションも従来どおりのあり方で、なんら新鮮さもなく、詩情もなく、美的でもない二流映画のエンターテイメントとしては楽しめるかもしれませんが、、、。
教師も母親も生徒達もモノゴトを相対化できない幼児性が抜けない現代の病理、短絡した精神構造を表しているのでしょう。
映画の後半で、森口先生が雨の中で泣くシーンがあります。
これは彼女が、復讐の無意味さ虚しさを認識しながらも、それをやらずにいられない自己の性に涙しているのでしょう。家族をすべて無くし、残された彼女の生きる道は唯一つ復讐しかないと思うその哀しさ、貧しさなのです。
単純に復讐の鬼とはかせない、人間の心のひだの中に存在する「良心」というべき心理の複雑さが疼いたのでしょう。 それも刹那の事でしたが。 その次の瞬間には 『ばかばかしい!』 と棄て科白をはかなければならない彼女の心の裏腹、ここには人間の心の複雑怪奇なリアリティーがあるように思いました。
映倫のR15指定とはナゼなのか分かりません。
同世代の彼、彼女達が見てこそ意味があるのではないかと思うのですが。