仕事をするということは

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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二年に一度の業界の展示会まであと一週間。マーケティング部を中心に、三十人を超える人たちが展示製品の最後のつめでバタバタしていた。そんな騒々しい周りをしりめに、部長と課長はいつものようにコーヒーをすすって、たまに作業場に顔を出しては一言二言声をかけて席に戻ってを繰り返していた。

二人ともアメリカの制御機器メーカの日本支社に転職して二年以上経っていた。全く知らない業界でもないはずなのに、技術知識も業界の理解も限られていて、出来ることと言えば、偉そうに振舞うことと部下の仕事へのコメントぐらいだった。

モータ制御系の主力製品が古すぎて出展してもしょうがない。そこに一機種だけ異彩を放つ製品があった。合弁相手のイタリアのコンピュータメーカが机上の発想で開発したとしか思えない、よく言えば個性のある、奇妙奇天烈な製品だった。エンドユーザから強圧的な指定でもなければ、誰も検討どころか気にもかけない。もし売ってしまったら、アプリケーションエンジニアの誰かが客先で何ヶ月か人質になることを覚悟しなければない。実務レベルの誰もが売ってはいけない製品だと思っていた。

工作機械業界のことを知らない部長がアメリカ人の社長に自分の存在をデモンストレーションしようとして、後先考えずに出展を決めた。彼にとって展示会は市場開拓の手段ではなく、上司の目を引くための機会だった。

格好をつけたい部長が課長に出展に合わせてカタログを作るように指示した。マーケティングの実務部隊は出展準備に忙しくて、どうでもいい製品のカタログにまで手が回らない。空いているのは課長しかいなかった。

毎日事務所にはいるが、コーヒーカップの上げ下げが最も力を使う作業で、仕事という仕事は何もしない課長。それでも、日本の同業から転職してきた人で、工作機械の詳細はいざしらず制御装置に関しては最も詳しいはずだし、部長にしてみれば、カタログぐらい課長でも作れると思った。それも三ヶ月という期間に加え、名古屋支店までその製品を使ったことのあるアプリケーションエンジニアに何度でも訊きに行ける。時間はあるし出張予算もある。このありすぎる余裕で、まさかカタログが展示会に間に合わないなど、誰も考えてもみなかった。

そのまさかが起きた。あと一週間で展示会という最後の最後になって課長ができないと放りだした。部長に呼ばれた。一週間でカタログを作れないか?工作機械メーカにいたときに懇意にしていたデザイン会社に相談して、質や内容は二の次にして最短時間でできるカタログ作りを始めた。印刷まで含めて一週間しかない。それでも格好だけはつけたい。二つ折りの四ページではなく、八ページの体裁のいい物にした。

担当していた仕事をマーケティング内で割り振って作業にとりかかって驚いた。課長から引き継ぐものが何もない。三ヶ月間、名古屋支店に何度も出張して何をしていたのか。あるのは機能を理解しようとした痕跡の見える意味不明のメモ一枚だけだった。ユーザーズマニュアルを斜め読みして、機能や性能を抜き出して、何を売りにするか、写真や図は……土日も出社して、毎日終電まで作業したが間に合わなかった。展示会の二日目の午後になってやっとカタログが届いた。

会期中にはなんとか間に合ったが、カタログに載っている自分が書いた機能や性能、特徴としてキャッチに使った機能など、書いた本人が分かっていない。なんとなく分かったような気にさせるまでの、ごまかしのカタログしかできなかった。

ユーザーズマニュアルを五十ページ以上読んでも、何をどうすればいいのか分からない。凝りに凝った機能と強力なプロセッサによる抜きん出た性能はいいが、世界の標準的な装置に慣れた者には異様にしかみえない。車に乗って運転しようとしたら、ハンドルが見つからない、アクセルとブレーキはどこにあるんだという感じだった。

既にこれ以上落ちようがないところまで落ちていた課長の立場は回復しようのないところまで落ちた。何をしなければならないかを判断出来ない、部下の能力を把握しきれていないことを露呈した部長も立場があったとは思わない。展示会の体たらくだけが理由ではないが、一年後には課長が、部長も三年を待たずに解雇された。

傭兵のようなかたちで雇われて仕事をしてきた者、実務で能力を証明しなければならない。それこそ一戦一戦が勝負になる。最悪の場合でも負けない戦に持ち込んで延長戦で勝ちを拾うくらいの気持ちがなければ生き残れない。ところがそれをすれば、上司や前任者、しばしば同僚が仕事をしてきていないこと、していないこと、さらにはする能力や意志がないことを証明することになりかねない。

仕事をしなければ自分がない。仕事をすれば周囲の人の立場が気になる。波風はたてたくないし、上手く周囲を盛り立ててと思うのだが、これが思いのほか難しい。自分を落とした選択肢を考えないこともないが、いつもギリギリで、そんな余裕あったためしがない。仕事をされては困ると言われても、しなければ傭兵稼業が務まらない。

ほとんどの人たちは、傭兵のようにせっぱ詰まった状態にはないと思うが、気がつかないだけで、似

たようなことはいつでもどこにでもあって、程度の違いでしかない。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6507:170214〕