令和に感ずること

著者: 岩田昌征 いわたまさゆき : 千葉大学名誉教授
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卯月一日(月)午后4時頃、経産省前道路脇の反原発座り込みに30分程参加。常連の90歳余嫗が開げた夕刊か号外に新年号の「令和」を見た。帰路に夕刊を求めて、「令和」の出典が万葉集巻五である事を知った。三つの感想が湧き起った。
第一に、九州人は嬉しいだろうな――そうではない九州人の知友の顔もちらほらするが――、であった。その反射として鳥が鳴く吾妻人としては一寸うらやましくもなった。同時に、京の都、あるいはその周辺から選んでいない所に権力深層の知を感じた。
第二に、巻五の梅の宴の32歌人の中に山上憶良がいる事だ。憶良の有名な長歌「貧窮問答の歌」は同じ巻五に納められている。1%対99%と言われる世界大超格差の時代を極東のYamato Archipelagoがクリティークする発話として「令和」を受け止めたい。極差(左)極有(右)は不和の源であるからだ。経産官人よ憶良を思へ。
第三に、福島原発事故処理が令和期に完了できるかどうか、と言う心配である。平成、令和、そして「未年号」の三期にわたるかも知れない。これまでに提示していた私案はこうであった。放射能デブリは無理して外へ出さない。現地の地下に封印して、古事記の八十禍日神、大禍津日神に見立てる。そして「その禍を直さむとして成れる神」である神直毘神、大直毘神と合わせて祭神とする原発神社を創建する。新元号の由来を知った今、原発神社の周辺に大梅林を明治神宮の森なみに造林する。「令和大社」と名付ける。やがて日本だけではなく、世界各国の科学者・技術者達が近現代科学技術が人世にもたらした正負明暗を精神の深みで自己検証する大霊場となるだろう。

    花の頃梅の宴の心根の御代名(みよな)となりて善(え)しや双花(ふたはな)

    平成3142日(火)     大和左彦/岩田昌征 

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〔opinion8532:190403〕