――伊須気余理比売の許(もと)に幸行(い)でまして、一宿御寝(ひとよみね)しましき。後にその伊須気余理比売、宮の内に参入(まゐ)りし時、天皇歌よみしたまひけらく、
葦原の しけしけ小屋(をや)に 菅畳(すがたたみ) いや清(さや)敷きて 我(わ)が二人寝し
とよみたまひき。――(ワイド版岩波文庫)
この歌を黙読しつつ、即位礼絵巻をテレビに観てはや一日こそ過ぎけれ。その間こしをれ八つ首詠みけり。
あしはらのしけしけをやや思ほゆる
わご大君が高御座かも
あしはらのしけしけ小屋ゆ百余(ももあま)り二十余(ふたとをあま)り六つ代となりぬ
百余り二十余り六っつ代の
すめらみしるし(象徴天皇)くにたみは得ぬ
大君とすめらみことの世替りて
すめらみしるし三つ代となりき
大和児はてひとたくみと田ちからそ
青人草(あをひとぐさ)は今は昔そ
すめろぎは人となり給ひし人草も
人とはなりぬ今津代よしや
大君の皇孫(すめみま)まこと人となり
いくさ世(or銭が世)の禍(まが)ともに正さむ
今津代のいすきよりひめ容姿(すがた)良し
十二単衣も洋装もにほゆ
令和元年神無月廿二日即位礼翌日に詠む。
尊王攘夷かまびすくなりそめし今、尊王佐幕ならぬ尊王左翼大和左彦記す。
令和元(二〇一九)年神無月廿三日
追 神無月廿八日
攘東夷敬西戎こそ可笑しけれ
資本主義者の成れの果かな
国士木村三浩氏の排す亜馬魂、和魂を包み尽くせしか。
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〔opinion9132:191031〕