随分前になるが、展示会でシカゴにいったとき、日本から出張できたエライさんをお連れする日本飯屋を探したことがある。ホテルの部屋にあったイエローページをめくってみたが、看板だけの日本メシ屋も多いし、どこがいいのか見当もつかない。日本人に知られた店はご同業で溢れていて、どうしてもひそひそ話になってしまう。シカゴに来るたびに同じ店というのも芸がない。どうしたものかと思いながら、展示会場に併設されたようなホテルだから日本人客も多いし、フロントなら最新情報をもっているかもしれないと訊きにいった。
部屋に戻って早速予約してほっとした。これで明日の晩の心配をしなくてすむ。レッドソックスに移籍して大活躍した松坂大輔にあやかったのだろう、店の名前は「Matsuzaka(松坂)」だった。大リーグを渡り歩いて、ワールドシリーズでも勝利投手にもなった。そんな松坂がプロ野球に帰ってくると聞いたときは、嬉しさより寂しさの予感のほうが強かった。全盛期とまでいかなくてもいい。かつての松坂ではないのはわかっている。でも、松坂は最後まで怪物松坂のままで引退して欲しかった。
西武ファンでもなければ、松坂ファンでもない。でも、あの負けん気ともって生まれた才能には好き嫌いを越えたものがあった。そんな松坂なのに、この原稿を書こうとしたら、度忘れして名前が出てこない。西武からレッドソックスに、そしてと考えても松永の名前がどうにもでてこない。松井じゃない、松下じゃない、松なんだったっけと散々考えたが思いだせない。ほっと出てきたのが仇名だった。横浜高校野球部のチームメートの誰かがテレビか何かで言っていたのを思いだした。「サボリの松」。練習をしょっちゅうズルしていたらしい。Google Chromeで「サボリの松」と入力して検索したら、いくつもでてきた。
テレビで松坂の投球を見るたびに思った。天賦の才能としか言いようがない。身体が壊れるまで練習に励んでも甲子園どころかレギュラーになれずに終わる高校生も多いなか、サボってあの成績。そしてプロ野球でも怪物ぶり発揮した。
転職を重ねているといろいろな人に出会える。オランダの会社の日本支社にお世話になっていた時、同僚の一人に甲子園を目指した人がいた。京都のお茶屋の息子で、甲子園にいかんがために一時間以上かけて滋賀県の高校に通った。名門校だったのだろう、外野のポジションをとれずに控えの枠にも入れなかったと笑い話にしてくれた。
「二年になってなんとかしなきゃってやったんやけど、一年生に化け物みたいのが二人いてんね。どうやってあんなに飛ばすんやろって。昨日まで中学だったのに、バットの振りが全然違うんや。二人の競争に弾き飛ばされて、補欠にもはいれんかった」
「練習練習で野球以外のことなんか考えたこともなかったわ。授業中みんな寝てんねん。いつものようにぐっすり寝て、目が覚めたら、机の上に垂れたよだれが湖のようになってん、さすがにびっくりしたわ」
行くとこ敵なしだった松坂ほどの選手でも、年にはかなわない。老いぼれた怪物は見たくない。出処進退なんてのは普通の人たちに問われることであって、名を馳せた人たちには後進に道をゆずる潔さを見せてほしい。松坂には、惜しまれながら「ボールを置く」ときを見誤らないようにと願っていた。
引き時は誰にとっても難しい。大勢に紛れていたのならまだしも、一世を風靡した人ともなると周りの声もある。ご本人もまだまだ若い者にゃ負けないという思いもあるだろうし、事実台頭してきた若い人たちよりも実力もある。まだまだ「往年のと」言われるには早すぎると誰もが思う以上に、同年代や高齢者からの厚い支援におされて、なかなか勇退を言い出しにくい事情も想像できる。
もう一年、もう一年と続けるのが苦しくなっていることを自覚してはいても、経済的、社会的な立場を考えると、いつどうやって有終の美をかざったものかと思案することも多くなってくるだろう。
若手の伸び代と自分の縮み代を計りにかければ、縮み代が目につかない内が華と思って、早々に引いたほうが有終の美もあろうというもの。平成の怪物の有終の美を見たかった。
若手もベテランと同じように年をとる。ベテランが一人現役にこだわれば、若手がチャンスを掴むきっかけを失うこともある。若手には伸び代があるが、ベテランには縮み代しかない。生涯現役、聞こえはいいが、社会にはシルバーシートとは違う、年いってるほうが譲らなければならない席がある。
2021/12/22
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆 編集
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