11月2日(木)、ワルシャワに着いた翌日であるが、有力新聞ガゼータ・ヴィボルチャ(選挙新聞)に興味深いテーマの記事「ナビエルスカ通りの再私有化は私達に何を示したか」に目が止った。マグダ・ブジェスカなる中年女性がワルシャワ市議会の社会問題委員会で証言する写真が載っていた。2011年に殺害された母親ヨランタ・ブジェスカ(1947年1月―2011年3月)の娘であり、彼女の両親が半世紀以上にわたって居住していた住居をマーレック・M氏がどのように彼の所有物として登記したか、更に表通りから自宅に通じる小路もまた再私有化されて彼のものになっているので、通行料として月500ズオティを支払うように両親達は要求された、と証言していた。これはただ事ではない。私の知人の小学校教師を40年間つとめた女性の年金は、月に1700ズオティであった。私は、マウゴジャータ・ズビクの署名があるその記事を気を入れて読みはじめた。
11月3日(金)、ワルシャワ大学近くの書店で『これは勤労者のためになる国ではない』(ラフォウ・ウォシ、wab、2017年、ワルシャワ)、396ページの大著を買った。書名が気になったからである。パラパラめくると、210ページから213ページにかけて、著者は「誰がヨランタを殺害したのか」をテーマに論じていた。
以下、ポーランド語のネット情報をも参考にして、ヨランタ殺人事件の所有転換論構造を述べる。
ヨランタ・ブジェスカが50年以上住んでいた住居が納まっているマンションは、戦前1930年代に建てられた。戦争によって、そのマンションの容積の9割がたが破壊されていたが、ヨランタの父親達労働者が未破壊部分を足がかりに再建した。マンションは旧所有者の手を離れて、国有化、あるいは共同組合化された。父親はそのマンションの一画に自分の住居を手に入れた。時は移り、1974年にヨランタの母親、ヨランタ夫妻、そして娘のマグダは、同じマンションの14号住居に移った。台所と3室で77平米あった。
旧体制が崩壊して、資本主義体制が復活すると、共産主義システムによって不当に奪われた土地・建物等の旧所有者とその正当な相続権者達への返還=再私有化が始まった。ここに旧所有者の相続人達から旧私有財産返還請求権を買い集め、現在の居住生活者達を硬軟両様の手法で退去させ、マンション・アパート・土地を市場実勢価格で売却して巨利をむさぼる専門業者が出現する。その一人が殺害された母親ヨランタの娘マグダの証言において名指しされたマーレック・M、詳しくは、マーレック・モッサコフスキ氏である。
マーレック・Mは、2003年にナビエルスカ通りのマンションの旧所有者の相続人達が有する私有財産請求権を買い集め出した。そして2006年にヨランタ夫妻の所へ正当な私有権者の全権代理人として姿を現した。ワルシャワ市、あるいは住宅共同組合は、マンション・アパートの所有権・管理権をすべて旧所有者に返還した。賃借人であるヨランタ夫妻達が賃料を定期的に振り込んでいた口座が自動的に旧所有者、あるいはその全権代理人の管理へ移る。こうして、各種公的機関は、住宅問題から手を引き、すべてを強弱の力関係に差がある両当事者間の交渉にまかせた。と言うよりも、司法的・行政的には居住事実に依拠せざるを得ない側よりも体制転換の根本原理の私的所有に立脚する側に立った。
全権代理人は、一方的に公的賃貸契約を破棄して、数回にわたって賃料を値上げした。それはヨランタの年金額を上まわった。賃料不足分の累積を理由に公的な退去命令を出させた。ある時は酔った男達が金鋸をもってヨランタ夫妻の住居に侵入しようとしたが、警察は、私的所有者はどんな人物でも自宅へ招待することが出来るとして、特に何もしなかった。
多くの賃貸居住者は、どこの誰に訴えてよいのかわからずに、不公正感をいだきつつも、結局退去して行った。しかしながら、ヨランタ夫妻は例外的に社会運動を組織して抵抗した。「追い出された賃借居住者を守る会」を結成して、同様の苦しみをかかえている多くの人々の支持を得て、正式に登録される団体に成長させた。夫は心労の結果病死したけれども、ヨランタは頑張り続け、独学で関連法律知識を身に付け、同じ状況にある人々を支援し、デモ・集会に参加し、やがてワルシャワ議会の主催する討論会で意見を述べ得るようになった。
2011年3月1日、ヨランタは一人家を出たまま消息を断った。6日後、ワルシャワ郊外のある森林で焼死体となって発見された。生きながら焼かれたのであったが、自殺説は否定され、他殺であった。しかしながら、検察・警察は、犯人をあげることが出来ず、捜査は打ち止めとなった。ヨランタのいなくなった住居は、2014年私有権者によって80平米で100万ズオティ(現在1ユーロ≒4.2ズオティ)の価格で売りに出された。ヨランタの娘マガダは10年間別の所で生活していたにもかかわらず、権利なしに住宅を不法占有していた事への罰金4万ズオティの支払が命じられた。
かくして、戦前の旧所有者の権利を全面にかかげた再私有化ビジネスマン集団の社会的大勝利になるかと思われた。しかしながら、2016年にジャーナリストのマウゴジャータ・スビク等の連載記事によってワルシャワ市の再私有化疑惑が爆発して、政治的スキャンダルに発展した。と言うのも、ワルシャワ市は、長年、市長も議会もリベラル市民主義のPO「市民プラットフォーム」が政権を握っており、彼等が市内の再私有化案件の処理を行って来たからである。民族主義的なPiS「法と公正」は、大統領と政府を握っている。その故か、法相・検事総長は、ヨランタの焼殺事件の捜査再開を命じ、しかもワルシャワ市外の司法検察にその捜査権を移した。勿論、PiSが権力を握る地方自治体下の再私有化がきれいと言う訳もなかろう。
『これは勤労者のためになる国ではない』の著者ウォシによれば、ヨランタ焼殺事件後に象徴される「野蛮な再私有化」の犠牲者は、ワルシャワだけで14万人いる。
第1の4万人は、再私有化プロセスで資金不足の故に居住権を所有権に出来なかった者達だ。彼等の運命は、「良き旦那」に出会って文明的に退去させてもらえるか、あるいは病理的な掃き出し屋に追い立てられるか、の違いしかない。裁判・司法の保護もない。裁判官さえも法律家でもある掃き出し屋と「階級的」に連帯している。
第2の10万人は、どうにかそれまでの住居に生活し続け得たけれども、経済的な負担増・債務増に苦しむ人々だ。何故そうなったか。ワルシャワ市は、旧所有権者への現物による返還が出来なかった場合、再私有化の権利者達に金銭的補償をする。市はそのための財源を求め、ここ数年で賃貸料を三倍増させ、同時にアパート建屋の修理費を減らしている。かくして、居住者の債務は、2007年の1億5千万ズオティから2016年に5億ズオティへ激増している。
こういう社会条件下において、前述した社会運動は、勤勉に働いて債務を返済しつつある中産層の利益に反する、公共住宅居住者の「堕落」として世論に報じられる面が強くある。
しかしながら、現段階ではヨランタ・ブジェスカは、ワルシャワの貧困層の人々にとって象徴的英雄のイメージとなっている。彼女の記念碑が建てられ、彼女の名前をつけた広場が出来たりする。
『アロナ・イヴァノヴナを殺したのは誰か』と言うドラマ、焼殺されたヨランタ・ブジェスカの生涯とドストエフスキーの『罪と罰』を結び付けた新作ドラマが2012年2月にワルシャワのある有名劇場で上演された。私=岩田は、そのドラマを観ていないし、内容も知らない。しかしながら、それが現在のワルシャワにおける住宅再私有化事件を突くものであろうことは想像がつく。
それから5年たった2017年10月14日にブルガーコフの『犬の心臓』がワルシャワで初演された。それは、1920年代の住宅国有化事件を突くものであった。訳者増本浩子(神戸大学大学院人文学研究科教授)等によれば、住宅国有化の受益者シャリコフ(=コロフ)は「悪党」である。当然、その受益者でもあり、推進者でもある現場ボリシェヴィキのシュヴァンデル、シャリコフをあやつるシュヴァンデルも亦「悪党」であると、増本氏等は考えるであろう。
このような訳者等の解釈が無理ないものとすれば、ワルシャワの劇団が今年になって『犬の心臓』を上演した事は、一つの社会的意図があるのかも知れない。すなわち、住宅再私有化で苦しんでいる14万人の人々は、所詮、住宅国有化時代の「悪党」共の子供や孫にすぎない!!正当な私有権者(旧所有者の子供や孫、彼等から請求権を買い取った者)によって追い出されても文句を言う資格はないぞ!!シャリコフやシュヴァンデルの子孫よ。
こう見て来ると、私を刺戟する想念が湧いて来る。ミハイル・ブルガーコフが共産党体制自崩後の住宅再私有化の狂乱を見たとすれば、どんな風に新版『犬の心臓』を書くのだろうか、と。
平成29年11月20日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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