何をみての誰にとっての生産性なのか

著者: 藤澤豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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入社して半年の新卒に課題が与えられた。「生産性を向上するには」という題で、考えをA4四五ページにまとめて提出しろという。

ITコンサルなどといってはいるが、現代版労働集約産業の典型といわれる業界での話しで、口の悪いのに言わせればIT土方でしかない。本社は瀟洒なオフィスビルにあるが、実務は派遣先の金融機関になるため、たかが人貸し業じゃないかという人さえいる。

ソフトウェアの技術者としての仕事とはいうものの、実態は最もクリエイティブな作業ですら、データ処理のシステム構築までで、ほとんどはシステムの稼動監視に過ぎない。

ソフトウェアエンジニアという漠然とした夢をもって入ったはいいが、やっていることといえば、コンピュータシステム上の処理を書類にまとめる作業で、なにがエンジニアなのかと思いながら半年。そろそろ日々の作業にも慣れて、仕事をしているというより、仕事が流れているだけになってくる。

それは会社としても分かっている。分かってはいるが、単調な繰り返し作業を削減するのは容易なことではない。作業を自動化するシステムを構築すれば、多少なりとも人間的な労働環境にもできるし、労働生産性も上がる。ただクライアントとの契約は、どの職階(資格)の人間を何人配置するかをベースに算出してという業界慣行があるから、自動化して人を減らせば売り上げが減りかねない。ましてやシステム構築には時間もかかるし、開発コストはクライアントに付け替えられないから、自社で背負い込まなければならない。それ相当の開発コストに日々のメンテナンスを考えると、とても手をだせない。

新卒で入ってきて半年やそこらの、実践経験のない人たちに、「生産性の向上」なんてことを訊いたところで、なにか実のある考えなど上がってこないのは分かっている。責任より権利が先になりがちの若い人たちに、自分で自分の労働密度を高める意識を植え付けるのが目的だが、そんなこと公には言えない。「生産性の向上」と聞けば、もっと働けと言われているとしか思わないのもいるだろうが、それはそれでしょうがない。真面目に考えれば、いったい何を期待しているのか判然しない設問だが、主体性をもってもらうためのものだから、それはそれでいいじゃないかと、毎年言い訳がましく思っている。

ここに一人名門私立大学の経済学部を卒業して、海外留学までしてきたのがいた。ゼミでイギリス人の教授について計量経済を学んだが、それ以上にイギリス人特有の多面的な見方、見えることから、その後ろに隠されている事実を想像することを学んだ。素直にまっすぐにしか物事を見れない性格だったが、言葉に隠された真意まで考える癖がついてしまった。フランスに留学したことがその癖を抜きがたい第二の性格にまでしていた。

生産性を向上するにはと考えてはみたが、いったい何をもってして生産性といっているのかをはっきりしなければ、向上するにしても、そのために何をすればいいのかが違ってくる。

レポートを受け取るのは人事の教育課の人たちだから、専門用語を多用するのは避けたほうがいい。せっかくきちんとまとめても、それを理解する基礎知識があるとは思えない。計算式は四則演算まで、用語は日常会話を一歩でたあたりまでで抑えた方が無難だろう。

投下する単位労働(A)から生み出される成果物(B)の多寡をもってして生産性を云々するのであれば、生産性は成果物(B)/投下する労働力(A)で表せる。ここまではいいとしても、計数単位をはっきりしなければ、何をどう評価するもしないも、何をいっているのかすら分からなくなる。投下する労働力(A)も成果物(B)もすべて金に換算して抽象化するしかない。同じ成果物(B)を得るのに投下する労働力(A)を半分にすれば、生産性が二倍になる。同じ労働力を投下して二倍の成果物を得られれば、生産性を二倍にできる。当たり前の話でしかない。

労働力は従業員をクライアントに派遣する全コスト。その全コストが上がらないように労働強化を図れれば、生産性を上げられる。どうすれば労働強化できるか?簡単な話で、単位コストの低い労働者に置き換えればいい。賃金も含めた全雇用コストが半額の人たちに置き換えれば、仕事をする人たちを二倍にできる。その二倍がそのまま成果物の二倍には結びつかないにしても、成果物が増えて、生産性を向上できる。

労働コストは、生活コストと賃金の安い地方(しばし海外)にサテライトオフィスでも開かなければ、大きな節減は難しい。であれば、労働コストをほぼ定数として、成果物の価値を上げられないかという別の視点がでてくる。

成果物の価値は顧客との力関係で一割や二割簡単に変わる。成果物をもっと高く売れれば、客にもっと金を払わせれば、たとえ労働力が少々高くなっても生産性を上げられる。

この視点で考えると、想像ででしかないが、あの営業推進本部の部長は大手生命保険からの転職組みだし、あっちの戦略推進室の部長は都銀からの、あの部長は航空会社からきてる。どれも金づるのクライアントで当面のプロジェクトの受注は間違いない。

公務員を引き抜いてというと、天下りだの汚職だのということになりかねないが、民間企業からなら、可能性としての背任罪までで、あまりにどこにでもあって騒ぎになるようなことはない。それどころか、クライアントの余剰管理職の転職先として重宝がられるし、緊密なビジネス関係を構築できる。

そもそも、会社経営にとっての生産性とはいったいなんなのか。突き詰めて考えれば、それは成果物(B)や労働力(A) から直接引き出されるものじゃない。企業活動の目的は利益を得ることだから、(労働)生産性云々ではなく、投下資本(C)に対する利益(D)の多寡の方が重要だろう。

資本の生産性とでもいうのか、これは利益(D)/投下資本(C)で表される。そこには時間の係数も入ってくるが、便宜上年度ごとで考える。今年仮に十億円の資金(家賃や人件費も含めて全ての費用)を運用して一億円の利益がでたとしよう。これを二億円にできれば、生産性が二倍になったことになるし、十億円では足らずに二十億円かけたら、生産性が半分になる。

ところが、忘れてはならない、もう一つ大事な視点がある。従業員にしてみれば、労働密度をあげて成果物が二倍になったとしても給料が変わらなければ、従業員の視点からみた生産性は上がっていないどころか下がったことになる。

ちょっと考えただけでも、誰にとっての、何に対しての生産性をいっているのかはっきりしてもらえないと、生産性を向上するには、と漠然と訊かれても困る。あの教育課のアホがいったい、というより会社はいったい何を求めているのか。尋いたところでろくなことはないだろうし、小学生でも分かる、みんなで話し合って無駄のない仕事をして生産性を向上しましょうって……。

この類のことは、相手が聞きたいと思っていることを、聞かせてやるしかない。なにが正論かといったところで、そんなものありゃしない世界の話。たとえあったとしても、そんなもん分かる相手でもなし……。意味のないことにかける時間がもったいない。まさか、これが巷でよく耳にする「生産性の向上」云々ということだとは思わないのだが……。そうは思いたくないが、もしかしたら、その程度なのかもしれない。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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