個人にも法人にも累進課税

著者: 藤沢豊 ふじさわゆたか : ビジネス傭兵
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便利になったと感じたら、どこかで誰かが職を失っている、あるいは正社員が非正規社員か契約社員で置き換えられていると考えたほうがいい。重筋労働から解放される。厄介な仕事も楽もなる。便利になるのはいいことだと思っていたら、みるみるうちに人手が削られて、無くなってしまった仕事もある。

高度成長期の末頃までは、自動化や省力化は製造現場の人減らしを意味してたが、インターネットが普及しだしてからは、オフィスワークから日常生活のありとあらゆるところで人の関与が省かれていった。就活も婚活もバイト探しも、はては墓地や坊主の手配まで、人に相談するよりインターネットで当った方が手っ取り早いし抜けがない。
すべては半導体の進歩とその上で稼働するソフトゥエアのなせる業なのだが、かつてのように手もとで使っているコンピュータ上での処理ではない。インターネットを介して、地球上のどこかにあるデータセンターで処理した結果が画面に表示されていて、その処理能力は人の能力をはるかに超えている。

人の手を介することなく、一日二十四時間、一年三百六十五日、自分の都合でしたいときにすればいいという便利な時代になった。あまりに便利になりすぎて、もし通信ネットワークに障害でも発生しようものなら、いつもの普通の仕事も個人の用事も一切合切がマヒする。便利さと引き換えに途轍もなく脆弱な生活基盤の上に乗っている。万が一にそなえて、データのバックアップもサーバもデータ送信インフラも二重化されて、いざという時に生じるであろう障害を最小限に抑えるシステムができ上っている。

そんなところに新型コロナウイルス禍で、どうにも表にでにくい。買い物にいくのも、たまの楽しみだった外食も控えるようになった。なにがあるわけでもないのにショッピングモールにいったり本屋に行ったりしていのは、ずい分前のことのような気がする。もう一週間も家から一歩もでないのが普通になってしまった。
おかげで日常の買物がネットショッピングになった。ちょっとためらいがあったが、慣れてしまえば便利なことこの上ない。しばし店頭で買うより安いし、重い買いものを抱かかえて帰ってくることもない。日曜品から衣料品や靴に食品、粉ミルクや紙オムツどころか乳母車もベビーベッドもなんでもネットで注文すれば翌日に届く。ネットオークションで乗用車すら買える時代になった。銀行に行って現金を引き出すなんてことも、近間のコンビニのATMでなんてことなくなった。クレジットカードを使えば自動的に口座から引き落とされる。

もう半年以上になるがインターネットでトルコ語を英語の教材をつかって独習している。ネイティブの自然な会話が中心の教材も無料なら、豊富な例文や発音までついている辞書も無料。本と違ってページ数を気にすることないからだろう、例文も豊富だし、説明は懇切丁寧。学校のように時間の制約もない。好きな時に好きなだけ勉強できる。ネイティブの発音もついているから中学校の英語の授業よりはるかに条件がいい。

どんどん便利になるのはいいが、便利さを享受している人たちは、どのような仕組みで便利になっているのか、また便利を提供している人たちの仕事がどのようなものなのかには興味もないだろう。かりに関心を持ったにしても、理解するだけの知識を持ち合わせている人は限られている。
便利にすることによって職業人として存在し得る人たち、そこで生じる経済的利益を手にする人たちと、便利になったことによって単純労働にしか従事し得ない多くの人たちに社会が分化してきた。経済的利益を得る一握りの人たちと不利益を被る大多数の人たちの間の経済格差が広がっている。

教育機会や個人の能力、持って生まれた才能や努力もあるのだろうが、便利にする側にたてる人は限られていて、多くの働く人たちは単純労働にしか従事し得ない。もっと便利にはいいけれど、広がり続ける経済格差をなんとかしなければ社会が崩壊しかねない。どこかの首相じゃあるまいし、経済的利益を享受している企業にもっと給料を払えと言ったところで、今の資本主義ももとでは払わなければならない理由もなければ、責任もない。

素人の浅知恵だが、解決案は個人にも法人に対しても累進課税を課すしかないんじゃないかと思っている。儲け過ぎれば税金で持っていかれるだけじゃないかとなれば、出費を多くして税金を納める責任(言ってみれば、ババ抜きのババ)を他者や他社に押し付けるようになる。責任がまわりまわって、働く人たちの可処分所得が増えて、消費も増える。なにも特別なことじゃない。

なにを馬鹿なことを言っていると思われる方も多いだろう。トヨタの史上最高益をみれば分かりやすい。
利益が増えれば増えるほど税金でもってかれちゃうんだったら、従業員や季節臨時工や非正規社員の給料をあげたほうが、下請けや外注先にもっと気前よく払ったほうが、車の販売価格を下げたほうがいいというはなしになるだろう。
トヨタ向けの仕事をしている人たちへ支払いを節約して、潤沢な利益が出る価格で消費者に販売することをちょっと控えれば、史上最高益にはならない。
日本は、少子高齢化が進んで自動車需要が減っている。トヨタとしては史上最高益で得た資金を日本国内生産の強化に投資する理由がない。資金は海外生産を増やすために投資される。その資金、日本の勤労者を絞って手にしたものじゃないのか。こんな古臭い言い方、右翼じゃあるまいし、したかないけど、あの人たちの言い草を借りれば、それこそ国賊じゃないか。

累進課税にしたら日本から資金が流出するというが、流出して海外で得た利益から流出しによって減少した税金を相殺する方法だってあるじゃないか。
同僚の一人が愚痴っていたのを覚えている。「若いとき抽選に当たってグリーンカードを取得して嬉しかったけど、仕事を見つけられなく日本に帰ってきたら、日本で得た収入にまでアメリカの税金がかかってくる」
海外に出た人にも所得税というのなら、海外にでた企業にも法人税。個人に対してと同じように企業にも累進課税。おかしな考えじゃないと思うけど、新自由主義に汚染された頭には革命のように聞こえるかもしれない。
都合の悪いことはなんでも共産主義だという御仁もいるだろうけど、累進課税というだけで、これ立派な資本主義社会での話ですよと、ひと言断っておかなきゃならないかもしれない。
2022/1/14

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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