〔書評〕丸川哲史著『台湾ナショナリズム』(講談社、¥1500+税)
日本人の多くは台湾の歴史的状況を知らない。台湾の過去について系統的で基本的な知識を持つ人はきわめて少ないともいえる。そもそも、台湾とは何か。日本人にとって台湾とは何か。
1894(清の光緒20、日本の明治27)年に勃発した日清戦争は近代台湾の悲劇のはじまりであった。台湾は1945(中華民国34、昭和20)年8月15日に終わりを告げるまで、50年の長きにわたり、日本の植民統治下にあった。
さらに台湾は、日本による植民地支配を脱却した後、すぐさまもう一つの植民地統治ともいうべき「国民党支配」の下に組み入れられた。
台湾はもともと移民開墾社会であり、多民族、多言語社会である。台湾の複雑さは、民族、言語、文化、風俗を異にする民族集団(族群)によって異なる歴史経験と歴史的記憶に起因する。日本の植民地統治はこうした複雑な台湾社会をさらに複雑なものにした。
中国が頑固にも「台湾は中国の一部である」と主張し続けることにより、台湾の国際的な地位は低下し、孤立感を深めている。今日の台湾は独立か、統一か、そのいずれでもない現状維持かなどをめぐって大きく揺れ、社会は不安定である。こうした台湾を生じせしめた要因のひとつが、日本の植民地統治に由来することはまぎれようもない事実である。
日中戦争及び太平洋戦争の終結を大陸中国は「解放」といい、台湾は「光復」というが、その「光復」を青年として、或いは壮年として迎えた台湾人(本省人)の世代を台湾では「戦争期世代」と呼んでいる。戦後65年を経過した今日、「戦争期世代」の多くは鬼籍に入り、僅かの人々が高齢者として余命を保っている。
「戦争期世代」は日本植民地統治時代に育ち、公学校で植民地教育を受けた。国籍上、日本人であった彼らが学んだ歴史は台湾の歴史ではなく、日本語による日本の皇国の歴史であった。「戦争期世代」は「日本語世代」とも言い得る。私の義父母もその世代である(岳父は1920年、義母は1922年の生まれ)。
彼らは、選択の余地もなく日本の戦時体制に組み込まれたが、戦争が終わりを告げたとき、義父母たちは自分たちが勝ったと感じただろうか、それとも負けたと思ったであろうか。
中国大陸で共産党との抗争に敗れ、台湾に逃れた#・譿ホの国民党政権は台湾を最後の砦として「反攻大陸」を目指すべく、戒厳令を施行し、台湾を支配したが、それは外省人による本省人 (=台湾人)や先住民の支配の開始を意味した。
国民党の言語政策はきわめて権威主義的なものであり、日本語世代が学んだ日本語はその使用を禁じられ、また母語たる台湾語も方言として抑圧され、「新国語」として北京語のみを押しつけるものであった。
1920年代生まれの義父母ら日本語世代は、こうした強制された急激な政治的・文化的転換、日本的世界から中国的世界への移行に最も苦しんだ世代である。日本の植民地となる前の前近代の中華世界である台湾社会を経験していたか、それとのつながりを保っていた彼らの親や祖父母の世代とは異なり、この世代は「日本式」しか知らなかったのである。
日本語世代の子女(私の妻もその一人である)は、国民党政権下の教育のもとで、自らの父母が理解できず充分に使いこなせない言語である北京語を学び、父母の世代とは明らかに違う歴史観及び日本観を学んでいる。かくして、台湾社会には日本語世代とその後裔たる世代間における深刻な亀裂と断絶が生じたのである。
本書の著者は、台湾と日本の関わりを、「本省人の家系においては、日本植民地統治時代の記憶が潜在する歴史的基盤があり、外省人の家系においては、大陸における抗日戦争の記憶がある。特に、本省人の台湾意識には、日本統治時代への『思い入れ』が存在することも確かである」と書きしるし、「しかしそれを叙述するのがほかでもない日本人である場合には、とりわけその取り扱いには注意が必要である」と日本人の感情移入を暗に戒めている。
『台湾ナショナリズム』と題された本書は、“台湾の人々”の台湾意識と、日本(人)の台湾認識、台湾観の変遷の歴史と現実を叙述したものである。
東アジア全体への視点がなければ、台湾を論じきれないとする著者は、西洋列強の東アジアへの侵入以前の前近代の台湾の歴史から説き起こし、現在に及んでいるが、中国、台湾の運命に関わった近代日本の大事件として、日清戦争と満州事変を取り上げて、「1895年の日本による領有がなければ、台湾はそのまま中国の一部としてさらに近代化が進展したことが予想される」、「1930年の時点では、蒋介石をリーダーとしてまとまった国づくりに着手するチャンスが到来していたはずであった。そこに勃発したのが満州事変である」としている。また、日中戦争については、「『抗日8年』『皇民化期』の8年をどの程度の長さ、深さとして見積もるか。決定的なものと見るのか、例外的な時期とみるのかで、台湾観が大きく変わってくる」としている。
光復初期の台湾人の歴史認識、つまり台湾人の光復に際しての期待と失望をめぐる考察は特異である。基隆に上陸した国民党軍は「装備が劣り、規律が乱れた軍隊」であったとはすでに台湾史の定説の感があるが、「国民党軍のネガティブなイメージは、後に二・二八事件など、台湾住民と国民党政権との間の良好に見えた関係が崩壊した後にできたものである」と断じているのである。
次に、著者が台湾史の画期をなす重大事件とみなすのは朝鮮戦争である。
厦門はすでに陥落し、中共の人民解放軍がいつでも海峡を渡って台湾を「解放」できるというとき、アメリカは傍観の態度を決め込んでおり、台湾の情勢は絶望的なものとなっていた。「もし朝鮮戦争がなければ、今日私たちが知る台湾はあり得ていない。朝鮮戦争の重大性は、台湾ではあまり語られていない。朝鮮戦争という出来事は、台湾においてタブー視されている」と指摘した上で、「戦後日本における台湾認識は、実に奇妙な構造を持っている。日本も台湾も、冷戦構造の西側に強力に位置づけられたことにより、構造的に戦前(植民地統治)の歴史を忘却してしまった」と論理立てる文章の冴えは刺戟的である。
著者の見解によれば、台湾ナショナリズムとは、「近代以降の、あるいは冷戦以降の特定の時代意識の反映」、よりくわしく言えば、「戦後(光復後)の国民党政権の台湾接収の失敗により、近代中国全体に対する嫌悪を感情記憶として大陸中国からの独立を志向すべく遂行的に生成された情緒的反応」であるという。
台湾の今後についての見解は慎重である。「台湾と大陸中国との関係は今後も様々な紆余曲折が予想される。完全『独立』の可能性はなくなったとしてよい。
いわゆる政治統合については、棚上げ状態が長く続くものと見られる。カギとなるのは、大陸中国側の態度と米中関係である」とした上で、「今後、いわゆる90年代に発展した台湾主体論や、あるいは台湾ナショナリズム自体も下火になるだろう。しかし、総体としてはそうなっていくプロセスの中でこそ、実は台湾の主体性をどのように再構築するかという議論はむしろ必要となる。いずれにせよ今後、大陸中国と台湾との間で、長期に渡って協議されることによって、新しい『主権』の形の誕生があるのではないか」と楽観的に筆者は予想している。
日本人による日本人の為の新しい台湾観の構築に挑戦したのが本書である。
歴史研究者の任務は研究するだけにとどまらず、歴史を著述することにある。著者の果敢な挑戦に敬意を表したい。
どのようにしても歴史という時計の針を1894(清の光緒20、日本の明治27)年に戻すことはできないが、日本との関係に由って来る台湾および台湾人の歴史的状況と命運に、私たちは思いを致すべきである。
評者(わたし)は著者ほど大陸中国の近未来について寛容になれないが、それはさておき、本書が、大陸中国という巨大国家に対する評価・認識の違いを超えて、台湾の未来像を描くための知的共有財産となることは疑いない。
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