全国の安保違憲訴訟の皆さまへ 12月13日(金)午後女の会の第11回口頭弁論における証人と原告証言が行われました。

全国の安保訴訟の皆さまへ

 12月13日(金)午後1時15分から東京地裁103号大法廷にて安保法制違憲訴訟・女の会の11回弁論期日で証人尋問と原告尋問が行われました。証人清末愛砂さんは40分、原告福島瑞穂さんが30分以外は20分と15分と言う短い時間でしたが、多方面からの証言は、説得力といい迫力といい感動的であり、証言の度に拍手が起こりました。10月の法廷で交代した裁判長は最初のみ「拍手したくなる気持ちは分かりますが、心の中で拍手してください」と言いましたが、あとは何の注意もなく、被告国は反対尋問を行いませんでした。以下各証言を簡単にご紹介いたします。なお一部書証は映像により傍聴席にも共有され、傍聴席もいっぱいでした。

1)証人 清末愛砂さん(室蘭工業大学準教授)40分
 憲法学者であり、自らアフガニスタンやパレスチナなど紛争地に赴き平和学の理論的研究と人道支援にとりくんでいる立場から証言された。憲法の前文と9条が紛争解決とその後の社会の復興の持つ意味を語り、安保違憲訴訟の札幌と東京地裁判決のいう「平和は多様な概念で確立した定義はない」との指摘は間違っている、国際社会は安全保障とは武力ではなく人間の日々の営みや生存そして尊厳なる生活を支える人間の安全保障を如何に確保するかが課題となっている。それは憲法前文の平和的生存権の実現に相当するもの。その重要な考え方の一つがジェンダーの主流化である。スクリーンに投影された日中韓合作の「平和の絵本」からイメージする「平和とは何か」の画を見ながら、清末さんにとっての平和とは温かい食事を皆で囲みそれを共有する姿を思い浮かべると述べた。安倍以前の歴代政権が集団自衛権行使は認められないとしてきたのに、情勢により憲法の解釈が180度変わるのは立憲主義の観点から断じてあってはならない、安保法制は憲法学者の存在を愚弄するものだとも。さらにヨハン・ガルトゥングの提唱した「積極的平和」(Positive Peace)と安倍の言う「積極的平和主義」(Proactive Contribution to Peace)とは全く違うもの、まさに積極的軍事主義であり、憲法に対する背信であり、国民へのだまし討ちだと批判した。
 次いで1956年のハンガリー動乱からの集団的自衛権の武力行使一覧の映像を見ながら、清末さんは2003年の米国等によるイラク侵攻について、米国等はイラクが大量破壊兵器を有していると先制攻撃をした。その後イラクには大量破壊兵器はなかった事が露呈されたが、米国は本当に有るとわかっていたら反撃の怖れから攻撃しなかっただろう、無いことが分かっていたから攻撃をしたと考えるのが合理的であり、極めてあくどいケースだと。
 清末さんが活動してきたアフガニスタンは、1979年ソ連と2001年米国と2度も軍事攻撃を受けた。ソ連、米英等の大国が世界で最も貧しい国を攻撃するために集団的自衛権を持ちだし、攻撃の正当化の理由とした。攻撃はアフガン社会の隅々まで破壊し、人々の日常生活を極度に不安定なものにし、人々のメンタリティにも多大な負の影響を与えてきたことは自分の研究からもはっきり言える。現在のアフガニスタンは過去18年で最も悪化している。米国はタリバーン政権により迫害を受けた女性の解放を大義名分としたが、むしろより苛酷な差別や暴力にさらされるようになったこと、戦場経験とジェンダーに基づく暴力の増大は明確な相関関係があると証言された。さらに先日襲撃を受け亡くなられた中村哲さんについて、自分も同じ地域で活動して来たので心配していたし残念だ。中村さんにアフガンで30年間もの支援活動を可能にしたのは9条が存在したからとも言える。
 戦争や武力による被害について、戦闘による戦死者だけではなく爆撃による命を落とす民間人、さらに戦火から逃れた人々が貧困により栄養失調や餓死し、病気となり、化学兵器の後遺症に苦しみ、戦時性暴力被害やそれによるPTSD、貧困により子供が教育を受けられない等多数の形態の苦しみが含まれること、戦時と平時は地続きなのだ、安保法制以降DVや子どもの虐待なども増え、ヘイトスピーチなどの暴力が見られるようになり、現在の日本社会は既にそうした暴力が頻発していると。政府の言う邦人救出は逆に危ないから止めてほしいときっぱり。
 非暴力によって平和をつくる活動をする清末さんが、ガザやエルサレムで子供たちと絵を書く写真と清末さんの画がスクリーンに写された。清末さんは趣味で画を描き、ヴァイオリンを弾くが、戦禍による緊張とストレスをつかの間でもほぐし、共感をうむ作業として子どもたちと一緒に描くという。最後に裁判所に言いたいことと問われ、安保法制以降、私はアフガンで研究が続けられない、裁判所はきっちり憲法判断をしてほしいと訴えた。

2)原告 浅倉むつ子さん(早稲田大学名誉教授)20分 
 浅倉さんは、「安保関連法に反対する学者の会」の発起人であり呼びかけ人である。なぜあっという間に学者の会の署名者が1万人を超えたのか、その理由を浅倉さんは、「かつて多くの大学が学徒を戦地へ送ったという痛恨の歴史を一人一人が重く受け止めているからだ」と述べた。浅倉さんはまた、ジェンダー法学会の設立者の一人でもある。設立の目的を、司法の中にジェンダーバイアスがあり、それが司法の判断をゆがめている現実を変えていかなければならない、という危機感からと述べ、安保法制制定過程でジェンダーの視点からの検討が一切行われなかったことは、男女共同参画社会基本法15条違反だと断言した。すなわち、男女共同参画社会基本法15条は、施策による男女共同参画社会への影響を調査しなければならず、「ジェンダー監査」を行わなければならないという根拠規定であり、安保法制も当然その対象になる政策であると。ジェンダー主流化は北京行動綱領以降の国際的流れであり、安全保障分野にもその流れは及んでいる。
 その表れである国連安保理決議1325号「女性・平和・安全保障」の国別行動計画を策定する過程は、本件訴訟の原告を含む市民団体が参加して行われたが、そこでのジェンダー視点からの市民社会の提言は、安保法制の国会審議にまったく反映されず、ジェンダー視点は囲い込まれ、切り離され、さらにパブリックコメントを経て市民団体と外務省が合意した国別行動計画の最終案は、8ヶ月も店晒しにされた上、核心部分である戦時性暴力や基地周辺の性暴力、ヘイトスピーチの防止などが削除され、安倍首相の国連総会演説に合わせて日本の国別行動計画として発表された。これは重大な信義則違反である。
 安保法制は紛争解決に実力を使うことを法的に容認するもので、浅倉さんが研究生活の中で積み上げてきた、反暴力をめざす学問の根幹部分が否定されたと、それが浅倉さん自身の被害であると証言した。

3)原告 福島瑞穂さん(参議院議員)30分
 福島さんは原告となった理由を、安保関連法・戦争法は明確に憲法違反であり、自民党政権も内閣法制局も一貫して集団的自衛権の行使は憲法違反であるとしてきた。それを初めて変えたのは、2014年安倍政権下における閣議決定であり、安保関連法・戦争法は、集団的自衛権を認める明確な違憲立法で手続き上も瑕疵がある。議員として、法律家として、主権者として権利が侵害された。法の支配がこの日本で存在することを願い、裁判所で違憲の判断を下していただきたいと思ったからですと証言した。
 戦争法については、政府が出した3要件は全く政府の胸先三寸でいかようにもなるものであり、集団的自衛権行使を認める唯一必要だと言ったホルムズ海峡の機雷除去も最後には想定していないと言い、米艦防護における日本人母子も必要条件ではないことが明らかになった。立法事実は、国会審議を通じて雲散霧消してしまった。後方支援とはロジスティックであり、武力行使と一体のものであり、攻撃もうけるということだ。戦闘地域で米軍支援をすることがまさに武力の行使であり、弾薬の提供をし、核兵器も運搬をするということすら明らかになった。共に憲法9条違反だとされてきたことだ。また参議院は過去何度も海外に派兵をしない決議をあげているとしたうえで、9月16日から19日の未明の本会議採決までのタイムラインの映像を見ながら参議院特別委員会での異常な審議について証言した。
 9月16日横浜の地方公聴会では、公述人の広渡さんらは何度も公述内容はきっちり審議されるのかを確認し、鴻池委員長は首を縦にふっていた。16日の夕方には女性議員有志で一人もいなかった女性公述人の採用を求める要請を委員長に提出した。与党は16日中の採決を狙ったが、結局17日に終局として首相出席の2時間の質疑をするとし、終局には反対だが私も質問を準備した。野党は17日委員会の開会直後に鴻池委員長の不信任動議をだしたが、その採決が終わるや否や与党議員が鴻池委員長を取り囲み場内は騒然とし、何も聞こえないまま速記が止められた。NHKの映像にもある、しかし速記が再開されることもなく与党議員が立ったり座ったりして採決したという。17日には1秒の審議もせず、また横浜公聴会の結果の報告もしていない。福島さんが「戦争法」と表現したことに自民党から削除の要求がきたが拒否し、結局、戦争法という言葉は議事録に残ったが、それまで「議場騒然、聴取不能」となっていた議事録は採決されたことになり、横浜公聴会の議事録も参考としてつけられていた。地方公聴会の報告がされなかたこともあとで参考として付け加えられたことも、憲政史上初めて、本件1件しかないと参議院予算委員会で福山議員の質問に参議院事務総長が答えている。今も私たちはあの採決を認めていないし、これまで戦争法の廃止法案を6回提出していると証言した。
 福島さんは2009年には男女共同参画担当大臣として第三次男女共同参画基本計画の作成にあたり、第15分野に「国際規範の尊重と「平等・開発・平和」への貢献」の項目を置き、基本的考え方として、「戦時、平時を問わずいかなる女性に対する人権侵害も起きてはならない問題である。女性の平和構築過程への参画を進める」と定めことも証言し、戦争法の審議の中で女性の意見を何ら聞くことなく、質疑は全く不十分だったと指摘した。
 また安保法制以降、2020年度の防衛費の概算要求は5兆3000億円を超え、2019年度アメリカから買う武器の爆買いは7000億円、設置場所も決まっていないイージスアショアにすでに1700億円も支払っていると証言した。
 最後に裁判長に対し、「私には議員として憲法99条により憲法尊重擁護義務があります。裁判長あなたにもあります。憲法98条は憲法の条規に反する法律などは効力を有しないと定めています。法の支配がこの国にあることを示してほしい、義務を果たしてほしい」と強く求めた。傍聴席からは拍手が沸いた。

4)原告 土井登美江さん 15分
 土井さんは1945年横浜に生まれ、生家は米軍基地の正門に向き合っており、戦後の一時期に、壊れた戦車がトレーラーで運ばれ、夜中にその音で眠りを妨げられたことを記憶、またトラックの荷台に立ったまま詰め込まれた米兵が大量に移動する光景を今でも覚えている、後にあれは朝鮮戦争の時期だったと分った。ベトナム戦争のころは大和や町田などで米軍機が墜落し子供や市民が犠牲になった。憲法前文を学んだときに、日本が平和を貫くことについて「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれているのを知り、大きく心を動かされ、自分もその目的を達成するために、不断の努力を尽くしたいと思った。憲法改悪に反対するグループで20年活動している。安保法制は憲法に反し、絶対阻止しなくてはと思っている。2014年12月に総がかり行動実行委員会が3つの団体により発足し、次々と40もの団体が参加し、反対するプラットホームとなっている。ここでの行動は今も続いているが、これまで活動していなかった人々も動き出したと、映像を使って証言した。
 10名にも満たない女性たちの呼び掛けによる「女の平和」で2015年1月17日国会包囲が呼びかけられ、7000人もの女性たちが赤いものを身につけて集まり、このレッドアクションは国の内外で取組まれ今も続いている。2018年の最高裁決定で公民館報の掲載を勝ち取った9条俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句は、銀座での女性によるレッドアクション・デモを題材にしたもの。「誰の子供も殺させない」を掲げたママたちの活動やラップ調のコールをする学生たちの行動、予告なく国会前に見えた瀬戸内寂聴さんの訴えもあった。
 8月30日には国会前から日比谷公園界隈まで12万人の人が集まって廃案を求め、各地でも行動があった。冷たい雨の降る9月19日には夜通し国会前で行動した。市民の声を議員に届け、議員は国会前行動に報告にくるなど連携ができた。これこそが「国民の不断の努力によって」私たちの権利を守る行動だと感じた。強行採決には強い憤りをおぼえたが、憲法3原則を一人一人が手にするために今後も行動していこうと決意した。その思いは5年たった毎月の19日行動に数千人単位での運動が続いている事にも示されていると証言した。

5)原告 中村ひろ子さん 15分
 ℐ女性会議の事務局長・機関紙編集長である中村さんは、女性会議の仲間の40人の原告たちとの活動を通じて共有した思いと中村さん個人の信念を重ね合わせて尋問に応えた。 1962年設立以来、ℐ女性会議は、女性の権利や平和への活動に熱心に取り組んできた。202号に及ぶ「ℐ女のしんぶん」とその記事内容の解説を書証として提出した。これらの記事は、第二次安倍政権が発足して安保法制懇が再開されて以降のもので、憲法を自分たちのものにするために取り組んできたことを抽出したもの。市川房枝さんの言葉「平和なくして平等なし、平等なくして平和なし」を実践してきた。軍事化は、社会環境をさらに悪化させて、女性たちを暴力や貧困のリスクにさらすことになってしまうという危機感もあった。
 2014年7月1日の集団的自衛権を認めた閣議決定に対し、直ちに内閣に抗議文をだした。抗議文には、国民の意思を問うこともなく、閣議決定で「改憲」すること、平和主義・立憲主義をないがしろにしたことで、国際危機を招く安倍首相の行動に対する強い怒りが溢れている。
 古賀誠さんが『憲法9条は世界遺産』」という本で、「政治家の仕事は平和を守ること」と語っているが、田中角栄さん、後藤田正晴さん、野中広務さんもそうだった。歴代の自民党政府が憲法前文を尊重して「平和主義」も掲げてきたのに安倍さんはそれを捨て去った。
 さらに、ℐ女性会議が重ねてきた民間外交、朝鮮や韓国の女性たちとの交流、在日朝鮮人の民族教育や労働問題、キーセン観光や慰安婦問題への連帯等の実績を通じた地道な女性たちの連帯こそ平和への道であると語った。最後に、憲法24条の男女平等こそ9条を支える思想であると述べ、軍事化はI女性会議の活動を否定するもので戦争法による権利侵害を訴えた。

6)原告 関千枝子さん (20分)
 関さんは13歳の時、広島で被爆した。旧制女学校2年生のクラスメイトは1人を除いて亡くなった。関さんは8月6日、体調不良で建物疎開作業を休み、原爆の直撃を免れた。被害を受けた友を訪ねたが、焼けただれた手を握ることもできず、その母に「あなたは休んでよかったね」と言われ、何も言えず逃げ帰った。広島で生き残った人たちはみな「済まない」と言う。「済まない」という思いに苦しんでいる。当時の苦しみは癒されるものではない。その苦痛と怒りが消えるとしたら、原爆がこの世からなくなる時だ。ヒバクシャにはいろいろな考え方の人がいるが、核廃絶はヒバクシャ全員の思いだ。日本政府はその思いを踏みにじり、核兵器禁止条約に背を向けている。そんな政府を許せない。
 関さんは、原爆で亡くなったクラスメイトの跡をたどり10年がかりで調べあげて「広島県立高女二年西組」という本を出版した。その調査過程で分かったことは、クラスメイトたちが軍国少女そのものの死に方をしていることだった。ある友は、「私は小さい兵隊じゃ、私が死んでもお母さんは泣いてはいけない。」と言い、君が代を歌いながら死んだ。ある友は「天皇陛下がおられるから負けはしない」と全身大火傷の身体で立ち上がり叫んだ。なぜそうだったのか。満州事変の年(1931年)に生まれた関さんたちは戦争のない時を知らず、軍国教育や街にあふれる歌の中で、「少国民の中の少国民」として育ったからだと、当時のしりとり歌を歌って示した。また、「平和」の名のもとに国民を戦争に動員した事実を「満州行進曲」「愛国行進曲」の歌詞や1941年米英への宣戦布告をした「宣戦の詔勅」に6回も「平和」という言葉が使われている事実をあげて、安保法制を「平和安全法制整備法」「国際安全支援法」とかと呼ぶ欺まん性と1930年代との類似を示した。
 安保法制は核の傘の下に成立しているが、それは核廃絶に背を向けることであり、核戦争につながる恐れを否定できない。「安保法制は核戦争を現実のものとして私に突き付けている」と関さんは証言した。

 次回1月31日に残りの原告8人の証言を実施する。裁判長の交代に伴う弁論更新の口頭陳述と尋問を踏まえての文書提出命令申立に関する補充意見陳述を5月15日1時15分~1時間の予定で実施することになった。現在保留となっている横畠証人の採否、文書提出命令について決定する期日は1月31日に決定することとなった。 (文責 女の会原告事務局)

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