八ヶ岳山麓から(371) 那須雪崩事故、実刑判決はやむをえない

 5月30日、宇都宮地裁は2017年3月に栃木県那須町の那須温泉ファミリースキー場付近で発生した「平成28年度春山安全登山講習会」の雪崩遭難事故にかかわる刑事裁判において、業務上過失致死傷罪に問われた同講習会の責任者猪瀬修一教諭、同講師菅又久雄教諭、同じく渡辺浩典教諭の3人に、いずれも禁固2年(求刑禁固4年)の判決を言い渡した。

 この事件は、登山講習会に参加した高校の生徒や引率教員らが雪崩に巻き込まれ、生徒7人と引率教員1人(29歳)の計8人が死亡、40人が重軽傷を負ったもので、登山関係者、とりわけ高校の教員・生徒に大きな衝撃を与えた。
 積雪期の山の現場を見ずに、ましてや刑事事件判決全文を読まずに判決の是非を云々するのは適切ではない。それはわかっているが、長年登山をしてきたものとしてひとこと言いたい。事件に関する単行本、事故検証委員会報告書もあり、この遭難事件にかかわる民事裁判判決も昨年出ているので、以下に概略を記す(主にWikipedia、信濃毎日・産経など各紙ネット)。

 この講習会は、3月25日から3月27日まで、上記スキー場の旅館を本部として、栃木県高等学校体育連盟の主催で開催され、大田原高等学校など7校の生徒46人、被告となった3人を含む教員9人の55人が参加した。
 最終日の27日は茶臼岳への登山が計画されていたが、同講習会の指導者であった猪瀬教諭ら3人は、午前6時15分頃に気象状況などの条件から登山計画を中止し、スキー場や周辺の樹林帯を利用し、雪をかき分け進むラッセル訓練に切り替えることとした。3人は登山歴22年ないし35年と長かった。
 26日午前10時32分には、那須町に大雪注意報、雪崩注意報及び着雪注意報が発令され、のち雪崩注意報を除いて解除された。27日午前2時頃から雪が降り始め 8時までに31cmの積雪を観測し、雪融けの進んだ弱い層の上に新雪が積った。
 講習会の参加者の多くは、27日午前5時頃の時点で積雪及び降雪を認識しており、被告の一人も参加者の教員から、 積雪について、「テントから出てトイレに行くのも大変なので今日は無理だと思います」との連絡を受けていた。
 このとき被告3教員は、いずれも、テレビや携帯電話等を通じて気象情報や雪崩注意報等の発令の有無の確認はせず、また、雪上歩行訓練を実施する具体的な範囲について話し合っていなかった。

 生徒は数人ずつの班に分かれ、1班から4班が茶臼山の樹林帯の尾根のひとつを登ることになり、女子生徒で構成される5班はスキー場の第1ゲレンデを中心に歩行訓練を行うことになった。彼らは午前8時前から班別行動を開始した。
 樹林帯を登った大田原高校生徒の1班は、隊列前方に見えた尾根途中の岩までをめざしたが、午前8時30分頃から午前8時45分頃までの間に発生した雪崩に巻き込まれた。その後、2班、3班及び4班もつぎつぎ雪崩に巻き込まれた。この雪崩で1班の生徒7名と教員1名の計8名が亡くなり、ほか4名が重症、3名が中等症、33名が軽症を負った。
 雪崩に巻き込まれた2班教員が無線で責任者猪瀬教諭を呼び出したが応答はなかった(猪瀬教諭は当時無線機を携行せず、講習会本部のスキー場宿泊施設で宿泊費の精算などをしていたといわれる)。無線のやり取りを聞いた5班教員が徒歩で本部まで10分ほど歩いて、スキー場の駐車場にいた猪瀬教諭へ雪崩発生を報告。彼は消防と警察へ通報した。
 雪崩の発生は8時43分、消防に最初の通報があったのは9時22分、救助隊が到着したのは10時23分であった。

 刑事裁判では、検察側は雪崩発生の危険性や死傷事故の発生を容易に知りえたとしたが、被告側の主張が当日雪崩発生の予想不可能とした。雪崩予想が可能かどうかの判断は前夜からの積雪の程度などによるが、検察側は少なくとも積雪は30㎝程度としたが、被告側は目視と体感で15㎝程度とした。また被告側が、積雪が多かったことによる計画変更に必要な訓練場所の地形の確認、気象状況などの「計画変更に必要な情報は集めた」としたのに対して、検察側は「怠慢だった」とした。判決は、以上のいずれも検察側を支持した。

 さらに、この事件の焦点である安全訓練に必要な行動範囲(たとえば傾斜地を登らせるか否か、登らせるとしたらどのコースか)の設定に関しては、被告側は「訓練範囲を明確に決め、各班に伝えた」としたのに対し、検察側は「訓練範囲は明確でなく、参加生徒に明確に伝えられなかった」とした。判決はこれも「ずさんで漫然と歩行訓練を実施した」と判断し、「雪崩が自然現象という特質を踏まえても、相当に重い不注意による人災だった」とした。

 高校生の山岳大量遭難と言えば、1967年8月1日の長野県松本深志高校の北アルプス西穂高岳遭難事件がある。当時、わたしは定時制高校に勤務して登山部顧問をやっていて、偶然遭難の翌日に生徒と共に根拠地の上高地に入ったので、57年前の事件とはいえ、かなりはっきり記憶している。

 松本深志高校の一行は、教員5人を含む計55人。31日に出発して上高地で一泊。1日の朝から西穂高岳に登山して、翌日下山の予定であった。当日は、本州を挟む形で高気圧が2つ並んでおり、南海上には台風があったため、大気の不安定な状態となっていた。
 46人が正午過ぎに西穂高岳に登頂したが、山頂にいるうちに天候が悪化し、大粒の雹混じりの激しい雷雨となったため下山を開始した。雨は一旦止んだが、ピラミッドピークを通過したあたりから再び激しい雷雨となった。
 13時半頃、先頭が「独標」を通過し鎖場に差し掛かった時に落雷の直撃を受けた。これにより生徒11名が死亡、生徒・教員と会社員1人を含めた12名が重軽傷を負った。11名の死者のうち、9名は雷撃死であったが、2名は雷撃のショックによる転落死であった。
 わたしが松本深志高校の事後対応に今でも敬意を持っているのは、当事者らが自らの責任を明らかにしているからである。彼らは、一般生徒が多数参加しているため一層の慎重さが求められていたこと、にもかかわらず引率教員の気象知識と山での経験が不足していたこと、これによって事前に引き返す判断が下せなかったこと、また難度の高い西穂高岳を選んだことにも自ら疑問を呈している。
 
 わたしは、松本深志高校の遭難を知ったとき、その原因を「大気の安定している午前中に稜線から下りなかったこと」と考えた。この考えは今でも変わらない。警察は刑事処分に問えるほどの「過失はなかった」と判断して刑事事件にはしなかった。天気予報が当時よりは精密さを増し、登山装備も高度化した21世紀の今ならばどうだろうか? 「過失を問わない」だろうか?

 学校事故で生徒の死傷者が出るたび、教員の責任が問われるが、有罪になるのは「故意」が疑われるほど悪質だったときであった。栃木県では、高校登山部はこの事故の発生した2017年度に22校あったが、昨年度には5校に減ったという。事故を恐れて顧問のなり手がなくなったからであろう。
 那須遭難事件の責任者禁固2年という実刑判決は、「故意」は疑ってはいないが、生徒の安全確保が十分でなかったことの個人責任を問うものである。教員にとっては過酷な判決である。

 だが、わたしは苦渋の思いを込めて宇都宮地裁判決を支持する。被告らは積雪期登山の指導者としてやるべきことをやらなかった、訓練の中止、あるいは安全なコースを厳密に指示しなかった、これを「不作為」に限りなく近いものと感じるからである。
 中学高校の教員は、危険を伴うスポーツ活動の指導者となる教育は、ほとんど受けていない。したがって、登山計画の審査を厳密にしたり、山の知識と経験のない登山部顧問教員に付け焼刃の研修を受けさせても、状況の改善にはほとんど役に立たない。さしあたって遭難を減らそうとすれば、むしろプロのガイドを雇うほうが適切である。
それでも山の遭難者は減りこそすれ、まったく無くすことはできない。難度が高かろうが低かろうが、山にはいつも危険がある。そして登山の魅力は冒険的要素がその中にあるから生まれるのである。 登山というのはそういうものである。    (2024・06・01)

初出:「リベラル21」2024.6.5より許可を得て転載
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