内田先生の快著を読みたくなりました

岩田昌征先生と内田弘先生の、内田先生著作『啄木と秋瑾』をめぐる往還を見ていて刺激を受けました。借り物の言葉を使うと「感激した、読みたくなった」と謂うことです。 

もちろん、全く知らなかったし、考えもしなかった。しかし、内田先生の文章の後半にある、啄木が秋瑾の名前を持ち出さなかった理由の第二点目、「啄木は幸徳事件をめぐって、自分をはっきりと安全地帯に置いた」と謂う指摘は、指摘されてすぐ霧が晴れるように了解できる点です。 

昭和天皇などと違って、私は「理科方面は詳しくないが、文学方面は好きなので」、戦争責任などと謂う形而下学は判らないが、日和見主義の意味と役割は豊かに考えられるのです。人民に葛藤が無ければ、それは理想の政治が実現している可能性が大きいと謂うことですから、孫子の代の君子がつべこべ言う事ではありません。自らの孫子の時代の為に、我等が爺婆の時代の精神の屈折のあり方として、読んで、以って教訓として措けば良いのでしょう。 

しかし、翻って、今の時代精神の屈折も絶対このままにしておく事はできないのですけれどもね。