SNS情報が乱れ飛んだ兵庫県知事選挙が終わった。しかし、その後も選挙中の報道のあり方についての記事や論評が相次いでいる。マスメディアが「中立」的報道に終始して論点を掘り下げなかったことが、斎藤陣営に加担するグループによる「パワハラはなかった」「既得権益と1人で闘う斎藤候補」といったデマ宣伝の跳梁を許し、予想外の結果につながったとの反省からであろう。
朝日新聞社説(11月23日)は、「選挙と立花氏、言動を看過できない」として、「選挙に立候補し、自らの当選を目指さずに他候補を応援する。政見放送や街頭演説など候補者に認められた権利を使い、事実とは言い難い内容を含む主張を、威圧的な言動もまじえて発信する。兵庫県知事選で、そんな異例の『選挙運動』が展開された。事態を放置すれば、民主政治の土台である選挙の根幹が揺らぎかねない」と鋭く批判した。
11月24日のNHK日曜討論「いま考える『選挙とSNS』」は、久々の聞き応えある番組だった。その中で異口同音に指摘されたのは、SNSで氾濫した誤情報や偽情報に対するマスメディアの反応の鈍さだった。(NHKも含めて)危機意識が欠如しているからなのか、それとも取材能力が劣化しているからなのか、選挙中の情報空間はSNSに独占されて「やりたい放題」になり、マスメディアはファクトチェックをはじめ効果的な対応を怠ったとの指摘である。
知事選で敗れた稲村陣営は11月22日、開設したX(ツイッター)のアカウントが選挙期間中に凍結されたとして、容疑者不詳のまま偽計業務妨害の疑いで兵庫県警に告訴状を提出した。N党立花代表によって自宅前で「出てこい奥谷!」「自死されたら困るのでこれぐらいにしておく!」と脅迫めいた演説をされた県議会百条委員会委員長の奥谷県議は、名誉棄損されたとして即刻県警に告訴した。また、県百条委員会は同日、選挙中には公開しなかった証人尋問(10月24,25日)の記録を公開した(毎日新聞11月23日)。
今後こうした事態の解明を通して、選挙中に一方的に拡散されたSNS情報の誤りや歪みは是正されていくであろうが、しかし、選挙結果がもはや覆ることはないのである。NHK会長も民報連盟会長も、今後は選挙中の報道のあり方を見直すと遅まきながら言明したが、日本新聞協会は目下何の声明も出していない。N党立花某などによる民主政治の原則を無視した(破壊する)確信犯的行動を考えると、同協会には「社会の公器」としての新聞の役割を果たすためのさらに踏み込んだ対応が求められる。
一方、惨敗を喫した維新陣営や共産陣営からは然るべき選挙総括が出ていない。維新は代表選挙でそれどころではないのかもしれないが、共産は党首選挙をやらないのだから選挙総括をしない理由はないはずだ。赤旗の「一片の記事」(11月20、21日)と「主張」(社説、22日)でこのまま済ますということにでもなれば、国政政党としての共産党の存在が問われることになる。また、惨敗の原因を掘り下げることなく参院選や東京都議選に臨むようなことがあれば、同じ結果を招くことは必定と言わなければならない。11月24日現在、新たな選挙総括が出ていないことを前提に私なりの感想を述べたい。
まずは、赤旗11月20日の紙面についてである。「兵庫県知事選の結果について」の党県常任委員会の見解は、僅か300字余りの〝3段記事〟でしかなかった。内容は「大沢候補は、県政混乱のもと真っ先に出馬表明し、県政正常化と斎藤県政に代わる命と暮らし第一の県政政策を掲げて立ち上がった」「大型開発優先で県民の暮らしは最低クラスの県政の実態を示し、真の対決軸は『大沢候補対自民党支援の3候補』だと明らかにしてたたかった」「党員、後援会員、支持者の声を聞いて総活と教訓を深めて、来年の参院選勝利へ頑張る」というものだ。その前に置かれている小池書記局長の記者会見記事(400字足らず)もまったく同じ文脈で、「大沢候補は(斎藤氏の)県民不在の県政と県政の私物化は一体のものだと批判した」「こうした論戦をしたのは大沢氏だけでこの意義は大きい。奮闘に心から敬意を表する」と述べただけだった。
注意しなければ見逃すような「兵庫県知事選の結果について」の小さな記事の隣の頁には、「教育の現状と未来を語る、『あいち教職員の集い』志位議長の発言」と題する記事が全紙にわたって掲載されていた。紙面のボリューム(大きさ)から言えば、県知事選記事の7~8倍もある大型記事である。こちらの方は一問一答まで詳報するという特別の扱いなのだ。いつでも紹介できる志位議長の講演記事が、よりによって県知事選の翌々日に大々的に掲載されている有様は、党中央が県知事選の結果などまったく気にしていない様子を窺わせる。小池書記局長の記者会見しかり、赤旗の編集方針しかりである。
翌21日の記事「兵庫県知事選ふり返って」(兵庫・個人名)はもっと酷かった。機関としての見解なのか、記者の個人的意見なのか判然としない類の記事だが、しかもその内容が振るっている。選挙戦の構図を「自民党が支援する3氏(斎藤氏、元尼崎市長、前維新参院議員)と日本共産党が推薦する大沢氏の対決」と規定し、それがSNSのフェイクによって「斎藤か否か」の歪められた構図として描かれて有権者に影響を与えた――との分析である。ここには、党兵庫県委員会の硬直した政治姿勢と情勢認識の歪み(弊害)が余すところなくあらわれている。私の感想は以下の3点である。
第1は、2021年知事選で斎藤氏を推薦した自民と維新が、斎藤氏の「パワハラ疑惑」で不信任決議をせざるを得ない状況に陥り、それぞれが内部分裂して複雑な政治情勢が現出しているにもかかわらず、その政治変化を分析できずに、一律に「オール与党」と決めつけていることである。この情勢認識は、共産が「少数野党」として県政から孤立している状況が常態化しているため、「共産以外は敵」といったセクト的感情に陥り、この期に及んでもなおそこから脱却できない典型的な「左翼小児病」の症状をあらわしている。
第2は、驚くべきことに稲村元尼崎市長を斎藤氏と同列に「自民党支援候補」と見なしていることである。圧倒的多数の県民が斎藤氏の言動に呆れかつ怒って県政の交代を望んでいるとき、その世論動向を理解できずに「『斎藤か否か』が争点のように描かれ、元尼崎市長が『反斎藤』の期待を集めましたが、政治姿勢も政策も自民党・『オール与党』県政の枠内でした」との的外れの情勢分析をしているのだから、呆れるほかはない。稲村氏に対するこの決めつけは、共産支持票が激減する最大の要因となったが、悲しいことに選挙中に方針の誤りを糺す声も出なければ、党中央から是正されることもなかった。「民主集中制」はまさに機能不全に陥っていると言わなければならない。
第3は、情勢の変化に応じた柔軟な政策展開ができず、「大沢氏は大型開発から『なにより命、暮らしを大切に』と自民党県政を県民本位に転換する道を堂々と訴えました」と、百年一日の如く昔ながらの古色蒼然とした政策しか訴えることができなかったことである。これは、大沢候補の街頭演説の現場にいた人から実際聞いた話だが、動員されていた少数のグループを除いて立ち止まる人はほとんどいなかったという。TPO(時、場所、場面)をわきまえない街頭演説は、誰も引き付けることができないのは自明の理と言わなければならない。悲しい話ではあるが事実なのだから仕様がない。
最後に最も重要な点を指摘したい。以上の見解はいずれも到底「総括」とは言えないような(低レベルの)粗末な代物であるが、より重要なのは選挙総括の要である得票数、得票率の分析には一切触れていないことである。民意を問う国政選挙や地方選挙の総括において肝心の選挙結果の分析が欠落していることは、有権者にとっては「臭いものは隠す」政党だとしか映らない。自分に都合のいいことは大宣伝するが、都合の悪いことを隠すような政党は、有権者から信頼されることは(絶対に)ない。このまさに絵にかいたような光景が目の前で展開されているのである。これでは、共産党の選挙総括それ自体が「フェイク」だと言われても仕方がない。以下、前回知事選との比較で選挙結果を見よう。
前回の2021年知事選は、有権者数452万9千人、有効投票数186万1986票、投票率41.1%だった。候補者5人による選挙戦の中で共産候補得票数は18万4811票、得票率は10.1%でそれなりの成果を得ていた。共産得票数の内訳は、神戸市(大都市)5万5262票、10.6%、市部(近郊都市、地方都市)12万0023票、6.8%、郡部(農村部)9526票、8.6%であり、大都市から農村までほぼむらなく得票していた。
今回の2024年知事選は、有権者数446万3千人、有効投票数248万3814票、投票率55.6%と有権者の関心が高まる中で一挙に跳ね上がった。ところが、有効投票数が62万1千票も増えたにもかかわらず、共産候補得票数は逆に11万949票減(▲60.0%)の7万3862票、得票率は7.1ポイント減の3.0%へと激減したのである。減少数の内訳は、神戸市3万1431票減(▲56.8%)、市部7万2822票減(▲60.6%)、郡部6696票減(▲70.2%)といずれも6~7割の激減となった。この結果は「大敗」「惨敗」の域を通り越してもはや「壊滅」に近い。これは、党県委員会幹部が総辞職しても埋め合わせることができないほどの惨憺たる結果ではないのか。
2020年代に入ってから、共産党の比例代表得票数は416万6千票、7.3%(21年衆院選)、361万8千票、6.8%(22年参院選)、336万2千票、6.1%(24年衆院選)と着実に減少してきた。もし次期参院選で兵庫県知事選並みの「6割減」となると、比例代表得票数は134万4千票となり、共産は遠からず〝消滅可能性政党〟となるかもしれない。小池書記局長は「県知事選の奮闘に心から敬意を表する」と述べただけ、志位議長は相変わらず国際会議に出かけて政党外交に熱中していて、県知事選の総活は放置されている。もしこのまま然るべき総括が中央委員会総会においてもなされず、兵庫県委員会幹部の責任が問われないとしたら、共産党そのものが国民や有権者から見放されることになる。兵庫県委員会幹部に対する責任追及と厳正な処分が求められているのである。(つづく)
初出:「リベラル21」2024.11.26より許可を得て転載
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