劇団阿彌『青いクレンザーの函』を観てラーゲリ抑留者の詩人石原吉郎のことを考える

 詩人石原吉郎は、敗戦後ソ連の捕虜となり、刑期25年の戦争犯罪人とされ、スターリン死後の特赦で開放される53年までの8年間極限状態のラーゲリに収容されていた。
フランクルの「夜と霧』と並び証される筆舌に尽くしがたい異常なラーゲリの体験から、石原は、戦争と人間存在の危うさを根源から見つめつきつめていった。
ラーゲリで死なないで生き延びるということは、<他者の死を凌いで生きる>ということにほかならないのであり、其処には、被害者と加害者の反転がいつもあった。
<「被害者の中から人間は生まれない。加害者がその意識を自己に向けた時に人間は生まれる」>
そして、生き残ったということは終生<どうしょうもない後ろめたさ>に苛なまされることになる。

 1953年12月1日、時あたかも米ソの冷戦構造にあって赤狩りという政治状況の真っ只中の日本に引き揚げてきた。「シベリア帰り」という思いもよらない<骨身にこたえる迫害>を受け、それ故職も儘ならず、身内からも疎まれて、本来ならば戦争の深い深い傷を少しでも癒してくれるはずの「安堵の故郷」、強制収容所での仲間が次々死んでいく辛酸極まりない明日も知れない日常ので、希望の唯一だったその「望郷」にもいたたまれなくなる現実、日本の戦後の非常な情況が、さらに追い討ちをかけるように石原の心を、孤独と絶望の淵に追い込んでいってしまった。
石原は言う。
<私は、このような全く転倒した扱いを最後まで承認しようとは思いません。誰がどのように言いくるめようと、私がここにいる日本人ー血族と知己の一切を含めた日本人に代わって戦争の責任を「具体的に」背負ってきたのだという事実は消し去ることのできないものであるからです>

<新しい人間になりたい>というあまりにも重い言葉に、石原の苦悩と孤独を感じとる。

 現在の世界を見ても明らかに解かるように、人間の原罪性「暴力性」「権力欲」「非人間性」から逃れられない「人間という存在」であることを、今年の灼熱の夏、8月6日、9日、15日のそれぞれの日々を 迎えるに当たって、身を引き締めて考えてみたい。

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