宇井 宙さんから私の単位制導入論への批判をいただいたので、じっくり検討させていただくことにする。今回は大雑把な形で述べておきたい。まず学校という近代教育制度はもうぼちぼち耐用年数がきたのではないか、イリイチはいみじくも「学校へ通ったら馬鹿になる」と言ったが、それが大変鋭い批評になっているのが現実である。
宇井さんは私が既成の学校制度を前提に小中学校への単位制導入を考えていると勘違いしておられる。小中高大などというのはおよそナンセンスである。大学生が方程式の初歩を勉強している実態を御存知ないのだろうか。大学という名前があれば大学か、そんなことがいつまでも通用するだろうか。
単位を修得したら上に行くというのは、当然のことで、それにどれだけの期間がかかるかは個人差があって当然である。
別に10歳までに微積分が解ける子供がいてもいいし、50歳になってから数学に興味をもって微積分を解けるようになってもいいわけである。実際、今一番勉学意欲があるのは、60歳からの熟年大学の生徒たちである。
だいたい子供の内は学校で、大人になってから働いて勉強しなくてもよいというのは間違っているので、子供の内から少しは仕事をさせ、大人になってからも学問ができるような制度にしていくべきで、そのための労働時間の制限や学習システムも作っていくべきである。
宇井さんは留年制の弊害が単位制にしたらひどくなるというが、学年制をなくしてしまえば、得意な科目は大学レベルの学問ができ、不得意な科目は中学レベルの基礎を学べるのだからこれほどありがたいことはないのではないか、そのことについては何も触れておられない。
歪んだ劣等感やプライドを持つのは、その人が十分に個性を伸長させられないからである。得意な科目はどんどん進め、不得意な科目は基礎をしっかり固めて進めていけば、遅れも取り戻せてくるはずである。
留年になったりするからコンプレックスになってしまうのだ。それによく理解できていないのに次の単元に進めたりすると、つまずきの原因になることはだれもが分かっていることで、きっちりフォローする体制をつくることで弊害は除ける筈である。
同年齢でのクラス活動については、地域コミュニティの問題に共同で取り組むホームルームなどを作ったり、サークル活動を義務化するなどできることはいくらてもある。
私は学校も産業活動をすべきだと考えており、年齢に応じた仕事というのがあれば、それをさせればとよいと思う。
それに教育力がその国の経済力の基礎であることを考えれば、個性を伸長させ能力を存分に開花させられる教育ができなければ、学力問題は解決できず、「沈みゆく列島」は止められないのではないか、ただ反対というだけでは説得力がない。
いまや教育は危機的状況にあり、抜本的に一から考え直すべきである。そして単元ごとの単位認定制を実験的にやってみることを奨めたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0848 :120409〕