ホッブズの「契約」概念を通して前近代的な共同体社会に代わる「社会」が誕生したわけですが、この過程には「法」的な次元と同時に、「経済」的な次元が深く関わっています。近代という人類史の特殊な歴史段階に固有な「社会」の生成という事態は、「法」と「経済」というふたつの次元から捉えられねばなりません。では「経済」的な次元において何が生じたのでしょうか。
ホッブズの「契約」概念を受け継ぎ、それを原理とする形で社会理論を体系化したのはジョン・ロックでした。ロックにおいていわゆる「社会契約説」が理論的に完成されます。さてロックの社会理論もホッブズと同様に「自然状態」から出発します。ただしロックの場合はホッブズと違って「戦争状態」という捉え方をしているわけではありません。ロックの「自然状態」認識のポイントとなっているのは、「自然状態」とは、まだ人間の手のつかないありのままの自然を意味しているということです。ここにも近代において生じたもうひとつの特殊性がひそかに関与しています。それは、自然を人間、より正確にいえば、「個人」として定義されるようになった人間の側から見るという自然観の問題です。「ありのままの自然」などというものは近代以前には存在しなかったのです。
前近代的共同体社会においては、通常自然は「神」の創ったものとして捉えられます。ヨーロッパの場合この「神」がキリスト教における天地創造神であったことはいうまでもありません。そこでは人間も含めた自然はすべて「神の被造物」とみなされます。人間は決して自然とは別な特権的な中心ではありません。こうした自然の見方が変わるのはルネサンスにおいてでした。ルネサンスの時代にそれまでなかったふたつの自然観をめぐる画期的な転換が生じます。ひとつは自然観察の始まりです。自然を自然そのものとして観察することはルネサンスとともに始まった極めて特殊な自然の捉え方でした。ここから「科学」と呼ばれるこれまた人類史のなかでは極めて特殊なものの見方が誕生したことはいうまでもありません。ただ注意しておかなければならないのは、ルネサンスにおける「科学」の誕生が古代ギリシア・ローマの「科学」の想像的な再生・復活から始まっていることです。つまりルネサンスの「科学」は文字通りルネサンス(古代復興)なのです。自然観察というと無条件かつありのままに自然を見ることと想像しがちですが、じつはそこには極めて特殊な自然観上の転換が関与しており、その中心となっているのが古代ギリシア・ローマの「科学」の想像的再生であったということです。では具体的にはどのような形でそれは行われたのでしょうか。一言でいえば、12世紀から始まる十字軍のオリエント(イスラム帝国)侵略とともに生じた当時の世界最先端文明としてのイスラム文明との接触によってでした。そこで再発見された古代ギリシア哲学、とりわけプラトン哲学によってそれがはじめて可能となったのです。たとえばケプラーの惑星運行の観察は「科学」の誕生を告げる出来事として有名ですが、その前提になったのはプラトンの最後の著作『ティマイオス』で展開されている自然哲学、より端的に言えば宇宙創成論でした。このあたりの話は詳しく立ち入ると非常にやっかいな問題がたくさん出てくるのでこれくらいにしておきますが、あの近代物理学の始祖のひとりと見なされるガリレオ・ガリレイもまたプラトン主義者だったことだけは指摘しておきたいと思います。「科学」はプラトン哲学という特殊な認識装置が生み出したパースペクティヴの転換によって生まれたのであり、決してありのままの「客観的」な自然観察から生じたわけではありません。むしろ自然観察そのものがそのパースペクティヴの転換によってはじめて可能となったのです。ロックの「自然状態」の捉え方にはこうした事情が反映されています。
ここでそうした事情と相関する、プラトン哲学の想像的再生の生み出した自然観をめぐるもうひとつの問題に触れておきたいと思います。ついでに書き添えておくと、先ほどから「想像的」という言葉を何度か使っていますが、それはルネサンにおけるプラトン哲学の再生が必ずしもプラトンそのものを再生を意味していたわけではいからです。そもそもオリエント・イスラム地域でプラトン哲学が継承されてきたのは、プラトンそのものよりもプラトンより数百年後に現れたプロティノスの新プラトン主義哲学、ネオプラトニズムによってでした。ネオプラトニズムに中心にあるのは、世界=宇宙に「神」という最高善の性質があまさず流れ込んでいるという世界観です。ルネサンスにおいてはこのネオプラトニズムとさらに中世ユダヤ神秘思想や(『カバラ』)、オリエントにおいて生きのびてきたグノーシス主義の世界観(『ヘルメス文書』)などが結びつきます。若干の違いを含みながらもそれらの思想にはネオプラトニズムと共通した世界観が含まれます。だから「再生」したのはプラトンそのものというよりは、このような文脈のなかから生まれた世界観や宇宙・自然観を表わす「名前」「記号」としてのプラトンなのです。この想像的なプラトン再生の中心となったのが、イタリア・ルネサンスの中心地フィレンツェに設置されたプラトン学園、「アカデミア・プラトニカ」でした。それを創設したのはマルシリオ・フィチーノという哲学者でしたが、まもなく彼の教え子のなかからひとりの天才が誕生します。ピコ・デルラ・ミランドラです。彼は『人間の尊厳について』という著作によって、最高善としての「神」の性質が凝集する特殊な被造物としての人間は自由意志の能動性を有すると主張します。これはちょうど自然観の転換に対応する人間観の転換を意味します。つまり自然がありのままに観察しうる対象となるのと平行して、自由意志を持った能動的存在としての人間が誕生したのです。こうした人間の見方の誕生が近代における「個人」の誕生の土台となったのでした。それは、アリストテレスが「下におかれたもの=実体」として定義した「スプイェクトゥームSubjektum」が「ズプイェクトSubjekt」、すなわち「主体」として読み換えられる過程でもありました。この「主体」に対応するのが「客体Objekt」であることはいうまでもありません。自然は人間という「主体」によって観察される対象、つまり「客体」になるのです。こうした見方を完成させたのがデカルトだったことはいうまでもありません。
こうした過程を私たちは何か歴史の進歩の必然的な帰結であると考えがちですが、そこには極めて特殊な「哲学」上の転換が関わっているのです。つまりトーマス・クーンのいう「パラダイム・チェンジ」です。「パラダイム・チェンジ」が生じると、新しいパラダイムは古いパラダイムを消去し、あたかも昔からずっとそのパラダイムが存在していたかのごときパースペクティヴを作り出します。近代とともに「哲学的」に誕生した「科学」は、いったん誕生するとそうした起源の事情をきれいに消去して、「科学」が自然のありのままの観察から生まれたという「虚構の物語」を捏造し、しかも昔から「科学」の萌芽は存在していて、現にある「科学」はそうした萌芽(たとえば古代ギリシア・ローマの「科学」や中世の錬金術)からの進歩・発達の合目的的過程の帰結であるがごときパースペクティヴ、歴史の遠近法の顛倒を行うのです。私たちは歴史を認識しようとするときには、とりわけ近代という決して普遍的ではありえない、むしろ人類史の中では極めて特殊な段階といわねばならない歴史性を認識しようとするときには、そこに幾重におり重なって組み込まれているこうしたパースペクティヴの顛倒や捏造、言い換えれば「倒錯」をしっかり見極める必要があります。そうしないと近代で起きたことのすべて、人間が「個人」であり「主体」であること、自然が人間という「主体」によって対象として扱われる「客体」であること、それを土台にして成立した「法」や「経済」に基づく秩序、とりわけ国民国家と資本制生産に基づいた秩序などがあたかも永遠不変の真理であるかのごとき錯覚に陥ってしまうからです。このことはとくにこれから見ていくロックの社会理論を理解しようとするとき大切なポイントとなります。
さてだいぶまわり道をしてしまいましたがロックに戻りましょう。ロックは「自然状態」を人間の手が加わらないありのままの自然の状態と定義しました。このことはとくに「土地」のあり方にあてはまります。まだ人間の足跡が存在しない土地こそロックの「自然状態」の典型に他なりません。ようするにそれは、人間にとって有用な富、財をまだ生み出していない自然ということになります。「自然状態」としての土地とはまだ利用されていない自然、有功活用されていない自然なのです。
人間はやがてこの手つかずの自然を自分たちの自己保存欲望を満たすために利用し始めます。ここでも注意しておかなければならないのは、この利用が、人間と自然のあいだの「物質的代謝の過程」(これはモーゼス・へスの言葉です)として見た場合には歴史貫通的な普遍現象となりますが、ある特定の見方に立つと近代に固有な特殊現象となるということです。じつはロックのなかでこの普遍現象から特殊現象への転換が起きています。ではその転換のポイントとは何か。それは「労働」です。ロックは、労働によって人間が土地=自然を加工・変形しそれによって有用な富・財を生み出すようになることを、「自然状態」を脱して「社会」へと向かうもっとも重要なポイントとして見ているのです。この労働が基本的には農業を意味しているのはいうまでもありません。その意味ではロックはアダム・スミスに先立つ重農主義の始祖とも考えられます。これが同時に人間の価値創造的な労働=生産活動としての「経済」の確立にもつながります。
ところでここでも近代の誕生とともに生まれた「経済」をめぐるパースペクティヴの顛倒に触れておかねばなりません。大塚久雄は近代化の指標を共同体内部における分業の発生を通した生産力の向上に求めています。大塚久雄を含め多くの近代化論者は「経済」の近代化の要因を、共同体内部で起こった変化に求めようとします。重農主義こそ「経済」における近代の起点であるというようにです。しかしこの見方は大きな「倒錯」を含んでいます。それは近代の「経済」を生んだのがむしろ重金主義、あるいはそれに続く重商主義だったことを忘却してしまっているからです。ロックのような労働による「自然状態」から「社会」への移行もじつは重金主義や重商主義があってはじめて成立するのです。
ロック、あるいはホッブズのような「契約」論的な「社会」の捉え方が成立するのは原理的には共同体が終ったところにおいてです。では何が共同体を終らせたのか。それはマルクスがいうように「共同体」と「共同体」のあいだ、つまり異なる共同体間の交通によってでした。この交通は交換手段としての貨幣の重要性を高めます。そしてそこで重要な顛倒が生じます。それは貨幣がこの交通の結果生み出される富や財、具体的にいうと異なる共同体から移転される富や財の価値を表わす尺度となることです。つまり交通=交換の結果生み出される富、財は貨幣によってその価値が量られるようになり、やがては貨幣そのものが富、財そのものであるという「倒錯」へと行き着きます。これが重金主義ですが、そこにはもうひとつの必然的な結果が伴います。それはこの貨幣を手に入れる手段としての異なる共同体間の交通=交換が「経済」の中心要素となることです。それが「商業」を意味することはいうまでもありません。念のために申し添えておけばこうした貨幣価値の実体化とそれを入手する手段としての商業は共同体においては決して中心化されません。かりに存在したとしても部分的・周辺的なものにとどまります。共同体は本質的に貨幣という交換手段を必要としていないからです。共同体間の交通=交換としての商業が爆発的に発展するのは中世末期からルネサンスにかけての時期でした。北ヨーロッパのハンザ同盟都市による交易と、南ヨーロッパ、とくにイタリアのヴェネツィアを中心とするオリエント(オスマン・トルコ)との交易が商業経済を急速に発展させます。これに遅れてスペインとポルトガルの南アメリカやインドへの進出が加わります。とくにスペインとポルトガルの南アメリカ進出は大量の金銀をヨーロッパにもたらし貨幣量を飛躍的に増大させました。
こうした過程のなかで富や財の生産も次第に貨幣価値取得を目的とするように変化していきます。この時代の生産活動はほとんどが農業と手工業ですから、そこで行われる生産活動が貨幣目的的なものへと変化することになります。とくに土地を対象とする農業が貨幣目的的になるのは人間と自然の関係に根本的な転換をもたらすことになります。つまり人間と自然の関係が商業=貨幣的になるということです。価値創造的になるといってもよいでしょう。これが「経済」の本質的な意味です。その中心をなす活動がロックのいう「労働」です。「労働」は交通=商業とその中心に位置する貨幣が作り出したものなのです。したがって重農主義は重金主義、重商主義によって生み出されたものだということになります。しかしこのパースペクティヴはアダム・スミス以降の経済学によって「顛倒」され消去されます。重農主義、さらにはその後の労働価値説によって「未熟な」重金主義や「倒錯した」重商主義は克服され、「正しい」経済の認識が古典派経済学によって確立されたというようにです。しかしじつはこれこそが「倒錯」なのです。産業資本主義を生み出したのは重金主義であり重商主義です。その中心にあるのが貨幣による価値量の表示であり、貨幣価値の側からの生産活動の意味の「顛倒」であり、さらにはその結果としての「労働」の誕生なのです。そのことを証明しているのがロックによる労働の意味づけだったということになります。
今回は少し長くなりましたが最後にそこから導かれるもっとも重要な帰結に触れてしめくくりたいと思います。労働は土地=自然に働きかけ富、財を生産します。そしてその富と財は基本的には労働の成果となります。ほんとうは土地=自然そのものの産出可能性の成果なのですが、でもロックはそう考えません。それは全面的に労働の成果だと考えるのです。ここにも近代が生んだ「倒錯」が顔を覗かせています。本来は自然の成果に帰属すべき生産財、富が労働の成果にすりかえられてしまうのです。マルクスが『ゴータ綱領批判」でラサール派の綱領文案にある「富は労働の成果である」という表現を厳しく批判し、「富は労働の成果と同じくらい自然の成果でもある」といっているのはこの「倒錯」を批判するためだったといえます。ところでロックが土地=自然の成果を一方的に労働の成果としたことにはひとつの考え方が隠されています。それは、自然=土地への働きかけの成果が労働の成果であるとき、労働の「主体」はその成果を一方的に自分のものに出来るという考え方です。ここでじつはロックは近代が生み出した「社会」のもっとも重要な原理を指し示しているのです。それは労働の成果の一方的な領有(Ereignung, appropriation)に基づく所有ないしは所有権の原理です。つまりここで「私的所有Privatseigentum」の原理が確立されるのです。そしてホッブズが根拠づけた「コモンウェルス=国家」の最大の役割はこうした私的所有の権利の保護になります。つまり近代が生み出した「法」と「経済」が所有原理によってひとつに結びつけられるのです。ここにおいてはじめて近代の「社会」が確立されることになります。
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〔study360:101203〕