退避勧告のうみだすプラス・マイナス
日本に留学していた外国人留学生が3月11日の大震災・原発大災後数日で日本を自主的に去った。アメリカ国務省は3月16日に自主的国外退避勧告を出したと言う。実は、我が家もそんな動きと無縁ではなかった。妻がセルビア人であるからだ。セルビア大使館は、在日のセルビア共和国市民に安全確保上必要最小限の情報(告知と勧告)を提供していた。
3月13日の情報――避難警告は福島第一から20キロ以内、第二から10キロ以内の住民に関することなので、全般的パニックにおちいる必要はない。私達は、全員が冷静・沈着であり、個々のセンセーショナルな情報源が引き起こすパニックや恐怖にはまり込まないように要望する。
前日の12日の情報が在日セルビア人の安否確認とセルビア内務省の日本への救援チーム派遣にかかわる事でしかなかったのと対比すると、調子が変化していた。
3月14日――大使館は平常に働いている。みんなも落ち着いて。
3月15日――セルビア共和国外務省の声明が発表された。それによると(1)セルビア外務省は、セルビア市民の日本への渡航を止めるように勧告する。(2)日本で生活し、働いているセルビア市民に対して、出来るかぎり日本から退去するか、あるいは危険性のより少ない地域へ退避するように勧告する。
3月16日――大使館は、諸氏が日本を退去するか、それが出来ない場合、より危険性の少ない地域へ避難するように示唆する。全大使館員が大阪へ避難する事を通知する。その後、前通知を修正して、大使と一人の館員は東京にとどまり、他の諸館員は大阪の名誉総領事の所で業務を遂行すると通知する。
本国外務省は、日本国外への退避勧告。大使館は退避示唆。語に違いがあるのは、ヨーロッパ情報と東京情報の温度差を反映しているのだろう。しかしながら、我が妻の場合、全くあわてずさわがず、日本を去る事など一切念頭にない。若干気にかかった事は、航空券の代金を大使館が出してくれるのかどうかであったようだが、そんなはずがないと納得すると、もはやこの一件には何の関心も示さなくなった。仮に急遽日本から去るとなったとしたら、格安航空券ではなく、ノーマルな料金を支払わざるを得なかったろう。年金生活者に出来ることではなかった。仮に大阪へ移るにしても、親類縁者のない私達家族は、ホテル住まいということになり、金銭的に長続きできない。
ところで私もベオグラードの友人から、自分の家へ好きなだけ滞在してよいから日本を退避した方が良い、というメールを受けとった。私自身は、日本社会を直撃した社会的大事件の現場を見捨てるつもりは、社会認識を職業としてきた者として全くなかった。そこで、新宿駅構内の電話機から国際電話をテレフォンカードでかけて、申し出に感謝すると同時に、大災厄後数日間の東京市民の様子を詳しく伝えた。驚いたことには、通常なら1分、2分しかしゃべれないのに好きなだけしゃべれた。国際電話の料金システムが地震で故障していたのか、国際電電等の国際通話会社が在日外国人のために有事サーヴィスを意識的に提供していたのか、あるいは誰か技術を持つ人がその電話機に技術的細工をひそかにほどこしていたのか、いずれにせよ長時間通話が出来たのだ。そんな頃に、大使館からの上記の如き勧告や示唆があったのだ。
私は妻にかわって、東京にとどまるべきか、東京から遠方へ去るべきか、の諸理由を考えた。私が「三東情報」と名付けている東京電力、東京大学原子力工学専門家、そして日本国東京政府からの解説・発表を信じる限り、東京を去る強力な理由は無い。しかしながら、セルビア外務省は、セルビア市民に日本から退去勧告を出している。それは、ヨーロッパ情報、アメリカ情報、ロシア情報等の「三東情報」以外の諸情報をも考慮・分析して判断を下したはずである。黙殺してよいわけがない。私が判断を下す上で最も参考になったのは、反「三東情報」の一つ、たんぽぽ舎の情報であった。「三東情報」のエッセンスは、「心配ない」である。それに対して、たんぽぽ舎のそれは、「おおいに心配である」である。そしてその根拠を素人の私にも分かりやすく説明していた。ところで、上記の勧告に従うか、従わないか、と言う具体的判断に必要なことは、「おおいに much」だけではなく、「どの程度おおいに How-much」である。「東京を退去する程に心配である」のか、それほどではないのか、である。私にとって最終的な判断材料は、たんぽぽ舎自身が活動本拠地を東京神保町からほかの所へ、例えば関西の方へ移していないと言う事実である。有事に際しての人間的判断は、言葉と行動に同時に表出する。誤解を招く事を恐れて付言しておくと、私は、たんぽぽ舎を言行不一致と評価する者ではない。言葉に表現しきれない所を行動をもって補完していたと考える。たんぽぽ舎は、物理学的・生理学的危険レベルを言葉で、――「三東情報」に比してはるかに正しく――伝達し、社会生活的危険レベルを行動で、――神保町から動かず、さらには最近の事であるが、本拠地の三階に市民との交流広間を増設することで――適格に伝達している。ちなみに、このような私の判断は、その直後、「ちきゅう座」の合澤氏に電話で話してある。
ここでもう一言しておきたい。東電は「心配ない」と言っていたし、あるいは電力不足の方が「もっと心配だ」と示唆していたようであるが、実際は「おおいに心配」しており、本社幹部の中には、インサイダー情報に基づいて、家族を遠方へ避難させていた者があったかも知れない。当時、そんな噂を耳にすることもなかった。従って、全く仮定の話しとして書くのだが、そんな幹部がいたのだとしたら、――年棒7000万円の人達であるから、ホテル代を気にしなくて済む――その人物は犯罪者ではなかろうか。インサイダー情報で株式取引をして金銭的にもうける事が犯罪であるのだから、インサイダー情報で家族に生命拾いさせるというまことに人間的な行為・事態もまた犯罪となろう。
平成23年6月8日
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危険情報開示のプラス・マイナス
原発大災によるばらまき放射能について国民への情報提供が当然視されている。私個人としては、危険情報を現実的、あるいは可能的被害者に100パーセント提供すべきであると考える。しかしながら、情報提供の社会的意味は、危険性のレベル、致死性のレベルによって様々であろう。
放射能情報の問題は、患者へのがん告示の問題に相似している。かつてガンが死病であって治療法が殆どなかった時代、多くの場合、医師は家族の誰かにその事実を告げたが、医師もその誰かも本人にはひたかくしにしていた。死の不安による病状の悪化や生活の乱れを恐れたからである。治療法が発達するにつれて、本人への告知が通例となったようである。知る事によって、本人の自覚的な闘病生活が可能となるからである。
原発大災は、マグニチュード9クラスの超巨大地震によって引き起こされた。そのような超巨大地震の場合、直後の数多くの余震とは別に、一年ないし2年後に、余震というカテゴリーに納まらないマグニチュード8クラスの巨大地震が起る先例が多いそうである。とすると、福島第一における損傷原子炉も3月11日以降の必死の努力によって設置された冷却装置や高濃度放射能汚染水除去装置―悪条件下で急設され、耐震性が十分とは思われない装置も破壊される可能性が高い。かくして、東北のみならず、関東一円も亦、強度放射能汚染地域となろう。避難すべき住民の数は、最悪の場合、4千万人となる。関西や九州や四国が収容可能であろうか。最大限1500万人の避難民の受け入れであろう。残りの2500万人は、原発難民のボートピープルとなって―それだけの船舶や航空機が手配できるとして―、日本国外へ脱出する。諸外国がそんな数の難民を人道的理由で即座に引き受けてくれるであろうか。疑問である。とすれば、2500万人の関東・東北の住民は、各種の強弱様々の放射能障害を覚悟して地元で生活し続けるしかない。
専門家や当局者は、かかる最悪事態が相当高い確率で起きるであろう事を事前に把握して、情報を開示し、避難勧告を出す。そのことの社会的意味は、治療法がなかった時代に患者本人にガン告知をするようなものである。しかも、数千万人のガン患者に対して一斉に。知らないまま死ぬよりも、余命が何ヶ月かを知っていると、やるべき事もやれるから、告知された方が良いと考える者も多いであろう。しかしまた、知らないで無用の―つまり知ったとしても治療法=逃げ場がないから―不安感なしに死ぬまで生きる方が良いと思う者も多いであろう。要するに、「知らせる」と「知る」という事の意味と無意味の問題である。
かかる最悪のケースに陥る可能性ある私達にとって最も有益な情報は何か。それは、チェルノブイリの高濃度汚染地域から逃げ出すことの出来ない植物と動物と微生物が現在どうなっているか、その地域の生態系の様相である。その情報が欲しい。
(平成23年6月9日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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