原朗氏から編著『学問と裁判――裁判所・都立大・早稲田大の倫理を問う』(同時代社、2022年8月1日)を贈られた。前著『創作か盗作』か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』(同時代社、2020年2月20日)の続編である。
前著には、小林英夫教授盗用の実証、そして「誰でも行い得るから」盗用とは言えない判断の繰り返しに基づいて小林勝訴を決めた東京地裁と東京高裁の判決に対する原氏側の驚きが端然と表現されていた。新著には、最高裁の決定への批判、大学における研究倫理審査の形骸化に関連した都立大学と早稲田大学への批判、小林教授の本務校であった早稲田大学への原朗「通報書」全文、そして前著『創作か盗作か』の書評論文・書評九本が心ある読者を待っている。
私=岩田のように、バルカンの旧ユーゴスラヴィアと東中欧のポーランドを対象地域として比較社会主義体制論や体制転換期の階級形成闘争――階級闘争ではない、念の為――の研究と観察を行なって来た者から見ると、原氏や小林氏が研究する近現代日本国家の経済史は、まことに社会経済政治の全体的かつ細部的諸事実・諸史実に研究者諸氏が肉薄する主体的営為である事が得心される。
私が最初にベオグラードに研究留学した1965-1967年の約3年間に、たまたま原朗氏のような現地の指導教授に出会って、原氏の「満州第一論文」と「満州第二論文」に匹敵するような、例えば、1950年代「労働者自主管理誕生第一論文」と「誕生第二論文」を手渡されたと仮定しよう。セルボクロアチア語・英語辞書を片手に必死になって読み通すのに精一杯で、二論文の労働者自主管理研究史上の意義を読み解き、読み抜き、読み切るなんて事は、全く不可能であったろう。
まして況や、仮に自分が構想する処女作『ユーゴスラヴィア労働者自主管理社会主義論』があったとして、二論文の論理構成と篇別構成を盗用し、二論文を切り刻み、かつ翻訳調の文体ではなく、自然な自分の文章にして、自著を完成させるそんな芸当は、夢のまた夢、正確に言えば、悪夢のまた悪夢、不可能であったろう。
やはり、深い社会認識は、自分が幼い頃から生活している言語文化圏に限られるのかも知れない。
泉山三六氏旧蔵の、満鉄経済調査会の、十河信二氏寄贈の、鮎川義介氏旧蔵の、岡野鑑記氏旧蔵の広範な一次史料、「これらすべての一次資料を子細に検討して、それら史料が示す論理的連関をつかみ出すことは、私以外の誰も試みていなかった。」(『創作か盗作か』p.87)と原朗氏は自負する。その通りであろう。と同時に、かかる原氏の独創的知財を知るや否や、一年有余のうちに、それを盗用して大著を完成させた小林氏の才能にも刮目せざるを得ない。時代小説の雲霧仁左衛門の如き「並みの〇×ではなく」「敬すべき名〇×」と言うべきか。
『学問と裁判』「第六部 裁判記録による小林英夫氏の主張」の編者堀和生京都大学名誉教授は判断する。――当該分野の研究史を熟知している編者には、学会報告によって全構想を展開した原朗氏の研究成果を当該分野についてほとんど研究実績のない小林氏が、常人が予想し得ない速度で剽窃し成文化したうえで自著を「作った」と考える方が、はるかに合理的・・・だ。――(p.32、強調:岩田)池波正太郎が創造した名〇×雲霧仁左衛門をイメージした所以である。
この論脈で、最近目に止った鋭いコメントを紹介したい。2020年・令和2年12月に亡くなった東工大名誉教授早坂真理氏の発言である。
――当時は日本でポーランド史を本格的に研究する人はあまりおりませんでした。例外として阪東宏先生が共産党イデオロギーのバイアスのかかった紹介をしていたくらいです。彼の仕事も、あとで述べるステファン・キェニェヴィチ先生の著書『一月蜂起と農民問題』(1953年)を恣意的に歪曲して日本に紹介をしていただけの代物だったのです(『ポーランド革命史研究』青木書店、1968年)。・・・・・・。とても難解な本で、阪東先生はよく読みこなしたものだと感心しました。もちろん彼の読み方は間違いだらけでしたが。――(早坂真理著『スラヴ東欧研究者の備忘録』彩流社、2021年・令和3年1月10日、p.11)
――キェニェヴィチはマルクス主義者ではなかった。・・・・・・。・・・いわば強制されてマルクス史学・社会経済史観点を無理に取り入れてまとめあげたのが『一月蜂起と農民問題』(1953年)であった。この・・・キェニェヴィチの書物を、スターリン時代の言説を無批判に上塗りして日本の歴史学会に紹介したのが阪東宏であった。――(早坂真理著『近代ポーランド史の固有性と普遍性 跛行するネイション形成』彩流社、2019年・令和元年11月19日、p.23)
――キェニェヴィチの『一月蜂起における農民問題』・・・、これを無批判に翻訳紹介したのが阪東宏の『ポーランド革命史研究』(1968年)であったことは序章で述べた。――(同前p.29)
このように先学を厳しく批判する早坂氏の出世作は、『イスタンブル東方機関――ポーランド亡命愛国者』(筑摩書房、1987年・昭和62年)である。
――彼(イェジィ・スコヴロネク:岩田)の教授資格論文『チャルトリィスキ派の東方バルカン政策』でした。・・・、帰国後に私が最初に上梓した『イスタンブル東方機関』(1987年)は、スコヴロネク先生のこの本を底本にしたものです。――(早坂真理2021年・令和3年、p.13、強調:岩田)
――シプリアン・ロベール(フランスのスラヴ学者:岩田)の「二つの汎スラヴ主義論」は私の最初の著書『イスタンブル東方機関』の骨格となり、・・・・・・。――(同前p.33
、強調:岩田)
ここに観察されるように、現地語による研究蓄積の厚い外国史研究における競争とは、後学が先学よりも現地語と周辺諸語による既存の論文・著書をより多量により広範により正確に読み切る所にあって、日本近現代経済史におけるように、「すべての一次史料を子細に検討して、それら史料が示す論理的連関をつかみ出す」レベルに至っていない。そんなレベル下にある者から原・小林紛争を見るならば、それは本格的社会研究における研究様式・研究倫理の衝突であって、まことに貴重な社会的事件である。両サイドの自己主張と他者批判が第三者に全面開陳される価値と責任がある。
『学問と裁判』において、原氏等は、都立大学(博士号授与)と早稲田大学(教授就任)が小林教授盗用問題に関して首尾一貫した対応に欠けると抗議する。
第三者の私=岩田には、小林盗用問題の発端において原朗氏がとった二つの配慮に同型の配慮が両大学に働いているからと思われる。原朗氏は、第一に、研究倫理にのみ従って、この問題を土地制度史学会に持ち込めば、そのほかにも多くの難問をかかえていた学会組織が解体ないし弱体化してしまう事を強く心配した。第二に、盗用者の小林青年が将来を失い、自死等の不幸を招くかも知れないと心配した。社会組織を傷付けまいとする心性と個人を追い詰め過ぎまいとする心性。かつて原朗氏に働いた二種の性向が今回二つの大学にも働いたのである。学内に混乱をもたらし、大学組織を動揺させる事を恐れる。80歳代の老学者を追い詰め過ぎて、余生に過大な不幸をもたらすことを避ける思いやりであろう。倫理と実生活の折り合い。
『学問と裁判』に『創作か盗作か』の書評論文・書評が九本載っている。一覧して、書評者すべてが名誉教授レベル、原朗氏と同世代であることだ。この知的事件は、特定世代にその意味が限定されない質のものである。若い世代の評価を読みたい。そして、私以外の評者は、すべて原・小林両氏と専門が重なる。
すべての評者が原朗氏の主張に共鳴しているように感じられるが、同時に小林教授の口から自己の処女作の学説史的位置付けを論じてもらいたいと切望していると思われる。小林訴状に見られる文言、原朗氏の「積年の原告への嫉妬や恨み」と言った他者内面心理の反証可能性なき憶測ではなく、自己の研究と原朗氏の研究の相互関係に関する自己認識を文章にして欲しい。それは、原朗氏の研究を肯定するにせよ、否定するにせよ、道徳的勇気の発揮であろう。
両書を通して、私=岩田は、原朗氏の言説と発言に無理や不自然さを感じなかった。但し、以下に引用する発言を除いてである。
――この前の依田証人も言っていたんですけれども、原先生は本を出せばよかったんだと、それで同じような本であっても、それを出すことによって、それがあくまで発展につながるといった内容の証言をされていましたけど、この点に関しては、先生はいかがですか。
それは依田先生も依田先生以外の皆さんも、もっとちゃんと書けばいいじゃないかと、優れたスーパーシード、要するに上回る本を書けばいいではないかというアドバイスをしてくださる先生方も先輩も、いっぱいいらっしゃいました。ただ、小林さんの御本は、小林さん御自身が誇っておっしゃるように545頁の大作です。私の論文は、高々28頁の論文です。この545頁の中に1頁17行です、小林さんは。そうしますと、545頁にわたる本に反論しなければいけません。これは小林さんにオリジナリティーはなく、私にオリジナリティーがあると、プライオリティーの主張をするといたしますと、10倍のページ数を使っても、これは不可能です。545頁の10倍、5450頁の本を書いても、あるいはその20倍、1万ページを上回る本を書いても、これは不可能ですが、5000頁や1万ページの本を、どの出版社が引き受けてくれましょうか。それに、それを書く気が私は、もうその時はありませんでした。
――それは、書くことはできないということですか。
できないのではありません。できます。できますけれども、公刊することは不可能でしょうね。定価が幾らになるでしょうか。―――(『創作か盗作か』p.345)
小林教授は、自己の沈黙を弁明して、原氏をまねてこう語るかも知れない。「原氏周辺の小林非難本2冊、総計850頁に逐一反論しようとすれば、5000頁、10000頁の本が必要となるでしょう。どの出版社が引き受けてくれるだろうか。」
2022年・令和4年8月18日(木)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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