私の手元に東京国際大学大学院経済学研究科の学術誌『経済研究』第12号(2010年・平成22年)がある。原朗教授の最終講義「開港百五十年史――小江戸・大江戸・そして横浜」(pp.1-31)と私=岩田昌征の最終講義「党社会主義の思想と実践――社会主義への移行と資本主義への移行――」(pp.33-53)をそこに読むことが出来る。
私の最終講義は、幸か不幸か何の物議をかもし出すことがなかったが、原氏のそれは、氏自身のその後の人生航路をかなり不幸な方向へ変えてしまった。その原因は、彼が結論部分で述べた次の一節に在る。引用する。
――私が十分に研究に専念することができなかった一つの理由として、1975年のことですが、私の作品の一つが他の研究者によって剽窃された際、その研究者が学会において果たしていた役割に配慮し、盗用を公然と指摘することをためらったことがあげられます。まだ公刊されていない自分の論文の構成を、ほとんどそのまま他人の著作の編別構成に利用されてしまったのですが、その結果、私は自分の最初の著作を著書として公表することも学位を申請することも断念することになり、以後私は学会における倫理の欠如と売名行為の横行に暗澹たる気分を抱いたまま、一切単著を出版せず、ただ共同研究の編集や資料集の出版のみに終始する態度を維持して現在に至ったのです。――
――……、私のその作品が26年後にあたるリーディングス(『展望日本歴史20帝国と植民地』東京堂出版、2001年、210-249頁)に収録された際、……その経過についえ実名を挙げてしるしてあります。現在は早稲田大学教授の小林英夫という人ですが、私がこの追記を公表してから8年、私はご本人からは何の抗議も受けておらず、口頭で謝罪の意を軽く告げられただけであり、現在もその人は次々に著作を公表し、大活躍中です。盗用、剽窃をすることが学問の正常な発展にとっていかに大きな打撃をあたえるか、その被害を蒙った当事者として、研究者の道を歩む皆さんにはお伝えしておく義務があろうかと思い、恥ずかしさを忍んで今日皆様に申し上げる次第です。――(p.29)
去年、令和2年の2月か3月初めに原朗著『創作か盗作か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』(同時代社、2020年2月20日)を著者から贈られた。500頁余の大著である。本書で退職後の原氏人生に激変が起こっていた事をはじめて知った。早稲田大学教授小林英夫氏は、上記の原発言等を「名誉毀損」であるとして、「損害賠償金」と「謝罪広告」を要求して、裁判に訴えた。2013年・平成25年6月末のことである。結果は、東京地方裁判所も東京高等裁判所もともに原告の主張を認めた。そして原氏は最高裁に上告した。
今年2021年・令和3年4月初めに知った。最高裁は、昨年2020年・令和2年6月15日に原氏の上告を棄却していたことを。かくて、原氏自身も原氏を支援する研究者有志達も原氏の敗訴であると考えている。たしかに原氏は賠償金を支払い、小林氏は賠償金を獲得したのであるから、原氏敗訴かつ小林氏勝訴のようにみえる。肝腎の第一審の判決を私が素人の目で読むと、必ずしも小林氏の勝訴であるように見えない。
判決は、原氏に賠償金の支払いを命じている。しかしながら毀損された「名誉」が真に回復されるためには、原氏が謝罪することが必要条件のはずだ。小林氏自身、原氏が『朝日新聞』紙上に謝罪広告を出し、東京国際大学大学院経済学研究科『経済研究』誌に謝罪文を公表することを要求していたし、更に関連する原氏著作『満州経済統制研究』の回収さえ強請していた。判決は、これら一切を認めていない。また、訴訟費用の3割を被告原氏に負担させ、7割を原告小林氏が負担せよとしている。
通常の経済的利害を争う裁判であったならば、小林氏勝訴で原氏敗訴であると見て良い。しかしながら、これは学術作品の真理価値をめぐる争いである。小林氏が受けたと主張する負価値の主原因である原氏の発言・文章・著作がそのまま無傷で日本国の常民社会・市民社会・国民社会で流通する事が裁判所によって許されたのである。この点、上級審でも不変である。従って、私のような素人の目には、小林氏は、金銭面で勝利したとしても、精神面・倫理面・道徳面の「名誉」を裁判斗争で回復したように見えない。実質は原氏の勝訴とも言えよう。
仮に判決が被告原氏に原告小林氏への全面的謝罪広告と著作の回収を命じ、かつ金銭的補償はするまでもないと言う形であったとすれば、この場合は、明らかに原告小林氏の勝訴であり、被告原氏の敗訴であろう。
ここで、私=岩田は、社会的紛争に関して時効なる法制度を想起する。所有権の取得時効は、非善意の場合でも20年間である。本件にかかわる著作権の場合、著作権法に違反する行為があった時点から20年。出所明示義務違反は3年時効。
仮にだが、原氏が小林氏を法的に訴える意思があったとしても、小林氏を著作権法で罪に問えない。最終講義に言う如く、原氏は、26年後になって本事件について公言したのである。原氏は、『創作か盗作か』表紙直後のページでイェーリング『権利のための闘争』(ウィーン、1872年)を引用している。すなわち、「敏感さ、すなわち権利侵害の苦痛を感じとる能力と、実行力、すなわち攻撃を斥ける勇気と決意が、健全な権利感覚の存在を示す二つの標識だと思われる。」この文章はRecht、すなわち権利=法の世界に直接妥当する。しかしながら、原氏は、『創作か盗作か』の本文で「原告が批判論文の発表や書評の執筆など学術界で保証されている公正な意見の交換の手続きを踏まぬまま、これを回避してただちに法曹界の判断を求めたことは、学術上の手続きとしては正しくないと私は考える。原告は、自己の学術的正当性(オリジナリティ)を主張するのであれば、学術的議論によって応戦すべきであり、法的手段に訴えたことは遺憾である。学術上の争いはあくまで学術界においてなされるべきものであり、本来的に法的判断になじむものではない性格を持つ。」(pp.96-97)と主張している。
原氏が小林氏に対していだく不信感や怒りは、欧米流の所有権・著作権の侵犯にかかわると言うよりも、東洋流に表現すれば、共同研究の仁義の崩壊への絶望の表現であるように思われる。その意味でイェーリングからの引用が本書冒頭に大書されているのは、原氏の基本的思想にそぐわない感じがする。イェーリングの言う「敏感さ」と「実行力」は、学術の本道を踏む以前に法曹界に逃げ込んだ小林氏の側にある。法曹の世界では法律的に権利を時効損失した者と権利を時効取得した者とが「権利のための闘争」を行うと言う裁判官の心証にならざるを得ないが、約半世紀前、原氏は「権利を犠牲にして平和を選ぶか、それとも、平和を犠牲にして権利を選ぶか」(イェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、p.45)の選択に直面して、平和を選び、結果として平和が得られなかったのである。
ここまでは、もっぱら原朗著『創作か盗作か』に頼って考えて来た。当然それでは私=岩田の判断に偏向性が残るにちがいない。小林氏が学術上の名誉回復を切実に希求するのであれば、獲得した賠償金220万円+α円を使って、小林版『創作か盗作か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』を出版して欲しい。原版では、氏を支持する松村高夫慶應義塾大学名誉教授と堀和生京都大学名誉教授による意見書が読める。小林版では小林氏の詳しい主張と並んで、氏を支持する依田憙家早稲田大学名誉教授の意見書が知的公衆に公開される事を望む。学術上の争いを形而下の法世界に封じ込めるのではなく、学道再生の試みへ昇華させ得るか否かは、今や小林英夫教授の胸三寸にかかっている。
それにしても、正規の研究教育職にない、在野の研究者が最終手段を最初から採らざるを得なかったのならば、それは良くわかる。大学の紀要等のルートを有する者が最初からかかる問題を司法に、すなわち非専門家に委ねたのは、不可解だ。
令和3年4月10日(日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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