原発に代えて水素発電(燃料電池発電)ではどうだろうか?

東日本大震災に続く放射能汚染で騒然としていたのが落ち着いてきた頃、八重洲の茶店で知合いとコーヒーをすすりながら銅鉄合金をなんとかできないかと話をしていた。話も一段落ついて世間話になった。話はあちこち飛んだがやはりときの話題になった。「原発の爆発、何が爆発したか知ってるか?」こっちも技術屋の端くれ、そのくらい分かっている。どこから聞いてきたのか「水を600度くらいまで加熱して、そこにジルコニアが触媒として働き水が酸素と水素に分解される。分解された水素が酸素と反応して爆発した。この方法なら不純物のない水素を簡単に作れる。これで水素ができれば水素発電の実用化が楽になる。廃棄物は水だから環境問題にもならない。。。原発の水素爆発が水素生成の実験をしてくれたようなもんだ。。。」

 

技術的には危なっかしい人の話、話半分と思いつつちょっと調べてみた。と言っても機械屋くずれの制御屋、発電関係の知識も化学の知識もしれている。下記がどこまで合っているのか分からない。専門家の目には素人が何を根拠に言っているのかと思われるかもしれない。そうだろうなと思いつつ素人考えをまとめていったら何故という疑問にだけでなく、どうも何か訝しいものを感じる。ここは諸賢兄のご指導を頂戴するためにもと思いざっとまとめてみた。

 

知合いの話についてWebで調べたらおおよそ次のプロセスで水素爆発が起きた。

地震(と津波)で電力系設備が破壊され燃料棒冷却水の供給が絶たれた。燃料棒を封入していたジルコニウム合金製の燃料棒被覆管も破損した、むき出しになった燃料棒が高温になって水から水蒸気が発生した。ここで水は原子炉冷却用の純粋でも津波で流れ込んだ海水でもかまわない。燃料棒被覆管のジルコニウムが水蒸気から酸素を奪い水素が残る。大気のような酸素のあるところに水素が四パーセントも貯まれば水素爆発を起こす。

 

図書館で水素発電関係の入門書を借りてきた。数年前のことで記憶にあやふやなところがあるが、入門書はWebにある多くの情報や資料と同じ視点で書かれていた。まず、水素による発電施設より車載の燃料電池に重点があった。次に水素の原料は石油や天然ガスから生成する方法で福島で起きた水の分解による水素生成には触れていない。石油や天然ガスから生成すると硫黄などの不純物を取り除く改質が大変。不純物によって電極に使う白金が腐食される問題があると水素生成の技術的課題に多くのページがさかれていた。三つ目の視点が水素は燃焼してエネルギを取り出す従来からの方式にこだわりがあるのか、電子と水素イオンによる化学エネルギーから直接電気エネルギーに燃料電池本来の優位性の扱いが軽い?

 

注)ここでは水素発電と燃料電池発電を大雑把に同義語としている。

 

水素発電(燃料電池発電)については図書館で借りてきた入門書や他のWebサイトの資料より岩谷産業のサイトの記述の方が分かりやすい。岩谷産業のホームページのurlは下記の通り。ご覧頂ければと思う。

http://www.iwatani.co.jp/jpn/h2/battery/structure.html

行政も大手エンジニアリング会社も水素発電設備に力を入れて実用プラントの建設計画も加速しているだろうと想像して改めてWebで調べてちょっと驚いた。確かにプレーヤも増え実用化に向けて加速しているように見えるが、経済新聞のWeb版系に気になる記載があった。「。。。水素燃料だけで発電するタービンを世界で初めて実用化する。」なぜ水素発電設備でタービンを回す必要があるのか。岩谷産業のサイトをみれば、<従来の発電方法(火力発電所)と<燃料電池の発電方法>を分かりやすい図解で比較している。従来の発電方法を火力発電所としているが、燃料が石炭だろうが天然ガス、あるいは原子力だとしても発電プロセス-エネルギーの変換の点では何もかわらない。

燃料電池の発電方法の優位性は、発電プロセスの簡素化(高効率化)にある。従来の発電方式では三つのステージでエネルギー変換の損失が生じる。燃料の化学エネルギーを熱エネルギーに変換(水を沸かして水蒸気を作る)、熱エネルギーを運動エネルギーに変換(水蒸気で蒸気タービンを回転する)、運動エネルギーを電気エネルギーに変換(蒸気タービンの回転で発電機を回転する)。燃料電池では化学エネルギーから直接電気エネルギーをとり出すからこの三つのステージが要らない。ステージがないのだからエネルギー変換時の損失もない(効率がいい)。さらに設備が簡素化するので建設コストも保守コストも比較にならないほど低減できる。

 

もし、経済新聞のWeb版系の記事が正しければ、燃料電池発電といいながら電子と水素イオンによる直接エネルギー変換ではなく、従来の発電方法と同じ方式を採用していることになる。ただ燃料が天然ガスから水素に変わっただけでは水素発電の優位性が生きない。なぜ燃料に水素を用いながら従来からの発電方式なのか。発電方式の違いをろくに理解もせずに書かれた記事の問題であって欲しいが、

 

燃料電池の発電方式が実用化されればエネルギー交換の三つのステージが不要になる。不要になれば業界によっては発電関係の新規ビジネスがなくなり既存施設のメンテナンスだけになる。従来からの発電方式のユーザである電力会社は政策的に利益を保障されている。コストが上ったとしても利益は増えないにしても減ることはない。そのため電力会社にはコストを低減しなければというインセンティブは働かない(失礼、働き難いというべきか?)。コストプレッシャーをかけてくることのない(あるいは少ない)ユーザに従来からの発電方式を提供することで利益を上げてきた業界が、わざわざ失業しかねない、ビジネス規模を激減する技術開発をするか?否だろう。

 

いくら人智を結集しても原発の安全性を保障しえるとは考え難い。どのような安全策を講じたところで事故は必ず起こる。事故とは本来そういうものだろう。できることは、万が一のときにもできる限り損害も損失も最小限に抑える対策を講じるしかない。地震国日本では原発は危険に過ぎる。放射性物質の半減期は千年、万年の単位。もし、放射性物質で土壌が汚染されれば、できることは千年、万年待つか希釈するしかない。

 

市民団体が主張するように既存の原発の廃炉を進めれば電力会社は即債務超過か財務上非常に厳しい状況に置かれる。電力会社にとって脱原発とは死刑宣告に近い。今すぐ死刑になるよりは、いつ起きるか分からない万が一まで今まで通りでいたいと誰でも思う道理だろう。

 

太陽光発電が近い将来国家レベルの電力需要をまかなうところまで進化するとも思えない。そこまでゆきそうもないだろうから既存の発電方式に害も及ぼすこともない。それゆえ普及政策もとり易いのだろう。既得権益からの反発もなくとり易いというだけで国としてのエネルギー政策がなりたつわけもない。今こそ、原発も火力発電も置き換え得る発電方法として水素発電(燃料電池発電)を業界としてではなく、国家政策として推進する価値があると思うのだが、素人の浅薄な考えなのか。

 

 

 

*以下は、著者了解のもとに渡辺幸重(物理学者、元毎日新聞記者)氏に検討していただいた際に頂いたご意見です。これも著者の了解のもとに併記させていただきます。(ちきゅう座編集部)

 

水素発電ですが、いま実用化に向けてどういう段階なのかわからないのですが、議論としてはいいと思います。

一般的に、世間でも技術的な問題と政治経済的な問題が混在して議論されているようですが、

技術論や政治経済論、はては文明論まで関係してきそうなので、

それが整理されて議論が深まれば面白いかもしれません。

 

私は自然派なので、「できるのは水だけだから自然にやさしい」という発電にも、つい「いいのかな?」と思ってしまう方ですから、極端な考え方をしているかもしれませんが、

水を電気分解して水素を作り、それを水に戻して電気エネルギーを得るというのは効率的とは思えません。

そこにエネルギーロスが出るので、同じ場所でそれをやるとエネルギーを失うだけということになります。

したがって、現実的には政治経済的な問題になってしまうわけで、水素を安く作る技術を開発すること、あるいは水素を作るところ(たとえば、賃金が安いところや水素の原料が豊富なところ)と水素を使うところ(エネルギー消費量が多いところ)が別であることが必要になり、南北問題になってしまいます。

今回の原稿は、電力会社のモチベーションの話まで入ってきてしまっているので

「技術論」と「経済コスト」と「日本の現状(電力会社がやる気をなくすと困るのか)」をきちんと分けて話をしていただくと分かりやすいと思います。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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