原発・脱原発をめぐる議論を深めて行きたい

2011年11月23日 連帯・共同ニュース第191号 

<9条改憲阻止の会>

■  「経産省に対する民族派(新右翼)の面々の申し込み」が投げかけた波紋について前号で触れた。これについては街宣車でやってきて妨害する右翼とは逆のことであり、その行為を彼らのいう塩として受け取り歓迎すればいい。彼らがどんな政治理念を持っているかは関係がないし、さしあたっての共闘ということもない。僕らが脱原発を大同という立場で進めるという原則はどのような政治党派の立場も問わないが、個人の集合で進めるという原則を同時に持っているからだ。僕らは「脱原発が民主主義の問題」であると考えているが、これは自己決定という意志が原発の是非を決めて行くということである。沖縄の基地問題を沖縄の地域住民の自己決定でというのと同じである。この直接民主主義的な道は現在では諸個人の集合という形態をとるほかなく、従来の「統一戦線」とか「共闘」というのは原理が違うのである。政治理念に基づく政治組織《政党》間の共同行動という考えをとっていないし、「9条改憲阻止の会」はそのような政治集団的な構成をとつていない。また、それを否定するところから出発してきたのである。

■  あらゆる党派的関係を否定し大同につくという場合に諸々の困難があり、現実的に起こる矛盾を僕らは理解している。例えば、政治集団の持つ機能性や責任性が持ちにくいことであるが、それは自覚しつつ諸個人の力で克服するしかない。恣意的で自由な運動や組織はある面からみると弱点をはらむが、それを補ってあまりある力も発揮する。現在のような状態では恣意的で自由な力の重要性を尊重したい。これよりも一番大きな問題は運動の持つ視野の広がりや深まりをどうするかということがある。脱原発の運動には裾野広がること、国民的な意志が拡大することが何よりも必要であり、それが現在でも最重要な事であることはいうまでもない。歴史に参加する諸個人の意志が歴史を決定して行くということが僕らの目指していることであり、脱原発の実現もそれなしには不可能であることを知っている。これは直接民主主義の原理であるが、「原発いらない福島の女たち」や「原発いらない全国の女たち」の行動はそれを示してくれた。だが、同時に脱原発の運動が広がりと同時に集中を求めることも不可避なことである。これは原発推進の戦略や動向を明らかに脱原発の径路(道筋あるいは戦略的展望)を明瞭にすることだ。そして、また脱原発と社会的矛盾の解決を関係づけ、脱原発の認識を深いところに進めることだ。これを政党の機能に委ねない以上は議論の中で深めるしかない。これも重要な事だ。 (文責 三上治)