「ちきゅう座」の「交流の広場」(2月20日)に山下運蔵氏が2月19日の高円寺反原発市民デモに関する体験記を発表されている。そこに岩田昌征の「福島第一原発跡地を怨霊神社、鎮魂寺院にという発想」、私のアイデアが提示されていた。これについて文章を書いたことがことはなかったので、このチャンスに短い一文を記しておきたい。
福島第一原発の跡地をどう使うか。ドイツのある原発のように児童遊園地にするには残留放射能が高すぎよう。ここは大災厄の震源地であるが故に、古事記に登場しながら、あまり注目されない神々、「まがつ日の神(八十禍津日神と大禍津日神)」と「なおびの神(神直毘神と大直毘神)」を祭る神社にしたらよい。禍害をもたらす「まがつ日の神」を禍害を修復する「なおびの神」によって封じ込める原発神社を創建するのが筋目と言うものであろう。そんな事を所々で問わず語りをしていたのが山下氏の耳に入ったのであろう。部落文明の研究家川元祥一氏が様々の放射能の様々な半減期こそ古代人・中世人によって神々として崇められた自然存在・自然諸力(当時の人力によって統御不能なる自然)に対応する現代の神々であると言う思想を啓示している。まさしく、現代最高水準の科学技術によってさえ核災厄の最終的後始末を諸半減期なる神々にゆだねるしかないのである。半減期をつかさどる神々こそ「なおびの神」なのである。
福島原発の建設に際して、神主さん達は地鎮祭を挙行してその安全を神々に祈願していた。残念ながら、祈願の真剣度が天地に通ぜず、今日の大災厄に結果してしまったのであるから、かなり高放射能が残留する神域において四基の御神体の廃原子炉と四柱の御祭神の「まがつ日の神」、「なおびの神」を祭る責務が老神主さん達にあろうと言うものである。やがてかかる原発神社は、最新科学技術に挑戦する現場労働者、技能者、技術者、科学者が毎年おとずれ、謙虚に自分達と自然との関係を見つめる聖地となろう。
山下氏は「怨霊神社・鎮魂寺院」を原発に関連付けているが、私の元来の発想においては、そうではなく、広島原爆に結び付いていた。「怨霊」や「鎮魂」と言うと、死霊をイメージしやすい。しかしながら福島の場合、生霊、すなわち原発災厄で故郷と生業を奪われた民衆のよろずの生霊が六条のみやす所の嫉妬と言う優雅な怨みを億兆倍する怨みをいだき、鎮めを待ち死にせんとしている。これは原発神社の創建で解決できる問題ではない。日本社会の政治の生命力が問われている政治経済的課題である。
私が「怨霊神社・鎮魂神社」の想念を得たのは、数十年前広島大学で開かれたある学会に出席した折、はじめて広島の原爆広場を訪れて、それがあまりにも市民社会的に明朗な秩序空間として出現しているのを体験していささかの異和を感じてしまったことによる。市民が表にでているが、怨霊が黙殺されている。そんな感じであった。一瞬に大量蒸発した常民達・凡人達の肉体から遊離した死霊に場所が与えられていない。爆心地を中心に東西の様々な宗教がおもいおもいに諸施設(神社、寺院、霊廟、教会等)を建て、それぞれがおもいおもいに鎮魂の祭りや抗議の儀式や贖罪の祈りをくりひろげる。そんな場所になってもよかったのでは!当時は広島大学教授、今は慶応大学名誉教授の同学K氏にそう語った覚えがある。社会主義者の岩田が妙なことを言う位に受けとられたようである。
上野東照宮の宮司は私と同じように考えられたのかも知れない。意外にも東照宮の境内に広島の火が分け移され、今も大切に保持されともり続けている。それを発見して以来、初詣でには、地元の代田八幡から明治神宮へ、そして遠いが足をのばして上野東照宮まで行く。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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