バフチンの云う如くドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は究極の対話文学であろう。吉本隆明にとってドストエフスキーは手に余る存在だった。ドストエフスキーにあって吉本に徹底的に欠けていたものは何であったか。吉本隆明の致命的な欠陥、それは一言でもっていえば対話の精神の欠如である。
吉本は本質的にモノローグ作家であった。「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想 によって ぼくは廃人であるそうだ」。かってこのような表白に私は魅せられたし今もその孤独の場所に無縁ではない。しかし同時にこうも思う。ドストエフスキーの天体に比べてなんと貧弱な世界であることか。
「人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある」(吉本隆明「マチウ書試論」)
「関係の絶対性」というような最低最悪の概念に影響を受けた多くのインテリ達がいる。彼らはバフチンを求めずドストエフスキーから遠ざかった。「神はあるか、ないか」という問いは彼らに無縁であった。吉本信者達はイワンやアリョーシャに何のリアリティも感じなかった。対話の精神を彼らは追放した。
「関係の絶対性」という概念の貧弱であるであることは吉本自身によっても気づかれていた。「関係の絶対性」は対幻想の領域の発見により、個的幻想・共同幻想との三層による全幻想領域の形に置き換えられる。しかし発端の貧しさはその後どのように取り繕うとも覆いえなかった。吉本は彼の宿命を生きた。
多様な声を聴き取ってその声への応答の内容そのものが思想となり文学となる。それは稀有の事態でありほとんど奇跡である。そのようなことが可能になるには、まず第一にずば抜けた才能が必要であるし、時代的な背景や環境条件も必要である。ユーラシアの地図を広げて対話の精神の高峰を辿ってみよう。
古代ギリシャ。ソクラテスが現れて美青年アルキビアデスと対話を始める。ギリシャから東へ。『アラビアンナイト』の世界。これも対話文学である。さらに東へ。ギリシャ哲学と仏教思想の対話が行われた。『ミリンダ王の問い』はその記録。『法華経』もまた壮大な対話の記録に他ならない。中国・朝鮮を経て日本へ。
『源氏物語』は歌を贈り歌を返す男女による歌の応答が物語の核心にある。紫式部の傑出した天才と、時代的な背景や環境条件が相まって、『源氏物語』はインド・中国・朝鮮の文化を摂取し咀嚼した汎世界的文学として屹立した。既に日本人は平安朝にその美的対話精神を世界に差し出していたのである。
時代は下って、芭蕉の出現。連句は文字通り対話文芸である。前句と付句は別人による一つの詩句の産出である。俳諧の発句に切字があるのは、発句は前句を欠くからだ。一句の中に対話性を導入する工夫である。「行く春を近江の人と惜しみけり」芭蕉。この「と」の一文字に対話性の核心が秘められていた。
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