はじめてお会いして自己紹介しようにも名刺がないと、名前を言うだけの簡単な自己紹介ですら手間をくう。名刺を頂戴しても、差し出す名刺がないと、なんともばつが悪い。たかが名刺、そんなものと思ってはいても、世間一般の常識の欠片が残っているということなのだろう、ないとどうにも格好がつかない。だからどうした、そんなことかまやしないじゃないかと言い切れない自分が情けない。
名刺がないというだけで、ソシアルドロップアウトのような感じがする。自分で思うだけならまだしも、相手は自分以上にそう思っているように見える。名刺なんかでどうこういう人間じゃないんだ、と意地なんかはったところで、人様には面倒をかけるだけだし、あったほうが便利なんだから、持ちゃいいじゃないかと思わないわけでもない。
それでも名刺は持ちたくない。会社勤めをしていたとき、社名に続けて姓をいって名刺を差し出した。仕事での出会い、そんなこと気にしてどうするんだとは思ったが、年もとって転職を重ねて、そのたびに違う会社の名刺を出しながら、会社あっての自分のような、会社がなければ自分がないということのような気がしてならなかった。還暦過ぎてちょっと早いかなとも思ったが、会社人を辞めてやっと巷の自由人になれたのに、勤めていたときと同じような感じで名刺をという気にはなれない。
名刺屋に頼んだところでいくらでもないが、そんなものフリーソフトとプリンタがあれば簡単に作れる。遊び半分で作ってはみたが、間が抜けたものしかできない。まさか映画「Oh, God!」にでてくる神が差し出す名刺でもあるまし、氏名だけというわけにもいかない。神の名刺には三文字、「God」とだけ印刷されていたが、同じように三文字で「藤澤 豊」とでしてみるかとも思ったが、そんな冗談のような名刺、作ったところで使えやしない。
それなりの体裁をと思えば氏名だけというわけにもいかない。携帯電話の番号まではいいとしても、住所やメールアドレスはどうしたものかと考える。住所がわかれば、Googleマップで簡単に住んでいるところの写真まで見れる。個人情報云々と固いことを言う気はないが、そこまで私生活の、たとえ一端にしてもさらす気にはなれない。
メールアドレスぐらいはと思っても、数年前からネット詐欺のメールが入りだして、一時期は日に数百通を越えていた。自動的に「迷惑メール」ボックスに振り分けられるにしても、うっとうしいことに変わりはない。名刺に書いても迷惑メールが増えるようなことはありえないと思いながらも、どうしてもためらいがある。
固定電話はもう使うこともないからと引っ越したときに契約しなかった。こうして考えてくると、名刺に書けるのは氏名と携帯電話ぐらいになってしまう。二行しかないしスペースはあるからと、文字を大きくするにも限度がある。いくらレイアウトを工夫しても、名刺らしい名刺にはならない。そんな名刺を差し出したら、いったいどういう人なのかと思われるのが関の山だろう。
ここまでは名刺を持ちたくないという理由なのだが、そんな理由より、持たないことの効用――自制のほうが大きい。名刺を持っていないと、人にアプローチするのをためらう。ネットで見つけて学習会やセミナーに出かける。ときには途中で帰ってしまうこともあるが、できるだけ懇親会まで出て、いろいろな人たちの話を聞くようにしている。
自分とは違った世界で違う経験をされてきた方々の視点から話、感動するようなことはないにしても、思いもよらない発見もあるかもしれないという期待がある。ただ、それはこっちの都合で、相手にとっては何も得るところのない面倒なオヤジでしかない可能性の方が高い。
自己紹介までしてより、集団に混じって話を聞いていたほうが無難だろう。名刺をもっていないことが自制の助けになる。
学習会やセミナーを開催した組織の一員でもなし、せっかくの機会を逃したら、もうお会いすることもないかもしれない。質疑応答のときに、どうしても確認したいことやお聞きしたいことがあれば、聞いておかなければと思う。そのときの印象が残っているのだろうが、懇親会でアプローチされることがある。挨拶早々、名刺を出されて、ありがたく頂戴するが、差し出す名刺がない。申し訳ございません。名刺がないんでと恥ずかしながらの顔をする。口頭で氏名をお伝えしただけではと思って、ノートを破ってか、持ち歩いている七・五センチ四方のポストイットに氏名とメールアドレスを書いて、こんな人間なんですがとたあいのないことをいって、その場を取り繕う。
多少自己紹介しなければと思ったときは、日米欧の会社を渡り歩いてきたもので、元は純粋な機械屋だったんですけど、といいながら、インターネットで藤澤豊をサーチすれば、一ページ目の上の方にでてきます。サワは古い漢字で、さんずいに四の幸せで、ユタカは豊臣のトヨです。藤澤豊|ちきゅう座がでてきますから、それをクリックしていただければ、投稿した雑文ができてきます。短いものですから、一つ二つご覧いただければ、どんな人間か想像がつくと思います、と自己紹介する。
酒の入った席とはいえ、挨拶にこられて名刺まで頂戴して、あれこれお話をお伺いしたからには、名刺を持っていないものの負い目のようなものもあって、翌日か翌々日にはできるだけ丁寧な御礼のメールを送るようにしている。口頭だけの自己紹介を補うこともあって、簡単な自己紹介も書いて、お伝えした投稿のurlも書き添えておく。
礼儀としてのことでしかない。返信を期待しているわけではないが、懇親会の席でアクセスしてきたのは先方で、こちらはあくまでも受身で抑えていた。
この数年間で二十数人だと思う。返信メールを下さったのは経済アナリストのK氏お一人だけだった。返信メールを頂戴したときには、返信のお手数をおかけしてしまって申し訳ないという気持ちと、こんなものでも相手にしてくださったことへの感謝の気持ちでいっぱいだった。
ここで、名刺を持っていたらと思うことがないわけではないが、そんなもの何の関係もないだろう。たかが数センチの紙切れ一枚、何がわかるわけでもないだろうし、そんなものでどうのこうのなら、どうのこうのでいいじゃないかと思う。
過度に積極的にならないように自制するためにも、失礼を承知で名刺は持たないことにしている。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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