君知るやこの経産省には原再稼働構想の秘されてあるを

2011年10月24日 連帯・共同ニュース第175号 

9条改憲阻止の会

■ 「それぞれの土から 陽炎(かげろう)のように ふっと匂い立った旋律がある」(茨木のり子)。日ごとに秋の深まる気配のする中で僕は毎日経産省前のテントに詰めかけている。ここへ向かう、あるいはここから帰る地下鉄の中で、時折、匂い立った旋律のあるものが欲しいなぁと思う事がある。それは脱原発に存在そのものから対する声であり歌である。僕らの生活から、生存から出てくるものにほかならない。かなり、長い時間と執着心を要することが不可避な様相になってきた脱原発の運動だがそこに必要なのはこれだろう、と思う。多分、この週末に登場する「女性たち」の経産省前座り込み闘争はそれを受感させるものである。「原発いらない福島の女たち」(10月27日~29日)、「原発いらない全国の女たち」(10月30日~11月5日)。経産省前で展開される女性たちの行動は脱原発の運動に間違いなく新たなイメージをもたらすだろう。

■ 霞ヶ関の官僚たちは再び政治家や政党を籠絡して行く自信を取り戻している。政権交代での失地を取り戻し、何の構想も展望もない永田町の政治家たちをそそのかし普天間基地移設やTPP参加や原発再稼働に動き出している。彼らの戦略はしたたかである。彼らの背後にはアメリカがあるのだろうが、その戦略は狡猾で待つ時や引くことも心得ている。彼らは武力ではなく、金力を最大限に駆使して行く道も知っている。だが、同時に焦りもあるはずだ。その最大のものは国民の声や意向をつかみきれていない事だ。国会もメディアも少しずつであるが彼らとズレも生み出してきている。現在から未来の日本社会のビジョンは誰も提起しえぬ、混沌とした中にあるが、その中で僕らはこれを国民の声や歌として紡ぎださねばならない。原発をめぐる問題はそれが試されている。原発はエネルギー政策の是非の問題であるが、同時に現在から未来の日本社会のビジョンの問題である。原発推進派は戦後の高度成長社会の幻影があり、再びそれの訪れることを夢見ている。脱原発派は脱高度成長社会をめざす。地域や地方や小さな共同体などのように忘れられ解体されてきたものの再生を含めた社会を構想する。それぞれの土から陽炎のように匂い立つエネルギーが湧きでる社会である。脱原発の向こうに描かれる日本社会はその匂いを取り戻した豊かなものだ。これこそが官僚たちのビジョンと対峙するものだ。女性たちが中心の行動にはそのビジョンがあると思う。生活の、日常の場から出てくる行動が持つイメージとして。週末に向けて経産省前テントは臨戦態勢に入った。どんな風でもよい。参加を!(文責 三上治)