吹き溜まりに擦れっ枯らし

若いころオーディオシステムの構築に熱中していた時期があった。CDがでてくるなど想像もつかない、LPレコード全盛時のオーディオシステム。構成要素-特にカートリッジとスピーカによっていくらでも音が変わってしまう。今になって思えばこれほど馬鹿な話しもない。そもそも、何が本物の音かも分からずに本物に限りなく近い再生音をというのだから終わりなどあろうはずもない。レコードプレヤーにしてもアンプにしてもスピーカシステムも、どれもこれも一つひとつ組み上げっていった。あれを換えて、これを足して、こっちを換えて、その度に音の違いに戸惑う。はっきりこれは好みではないというのならまだいいのだが、これとあれの違いははっきりしてもどっちがいいの悪いのではないから困る。原音にどっちが近いのかという分かったような分からない話。たかが十五畳程度の広さのスピーカールーム、家庭で原音に近い再生音が得られたとして、それを聴いていいと思えるのかどうかも分からない。

 

そんなことをしていれば当然秋葉原に足繁く通うことになる。何度か行っているうちに、本音はただの営業トークに過ぎなかったろうが、親身になって相談に乗ってくれる(ように見える)、自身もオーディオマニアだという同い年のある店長と親しくなった。頻繁に行ったとしても居酒屋とは違う。来る度に売上になるわけではない。たいして金になる仕事ではなかったので、ひと動きすれば月収の数分の一、ときには数カ月分がとぶ。どのみちやらせででしないのに、なんか自分が感じているのと近いことを言っている評論家諸氏の言を真に受けて、今度はこいつを使ってみようかなどと思い立っては、相談に行く。

 

とんでもないマニアはいくらもいただろうから、ああだのこうだの煩いだけで大した金にもならないのがしょっちゅう遊びに来る、迷惑な客だったと思う。それをイヤな顔一つせずにいつも相手してくれた。翻訳屋だったから時間は自由。昼前の早い時間に行ったこともあるし、午後早い時間、遅い時間、夕方、いつ行っても店頭で呼びこみをしていた。なんとか店の売上をと必死の思いが伝わってくる。個々の客の相手は部下の店員に任せて、店長自ら粗品を幾つか手にして道行く人に声をかけ、立ち止まってもらえれば粗品を渡して、ちょっと見ていってくださいよと、押し付けがましくもなく嫌味にならない、上手な軽い掛け声で呼びこみをしていた。その姿を見るたびにエネルギーレベルに圧倒された。翻訳屋などという職業、付き合いもあるし、お互いに助け合いもするが、本質的に一匹狼。リーダもなければフォロアーもない。みんな同列。そんな世界の者の目には、陣頭指揮とはこういうものなのかと感動に近いものがあった。ときには彼の元気をもらいにいったことすらある。

 

ちょうど休みをとっていい時間だったのだろう。自動販売機で缶コーヒーを買って、ベンチに座ってオーディド談義。でも、直ぐに世間話になる。家族のこと、学校のこと、家電業界のこと、秋葉原の。。。話題はつきない。そこには店頭を離れ、人の目につかいないところでほっとした、肩の力の抜けた彼がいた。疲労は隠しきれない。傷んだ喉にしゃがれた声で、「自嘲気味に、アキバってところは男の吹き溜まり、女店員は擦れっ枯らし、フツーのヤツはいない。競争は激しいいし、いつなにが起きてもおかしかない。オレのように学校を出てないのが本社に上がるのはまずない。走れるうちが花、走れるだけ走るしかしようがない。」

 

それを聞いて、「おいおい、それを言ったらこっちはどうなるんだ。そっちはそれでも会社員だろう。こっちは多くが会社員が務まらなかったソシアル・ドロップ・アウトだ。バラバラで本質的に個人主義。いつ仕事が切れるか分からない。今持ってるのが終わったら次はないかもしれない。先が見えないなかで、もともとバラバラだからこそかもしれないけど、お互いに結構気にしてみんな助けあってる。貧乏な下町の方が情があるってのと似てる。」

 

彼には、会う度に感心させられた。努力の人だった。仕事熱心というより、燃焼願望でもあるんじゃないか、ある意味病気じゃないかとすら思えた。いつ倒れるかと心配だった。一年ちょっと経った頃秋葉原の支店からいなくなった。もしかしてとイヤな予感があったが勇気をだして店員に聞いた。「xxx統括でしたら、今は荻窪店に行かれてます。」と、ある意味期待を裏切る丁寧な答え。彼の教育なの賜物なのか。一店舗の店長から数店舗を統括する立場に出世していた。当然だろう。あれほど頑張って何もないってのはない。なんだか半分自分のことのように嬉しかった。

 

そくさくと、荻窪に行ったら、店の入り口にチェーンのDPE屋。そのすぐ横で粗品を手に通りかかる人に声をかけていた。わざわざ秋葉原から回ってきれくれたのかということで、ちょっと一休み。また缶コーヒーを買って、店から離れたころで立ち話。「店への人の入りが良くないので、DPE屋を表に持ってきた。でも、この店は苦しい。今年いっぱいで閉めるしかないと思う。」あいも変わらず全力疾走で疲れていた。荻窪で秋葉原で聞いたのと似たようなことをボソリと。「店舗だけはあちこち出して、ちっとは知られた量販店だけど、ただの量販店、食いあぐんだのが集まる吹き溜まり、男も女も擦れっ枯らし。」燃焼願望を通りすぎて、もう病気に近い。疲れきっていた。店員にも、ましてや客には見せられない疲弊、その疲弊からでてくる自嘲。客というより弱音を言える知り合いとして会っててくれたのだと思う。聞いたことがどこまで事実かは知らない。知るすべもないし、知りたいとも思わない。ただ、聞いたことは真正面から受けなきゃならない重さがあった。

 

毎日毎日、毎月毎月、売上と経費。。。経営の末端に、現場の先頭で全力疾走してるから苦しい。現場の実情などにはたいして感心のない上からはノルマが、売上や損益などより待遇や自分の都合を優先する店員。どっちもその立場として当然の感心事。その感心事と感心事の間でもがき続ける。もがき続ける小社会が何かを残す機会を提供するわけでもない。

 

人の出入りも激しかったろうし、誰もいつまでもいるとも思っていないから、その日その日、今日という一日が終わればそれでいい。明日は明日でなんとか、なんとでもなる今日と何も変わらないはずの明日。薄い、刹那的な人間関係、なにが良くなるとも思えない明日。時間の経過とともにますまず傷んでゆく組織と人。吹き溜まりと擦れっ枯らし。聞けば聞くほど、なんとも答えようがない。言えたのは、それでも翻訳屋よりいいんじゃないか。こっちは元々組織なんかろくにありゃしない。みんな自分の事しか考えることのない人たちの集まり、ソシアルド・ロップ・アウト、烏合の衆より衆じゃない。

 

組織がない社会ならいざしらず、機能するには組織が必須のところで組織が傷めば、人も傷む。ちゃんと機能していた組織やその組織を構成していた人たちですら、環境の変化や経営の悪化で驚くほど短時間のうちに組織は吹き溜まりに、そこに集まる人は擦れっ枯らしの集団になってしまう。造るのは大変だが壊すのはわけない。無能なトップが一人いればいい。そこに集まってくる人たちもそういう人たちになってゆく。そういう人たちしか集まらなくなって、悪循環が始まる。悪循環は簡単に始まるが、一度始まった悪循環を止めるのは難しい。

 

スラム化した吹き溜まりにどこにも行けない、行きようのない擦れっ枯らしが群れる。一度悪循環に陥ってスラム化すると、しっかりしたビジョンを持った余程の知的腕力のある人でも立て直しは難しい。難しいと言う前に、そこまで傷んだところに、それほどの人材がくる理由はあるのかという疑問すら出てくる。

 

当時は気をつけてみなければ痛んだ組織と人たちが見えなかった。見えるところにいなかっただけで、いまは見えるところにいるだけだとは思えない。あまりにあちこちが痛んでいて、特段の何の努力をしなくても見えてしまう。そこまで痛んでしまった社会、悪循環を断ち切ることなど可能なのだろうか。

 

視野から“社会”が欠落して悪循環を断ち切るなど考えることもなくなってしまった人たちが、痛んでいない-益々小さくなって行くようにしか見えないところに身をおくことだけに汲々としているように見える。そこから次の価値ある社会が生まれるとも思えない。「美しい国」-ただの擦れっ枯らしのイメージ戦略?から出てきた言葉にひっかかっているほど暇じゃない。せめて控えめに『誇れる国』でありたい。

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集