月刊『社会民主』2019年10月号に記事を載せてもらいました。許可を得て、ここに転載します。
頭をもたげる植民地主義
朝鮮の「3・1独立運動」100周年である2019年。この重要な節目の年、まさかこの国で、朝鮮民主主義人民共和国だけではなく、大韓民国に対しても、ここまでのヘイトが吹き荒れるとは思っていなかった。
もともと安倍晋三首相は、1993年に衆議院議員として初当選したときから、自民党内で日本の侵略戦争の否定、日本軍「慰安婦」や「南京大虐殺」の歴史を攻撃する勢力の急先鋒(せんぽう)に立ってきた。その安倍氏が2006、07年に続き、12年末以来通算8年間にわたり首相を務めているのだから、今の状況は当然の帰着なのかもしれない。その安倍政権下での「慰安婦」の歴史わい曲や否定は、メディアを通じて国内の一般社会にも広がった。それが今や「強制動員」の否定にも及び、ヘイトスピーチは頻発し、右派は「歴史戦」と称して海外にまで歴史修正主義をばらまくようになった。
15年末には、親日的な朴槿恵政権と安倍政権が、被害者を関与させないまま、正式文書もなしの外相会談という形で日本軍「慰安婦」問題の「最終的決着」を図る。そして昨年10月30日、植民地支配下で奴隷的労働を強いた加害企業に対して被害者への賠償を命じる韓国大法院判決が出されて以来、三権分立への介入はおろか、結界が壊れたかのように、政権主導の対韓嫌がらせが歴史認識の領域の外にまで拡大していった。Kポップスターを「反日」と攻撃し、遭難救助活動をしていた韓国海軍船が海自機にレーダー照射したとして執拗(しつよう)に批判し、日本の原発事故に起因する食品輸入規制を行なう多数の国のうち韓国だけをことさら非難するといった内容が日本のマスコミを支配する。今年になって、先述の3・1独立運動の100周年を迎えるにあたっては、共に記憶するどころか、外務省が在韓日本人や旅行者に「注意喚起」するという、植民地支配の加害国にあるまじき行為に及んだ。
6月末に安倍首相はG20サミットのホストとして自らをアピールしたが、そこでは文在寅大統領の会談の要望を拒絶し、国際舞台で無視するという非礼までやってのけた。文大統領はよく我慢したと思う。しかしその直後、6月30日に板門店で電撃米朝会談が開かれ、軍事境界線で抱き合いほほ笑む米朝韓の3首脳の姿が世界を駆け巡った。
この時、事前に知らされることもなくスポットライトを奪われた安倍首相は、「逆ギレ」したのかもしれない。翌7月1日、日本政府は「半導体3材料の輸出優遇措置から韓国除外」という実質的な経済制裁を発表した。これを受けて韓国で日本製品不買運動が起きたこともあり、さすがの安倍首相も、同月19日の参議院選挙後は刀をさやに戻すのではないかと思った。しかし予想に反し、安倍政権は8月2日、韓国を「ホワイト国」(輸出優遇国)から外すという閣議決定を行ない、同月28日に施行した。
8月のこの時期は、朝鮮半島の人々にとって1910年の強制併合を記憶する時期であり、8月29日は「韓国併合ニ関スル条約」が公布された「国恥日」である。先述の「3・1独立運動の100周年」と同様、このような痛みを伴う記念日に、植民地支配を行なった国が歴史の傷に塩を塗るような行為を行なう。韓国の人は「ノー安倍」というスローガンで、日本の政府と市民を分けて扱っているが、8月中旬の共同通信の世論調査によると、日本では68%が「ホワイト国外し」を支持している。大衆は政権とメディアに引きずられるだけではなく、敗戦後も克服してこなかった朝鮮半島の人々への植民地主義がむくむくと頭をもたげてきているように見える。これが今の日本の姿なのだ。
釜山「日帝強制動員歴史館」を見る
7月下旬、釜山に行ったとき、すでに不買運動は盛り上がりを見せており、特に現地で会話した若者たちは口をそろえて「参加している」と言っていた。これを批判する人もいるが、ふだん海外にいる私から見たら、世界ではもう標準化している韓国車を見かけないこと一つ取っても、日本はすでに事実上の韓国製品不買運動が定着しているかのような国だ。そもそも日本が韓国のものを買うよりずっと、韓国の方が日本のものを買っていた。今回、韓国の基幹産業である半導体製造に必要な3材料の輸出優遇撤廃は、韓国の人たちの心に火をつけたように見える。7月22日には、大学生6人が釜山の日本領事館で抗議行動を起こし逮捕されるという事件が大きく報道されていた。釜山領事館横の歩道には、日本軍「慰安婦」を記憶する「少女像」が置かれており、領事館近くの公園にある「徴用工像」と同様、領事館の方を向き、静かに事の成り行きを見守っているように見えた。
釜山には、50億円以上の事業費をかけて15年にオープンした、「国立日帝強制動員歴史館」(以下、歴史館)がある。「植民地期に動員された人の22%が慶尚道の出身であり、そのほとんどが釜山港を経て国外に動員された」歴史性(館のパンフより)を勘案して釜山に造ることにしたという。この資料館では「強制動員」を、「日本帝国がアジア太平洋戦争を行なうために人間と、物資と、金融資源を完全な支配下に置いた」ことと定義し、「1937年の日中戦争の勃発以降、日本は『国家総動員法』を制定し、本格的に朝鮮人に対する強制動員を実施」したと説明している。強制動員はアジア太平洋で日本が支配していた全域で行なわれ、それは朝鮮半島(650万人以上、約8000ヵ所の炭鉱、鉱山の土木工事など)、日本(約100万人、3900ヵ所以上)、中国本土、台湾、東南アジア、南洋群島、サハリンおよび千島列島に及んだ。
歴史館の統計によると、労務動員が755万4764人、軍務員動員が6万3312人、軍人動員が20万9279人の合計782万7355人であり、これに日本軍「慰安婦」を加えるとさらに高い数字となる。当時の朝鮮の人口が2000万人くらいだったことを考えると、3人に1人かそれ以上、動員されていたということになり、朝鮮半島の人々や在日朝鮮人の人々は、身内や親戚が強制動員されてない人はいないと言っても過言ではなかろう。それだけに、この人権問題に対して経済制裁で報復した安倍首相の行為は、朝鮮半島の人々にとっては民族全体に対する攻撃と映ってもおかしくないことと思う。
被害側だけではない。歴史館では、強制動員を利用して成長し、今も健在である日本企業約300社の実名を紹介しており、三菱、三井、住友系列をはじめ名だたる大企業が名を連ねる。「解放」後分断され、300万人以上の朝鮮人が命を落としたと言われる朝鮮戦争からも、日本経済は「特需」と称して成長のきっかけをつかんだ。企業リストには、私の父が勤めた会社の名もあった。強制動員に直接の責任はない私も、朝鮮半島の人々の命と尊厳を踏み台に成長した日本経済から恩恵を受けているのである。
歴史館でボランティアをしていた高校1年生のムン・ヒョンウさんに「不買運動に参加していますか」と聞いたら、「はい。学校のウェブサイトで案内しており、参加しています」と答えた。「私は日本が日帝統治時代について謝罪をせず自らの歴史をわい曲し、それを反省もせず、さらに経済報復までするのは間違っていると思います」とムンさんは語った。
この旅では、釜山からバスで2時間ほどの、広島原爆の被爆者が多い陜川(ハプチョン)も訪ねたが、そこでは被爆2世の映像を作るために訪れていた2人の若者と知り合い、その後も「カカオトーク」(LINEのようなSNS)で交流するようになった。大卒後就職活動中のキム・ミネさんは、今の状況について、「日本政府の一方的な輸出規制や、日本メディアで有名人が韓国に失礼な言動をしたり、根拠のない歴史わい曲をすることが、不買運動をより大きくしていると思う」と語った。アニメなど日本文化に親しんでいるというキムさんは、「この運動は、反日本ではなく、反安倍政権の動きです」と強調する。
ビジュアル・アーティストのファン・ラギョムさんは、「韓国の場合、日本に対する感情がより一層高まる背景には、韓国の歴史の中で親日派に対する清算が終わっていないことがあるようです。親日派の行動は過去も現在も全く同じであり、彼らに対する否定的な感情と、彼らをつくり出した日本に対する感情が加わっているような気もします」という。朝鮮半島で言う「親日派」とは、日本の植民地支配におもねって利益を得た人たちや、今でもその系統を引き継ぐ人たちを指す。日本人は昔も今も、植民地支配を正当化するためにその人たちを利用してきた。植民地時代の分断統治の傷跡は今でも残っているのだ。
韓国で話を聞いた人たちに共通するのは、解決には「両国の市民が歴史を共有すること」が必要だという意見である。私は、韓国の人がこれを言うときは、「日本人が朝鮮植民地支配の歴史を知らなすぎるから、もっと勉強してほしい」という意味だと受け取っている。豊臣秀吉の朝鮮侵攻から、日本開国以降段階的に進んだ植民地支配、そして1945年の「解放」後の分断、朝鮮戦争を経て、戦後も続く植民地主義や、在日朝鮮人が置かれてきた状況について、自分を含め日本人は知らなすぎる。
朝鮮民主主義人民共和国で出会った人々
その上、日本人は、歴史的良心を持とうとしている人さえ、朝鮮半島の南半分にしか意識が行っていない人が多いと思う。この夏、初めて朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)を訪れ、実感した。この国は、日本では韓国以上に歴史性から切り離され、メディアで「核・ミサイルで挑発する独裁国家」として喧伝(けんでん)されてきた。この国に対し、日本は米国と一体化し、圧倒的な軍事力の差で威嚇し、戦争のリハーサルである合同演習を行ない、準戦争行為である経済制裁を行なってきた。
実際に行ってみれば当たり前であるが、普通の人たちが働き、学校に行き、休日は遊び、行事を祝い、家族を大事し、よき市民であろうとする国であった。地下鉄に乗れば、自分はそれほどの歳でもないが、中学生がすぐさっと立って席を譲ってくれた。朝鮮の人と友だちになり、共にご飯を食べ、歴史について語り合った。
昨年の平昌オリンピック以来、戦争終結と地域の非核化への努力が続いている中でも、日本は一貫して朝鮮敵視を緩めず、朝鮮学校を教育無償化制度や補助金から排除し、独自制裁と称して、朝鮮にルーツを持つ人々が朝鮮から持ち帰る土産まで取り上げるという、いじめとしか言えない政策を断行してきている。そこに植民地支配の反省や分断への責任感といったものはかけらもない。
何よりも、南側の国は国名で呼びながら、かたや正式な国名ではなく、その国の人も在日朝鮮人も多くが拒否している「北朝鮮」という蔑称を政府もメディアも大半の一般市民も使い続けていることに、日本におけるこの国への憎悪の根深さが感じ取れる。
言わずもがな、現在韓国との間で抱えている植民地支配に起因する課題は、そのまま朝鮮との間でも未解決だ。朝鮮にも、強制動員、日本軍「慰安婦」、広島・長崎原爆の被害者がおり、文化財収奪の問題もあり、真相究明や補償の動きは南側に対して以上に遅れている。安倍首相が韓国の「徴用工」や「慰安婦」の問題に向き合うとき、その先に朝鮮との国交回復や、2002年の「日朝平壌宣言」で約束された植民地支配の「清算」が念頭にないはずはないが、一連の韓国への無責任な接し方を見れば、朝鮮に対してどのようなメッセージを送っているかは想像に難くない。
日本ではとりわけ大きな比重で報道されてきた「拉致問題」にしても、安倍政権は、これの「解決」がすべてに優先する絶対条件であるかのように扱い、朝鮮半島和平を事実上妨害するための道具のように使ってきた。拉致問題は深刻な人権侵害であるが、南北朝鮮間でも拉致問題は双方向で存在し、日本だけではない。これは、「強制動員」や「慰安婦」など、日朝間に横たわる人権問題全体の中で取り扱うべき問題だ。
日本人の中には、「戦時の問題と、“平時”に起きた拉致問題を一緒にするな」と言う声もあるが、分断された朝鮮半島においては、日本人が「戦後」と呼ぶ74年間を通して、一瞬たりとも「平時」などなかった。朝鮮でのガイドを務めてくれた27歳の青年、キム・クヮングクさんが最後の日にぽつりと言った、「世界でも、一つの民族が分断されているのは朝鮮半島だけではないでしょうか」という言葉が脳裏に張り付いている。1000万といわれる離散家族について、「もし自分だったら」と思いをはせる力があれば、終戦の機運を逃さず一刻も早く分断解消を、と誰もが思うであろう。
安倍政権の韓国敵視は「朝鮮半島和平」の妨害
安倍首相の一連の韓国敵視政策の本質は何か。私が思うに、「朝鮮半島和平に対する究極の妨害」である。6月30日の板門店での米朝韓会合を成功させた文在寅大統領は、一夜明けたら日本によるまさかの経済報復に対処する日々となり、この問題に多大な時間とエネルギーを費やさざるを得なくなった。両国のマスコミや大衆の関心も「日韓問題」に集中し、安倍首相の「妨害」は見事功を奏してしまったのである。そして、日本が韓国を輸出管理を優遇する「ホワイト国」から外したことに対して韓国が取った措置は「GSOMIA(軍事情報包括保護協定)終了」であった。これが何を意味するのか。右から左まで冷戦マインドの日本メディアは横並びで「中朝露を利するだけ」、「金正恩委員長の高笑いが聞こえる」といった悪意あふれる評論をしたが、あえて問いたい。
朝鮮を「利した」として何が悪いのか。朝鮮戦争の終結、南北の融和、すなわち朝鮮半島の脱植民地化=独立こそが、文大統領と金委員長が「板門店宣言」「平壌共同宣言」に込めたコミットメントである。逆に言えばそれを否定する者は全て、朝鮮半島の永久の分断と戦争の継続を望む者ということになる。GSOMIA終了は、きっかけは日本の経済制裁であったが、これが北東アジアにおける冷戦構造からの脱却と平和につながるのであれば、むしろ肯定的に捉えられるものなのではないか。
このGSOMIA終了とは、安倍首相による「朝鮮は永遠に分断して戦争しておれ」という旧植民者の悪意の仕掛けに対する文大統領の明確な「NO」のメッセージではないのか。もう分断はされない。もう植民地主義は許さない。朝鮮半島のことは朝鮮人が決める、という強い民族自決権の表明とも取れる。これに真摯(しんし)に向き合い、推進こそすれ妨害しないことが、長く残酷な植民地支配を行なった日本によるせめてもの貢献となるのではなかろうか。交流のある、ソウルの民族問題研究所の金英丸(キム・ヨンファン)対外協力室長は、先日、私信で書いていた。「日本人が南北朝鮮に対する認識を変えるのが、植民地主義の克服のカギであることを実感しています」。朝鮮半島への向き合い方で南北の差別をすること自体が、乗り越えるべき植民地主義なのではなかろうか。
■のりまつ・さとこ オンライン英語ジャーナル「アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス」(apjjf.org)エディター。編著『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』(法律文化社、13年)など。
初出:「ピースフィロソフィー」2019.10.20より許可を得て転載:(『社会民主』10月号より転載)
http://peacephilosophy.blogspot.com/2019/10/blog-post_20.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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