和食が世界文化遺産に

ニュースを聞いて驚いた。嬉しさもなければ誇らしいという気持ちもなかった。多少の恥ずかしさとかなりの情けなさが混ざり合った驚きだった。歴史的にこれが和食というイメージが全くないわけではないが、イメージにある和食が日常生活から縁のないものになって久しい。日常生活から一歩でた仕事絡みのハレの場でもこれが純粋な和食だと誇れる和食を食べたことがあるのか、自信がない。東京でも京都でもそれなりの名のある料亭で懐石料理?と呼ばれるものを食したことはあるが、はたしてそれが和食かと問われたら、多分そうでしょうとしか答えられない。「これが和食」という本物を知らないから店の都合で調整されても分からない。日常生活でもハレの場でも和食とはいったいなんなのか説明しきれない。

 

仕事柄外国の人と食事にでかけることも特別なことではなかった。宿泊先のホテルで一緒に朝食、出先で昼飯から夕食、その後の色々な付き合い。なんでも食べるアメリカ人もいるかと思えば、同じアメリカ人でも極端なダイエットでどこに連れてゆくかに困る者もいるし、東西ヨーロッパからの人たちもいれば、インドも含めたアジアの人たちやアフガニスタンから人たちもいた。宗教上や文化なのか慣習なのか食材に制限がある人たちの食には苦労した。

 

食の話になったとき、日本食について聞かれることもあった。日本は初めてという人たちでも食べてみたいかどうかは別として寿司や刺し身、天ぷらやすき焼きくらいは、少なくとも言葉として、またその言葉から得たイメージを持っていた。何度か食事を一緒にしていると、なかには普通の日本人は日常的にこのような料理を食べているのか?一般家庭ではどのような日本食を食べているのか聞いてくるのがいる。

仕事での付き合いだから朝から晩まで食事は経費清算で落とせる。出先で特別なものを食べている訳ではないがそれでも週末自宅で食べているものと同じではない。親しくなって食の好みを知っている相手ともなれば外国からの人たちを連れて行ける店は限られる。なんだかんだで接待もどきの食事となる。これを察してか日本の日常生活の食事を気にして聞いてくる。

 

普通の日常生活で食べている日本食はなんだと聞かれて、初めてのとき答えに窮した。一体なにが日本食なのか。日常的に食べているものの多くが洋食化している。洋食化する前からも今も、中華系の料理はお手軽メニューとして進化し続けている。日常的に食べている日本食にはどのようなものがあるのか改めて考えれば、定番がいくつか思い浮かぶがはたしてそれをもってして日本食と言えるのか?日本にしかなくて、これは和食だといえる料理群がほんとうにあるのか。寿司や刺し身は和食の典型だろうが、これだけで和食を構成できるわけでもなし。味噌汁を付けて、。。。納豆ですら中国南部にその起源があるし、豆腐は中国からだろうしと考えながら、この一週間か十日ぐらいの間に食べたものを思い浮かべると、パンやスパゲッティ、ラーメンの類やカレー、チャーハンや中華のメニューがぞろぞろでてくる。

 

多少年配の五十、六十代の人たちの日常生活のなかからも消え去ったメニューと言ってもいいすぎではないものを敢えて世界文化遺産に登録したとして、フツーの日常生活をおくっている巷のフツーの人たちにはなんの関係があるのか。そのうち世界文化遺産として和食について勉強した外国人から和食とはなんぞやという講義を聞かせてもらうはめになるかもしれない。

それこそかつて“フジヤマ、ゲイシャ”だったのが今度は“和食”。お手頃な和食もあるのだろうが、和食の和食は巷のフツーの人には手が出ない。世界遺産に登録する作業をされた方々にはおそらく潤沢な予算(庶民の税金だろう)があったのだろうが、フツーのレベルの人たちにはたとえ仕事上の接待だったとしても、これが和食という料理を出す店にお連れする予算もない。海外からの人たちに誇れる日本をご覧いただきたいし、有意義な滞在を願って止まないが、高嶺の花の和食-それも世界文化遺産では困る。

庶民には料理の国籍など関係なく居酒屋や焼き鳥屋あたりが和食だし、今日日の緊縮予算では牛丼やハンバーガー、カレーやスパゲッティの日本的ファーストフードが日常生活の文化だろう。

2014/8/14

 

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集