嘉田新党の評価をめぐって

嘉田新党の評価をめぐって、県内世論と県外世論の落差に驚いている。
私の知る限り、県内では、彼女の行動を肯定的にみる意見はほとんど存在しない。しかし、県外では、ブレない政治家が結集軸を作ったという評価のようである。
たしかにこれには、よく事情を知っている滋賀県人なら、違和感を禁じえないだろう。
嘉田知事は、原発問題をとっても、再稼働反対→夏のみ容認→年中容認→容認撤回とブレにブレたし、これは、なにも原発問題に限らない態度で、新幹線新駅問題(凍結→中止→必要)でも産廃処分場問題(有害物全量撤去→現地封じ込め→できるだけ撤去)でも見られたことである。さらに言えば、「脱政党ではなく超政党」だと言いながら新党を作ってしまったことを考えると「脱原発ではなく卒原発」だというのも不安になる。
間違いなく、嘉田由紀子という政治家は、これまで「理念と論理」ではなく、「心情と状況」で動いてきた。
それに加えて、組織統率能力や他組織との協調能力は極めて低い。だから、県内の市長たちとしばしば対立したし、彼らからの信頼は、6年間かかっても、全くといっていいほど得られていない。はっきり言って、首長としての行政体の経営能力は、及第点に達していないと言わざるを得ないのだ。
つまり、彼女は、政治家としても行政経営者としても、その能力に疑問符がつく人物である。
にもかかわらず、県外からは高評価を受けている。そして、同じように、選挙時には県内の有権者から多くの得票を得ている。この矛盾は、どう理解したらよいのだろうか。
要するに、彼女は、実際の実力は決して高くないが、彼女をよく知らない人への好感度において、極めて優秀な政治家なのである。なぜ嘉田はこれほど人気があるのか。
その要因はいくつかある。
①女性であること。
②自己主張は常にソフトになされること。
③そのわりに大胆な決断をすること。
なぜ、これが受けるのか。逆を考えてみれば明白だろう。
①男性であること。
②自己主張がハードであること。
③そのわりに何も決断できないこと。
最近の国政をみると後者三点の特徴をもった政治家ばかりである。だから「違う」ものを有権者は求めているのではないだろうか。嘉田由紀子という対抗軸は、既成政党の政治家へのアンチテーゼとしてはたしかに成り立つ構図である。③だけが違う橋下や石原よりも、コントラストははっきりしているとも言える。
しかし、有権者は忘れてはならない。「それ以外」を求めることが、望む目標に接近することと同じではないということを。別の道をたどることが、より遠回りの道を選ぶ選択であることもある。
なにより、次の選挙ではどの候補が本物か、有権者には、「虚飾」を見破る眼力が試されている。メディアは、話題性に流されることなく、その判断のための間違いない材料を提供してもらいたい。

初出:Fbページ「闘う社会学者(早川洋行)」http://www.facebook.com/sociologist.hayakawa

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1092:121203〕