国外退去命令-はみ出し駐在記(71)

上司からナイアガラフォールズ(町名、米国側)の展示会の話がきた。代理店もいるし、一人で十分だろうが、念のため応援に来ているxxxと二人で行ってこいと言われた。ナイアガラフォールズで展示会?観光なら分かるが、なんでそんなところで展示会なのか?最寄りの大きな町はバッファローがだが、典型的なスノーベルトで錆びた工場のイメージしかない。どう考えても、限られたリソースでこれから開拓しようという市場ではない。

対費用効果を考えれば、地方都市の展示会など出展などしない方がいい。市場が小さいから、一つの業界だけでは展示会にならない。どうしても地場のあれこれごたまぜの物産展になってしまう。たとえ来場者数がそこそこあっても自社のビジネスにつながるのはほとんどない。そのうえ三日間の展示会であれば、準備の一日を入れて計四日間限られた人員を取られる。

ところが、ニューヨーク支社には、展示会でもなければ時間をもてあましているエライさんが二人いた。営業担当の副社長は、積極的に展示会に出展して市場開拓を推進しているように見せたい。技術部長は、機械加工(プログラム)を専門としていたが、英語の障壁もあって、客とのやり取りは現地人に任せていた。二人とも事務所にいてもたいしてやることがない。展示会であれば主担当として「活躍して」格好を付けられる。それにもかかわらず、確執のある代理店と顔を合わせたくないのか、副社長も技術部長も行かずに、新米と応援者の二人で十分だろうと言う。

バッファローからナイアガラ川沿いに走ってゆくと氷に覆われた川が見える。大きな氷がゆっくりと動いていた。三月上旬、日差しは春めいてきたが気温はまだまだ低い。夜になるとかなり冷え込む。観光シーズンは何ヶ月も先で町全体が閑散としていた。だからこそ流行らない物産展ということなのだろう。

二人でさっさと機械を設置して、早々に地場のモーテルにチェックインした。モーテルで訊いて近間のダイナーで夕食を済ませてモーテルに戻った。オフシーズンだからか、薄気味悪いほどひと気がない。部屋に入って、静かなはずなのが地下鉄に乗っているような感じで外から「ゴー」という音が聞こえる。なんの音かと思って窓から外を見たら大雨だった。モーテルに入るときには音もなかったし雨が降り出しそうな感じもなかった。何か変だと思って表に出てみた。「ゴー」という音は滝が落ちる音だった。静かなところでは聞こえるが周りが騒がしいと気がつかない。水が落ちるときに風にあおられて水滴が雨のようにモーテルの窓ガラスに当たっていた。風次第で水滴が当たる方向も強さも変わる。雨足が強くなったり弱くなったりして嵐のようだった。

明日は気楽な田舎の展示会。二日酔いでも寝不足でもどうにでもなる。モーテルの部屋にいてもやることもない。二人いるし、気持ちの余裕もあって、夜のナイアガラの滝を見に行こうと出かけた。アメリカ側から滝を見て自然の大きさに感動した。家一軒屋を優に超える大きさの氷が次から次へと轟音を立てながら落ちていた。観光シーズンなら水が落ちている近くまでボートで行けるが、大きな氷の塊が落ちる迫力には敵わない。

ナイアガラの滝はカナダ側から見たほうが雄大だと聞いていたので、カナダ側への橋を渡ろうとした。アメリカの国境ゲートでパスポートを出して橋に出た。直ぐ向こうにカナダの国境ゲートが見える。カナダ側のゲートに着いてパスポートを出した。応援者はカナダに入れるが、こっちはダメだと言う。理由を聞いたがよく分からない。アメリカ側のゲートに戻れと言われた。

どうしたものかと応援者と相談した。ここまで来たのだから一人でカナダに行って、帰りはタクシーを呼んでモーテルに帰ればいい。応援者がカナダに歩いて行くのを見届けて、アメリカ側のゲートに戻った。戻ったはいいがアメリカ側のゲートを通してくれない。カナダ側ではアメリカ側に帰れと言われて、アメリカ側に帰ってきたら、アメリカ側も入れてくれない。国境を跨っている橋の上に足止めをくったような状態になった。オフィサーが来るから待ってろと言われた。

オフィサーが来て、付いて来いと言う。オフィサーの車に付いていったら、国境警備隊の事務所だった。オフィサーとはいったいなんだろうと思っていたが、なんのことはない、国境警備隊だった。国境警備隊がオレになんの用があるのかって、気楽に思っていた。

氏名や生年月日から始まっておふくろの結婚する前の苗字。。。本人確認の質問が続いた。国境警備隊というと不法移民の取り締まりなど強面のイメージがあるが、ニコニコしながらまるで親しい友人のような口ぶりで訊いてきた。ただ、微に入り細に入り訊かれることが多くて、開放されるまで一時間以上かかった。穏やかな、親切と言っていいオフィサー、お互いに冗談を言いながら、開放されたときは二時を回っていた。

ひと月ほど経って下宿に一目でお役所からと分かる封書が届いた。何のことかと思って読んではみたが、どうも国外退去命令のような気がする。英語の能力が低すぎて自信がない。事務所に持って行ってGeneral Affairsのおばちゃんに内容を確認した。不法滞在を理由に国外退去命令だった。

ビザは四年間有効だったから四年間滞在できるものとばかり思っていた。今になってみれば何を馬鹿なと思うが、滞在許可を毎年更新しなければならないのを知らなかった。というより、そんなものがあること自体知らなかった。ニューヨーク支社も滞在許可の更新をすっかり忘れていた。入国してもう直ぐ丸二年だから、滞在許可が切れて不法滞在一年になろうとしていた。

滞在許可が切れているのだから、アメリカにはいないはずの人間ということになる。いないはずの人間がアメリカ側のゲートは出てゆくのならどうぞという感じで出してくれた。カナダ側のゲートにしてみれば、アメリカにはいるはずのない人間が、アメリカの方からカナダ側のゲートに入ってきた。まるで国境をつないでいる橋の上に飛び降りた人間のようなことになってしまった。

不法滞在で国外退去命令をもらって、「はい、そうですか」と出国すると、不法滞在の前科が付いて、余程のことでもなければ、二度とアメリカに入れなくなる。本人は、業務命令で駐在員としてアメリカにいるだけで、アメリカにいなければならない理由もなければ、将来来なければならないことなど何もないと思っていた。出て行けというのなら、喜んでとまではゆかないにしても、出てゆくことにやぶさかではない。ところが支社長もGeneral Affairsの担当者も上司もそれでは立場がない。特に支社長は、アメリカに棄民したいという本社の意向が分かっているだけに、不法滞在で帰国されたのでは困る。アメリカという使いやすい捨て場を失う。

ここから入国関係の弁護士を雇って一騒ぎが始まった。滞在許可の延長をうっかり忘れたもので、不法滞在は故意ではない。悪意はない、ただの不注意であることを申し述べなければならない。と言っても、全て弁護士がやることで、弁護士について滞在延長の申請や自己弁明に入国管理事務所に出向くだけで何をするわけでもない。

従業員の滞在許可の問題を解決するためには、少々費用がかさんでもしょうがないと考える日本企業をクライアントとしている弁護士がいる。決して流暢ではないし語彙も限られているが、意思疎通には十分な日本語を話す。とんでもない金儲けにはならないにしても十分な報酬があるのだろう。事務所はセントラルパークの南に面した超一流のPlaza Hotelの中にあった。

移民管理局に提出する書類の作成に弁護士の事務所に何度かお伺いした。見栄の商売でもあるのだろうが、なんでこんな立派な事務所なんだと驚いた。移民管理局から、出頭命令がこっちの生活や仕事に関係なく直前になってでてくる。その度に出張先の客に断ってニューヨークに戻って、管理局にいって事務作業を進めて、客に戻るを繰り返した。

移民管理局に行くたびに、人ごみに気後れした。そこは、移民したい、切羽詰った感のある中南米の貧しい人たちでごった返していた。自分の、家族の将来がかかっているからだろうが、必死の思いが溢れていた。この人たちほどの必死さを一生持つことはないだろう。駐在員のだらしなさ、全て会社任せで自分では何を考えるわけでもない。引かれたレールの上を走ろうとしかしないし、できない。たまにとっぽいのがいて軽い脱線を起こすくらいで、サラリーマンでいる限り、一生何ができるようにもならない。たかがアメリカの入出国管理の話でしかないが、駐在に行けと言われてきているだけ、その程度の、他人事のような、何があるわけでもない、それでも捨てきれやしない生だった。

Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5829:151228〕